携帯電話料金化した「消費増税先送り」

■無意味な消費増税「2年縛り」

 案の定、伊勢志摩サミットを切っ掛けとして、安倍総理は消費増税再延期の事前意思表明を行った。この間、民進党までが消費増税の「2年先送り」を言い出したこともあってか、時期的には既に遅きに失した感は否めないが、昨晩、ようやく「2年半先送り」が決定したらしい。

 伝えられていたところでは「最低でも1年半先送り」ということだったが、民進党が「2年先送り」と言ったために「2年半先送り」になったのかもしれない。皮肉なことに民進党の発言が消費増税再延期の後押しをした格好だろうか。

 少しでも増税時期を引き延ばすことには賛成だが、前回と同じ轍を踏まないためにも、今回は時期的な明言は控えた方が無難かもしれない。
 携帯電話の料金制度ではないのだから、増税のタイミングに「2年縛り」などを設ける必要性は全くない。景気を良くする目標として「2年」というスローガンを掲げるのであればまだ理解できるが、目標そのものを無視して「2年」などと言い切ることに意味が有るとは思えない。
 本来、増税をするかどうかは、景気が良くなった後で問うべきものであり、景気の先行きが全く判らない状況下で増税時期を明言するのは間違っている。景気予測というものは、天気予報や地震予知のように当てずっぽうで時期を言い当てるものではない。

 そもそも「先送り」という言葉が出てくること自体が可笑しいと思えるのだが、「増税先送り」や「増税凍結」という増税をベースにした政策だけでなく、「減税」という考えも少しは取り入れるべきだ。
 「減税しますので、国民の皆様も消費量を増やす努力をしてください。」というような、双方向的な政策を掲げるべきだと思う。

■消費減税4%という折衷案

 もし、消費税を減税する場合、元の5%に戻したとあっては、「なぜ8%にしたのか!?」と批判されることになるので、いっそのこと現在の半分の4%にすればどうかと思う。
 「8%の増税は明らかに失策でしたので、今度は半分の4%に減税してみます。それで消費税収率が上がるか下がるか2年間、様子を見てみます。」と言えばいいのではないかと思う。

 消費税は1%の増減で税収が約2兆円違ってくるので、税率を半分(4%)に下げて、税収が現在の半分以下まで下がらなければ税収率は上がったことになる。そういう試験的な意味も込めての「2年縛り」なら、国民も納得するだろう。
 大体、消費を伸ばすことが政治的な至上命題になっているにも拘らず、なぜ消費税を上げなければならないのか? 一体、どう考えれば、「消費不足→消費増税」というロジックになるのか、さっぱり解らない。
 消費が大幅に増えれば消費税収も増加し、消費増税を行う必要も無くなるわけだから、消費を促すために、ありとあらゆる方策を考え、実施することが政治家の役割だろう。国民に対しても「消費を増やしてください。」と協力を仰ぎ、閉塞した空気自体を変えていく努力をするべきだ。
 そういった努力の甲斐なく税収が上がらないのであれば増税も止む無しだが、お世辞にも、そこまでの努力をしているとは思えない。
 現在の政治を観ていると、「消費税収不足→消費増税」というような国民不在の「」のみのロジックしか見えてこない。国民の「消費」を伸ばすことではなく、「消費税収」を上げることだけが自己目的化しているようにさえ見える。

 以前の消費増税先送り発表時に安倍総理が「1年半先送り」することを国民に詫びたシーンが思い出される。
 しかし、消費税を上げることを国民にお詫びするのであれば筋が通るが、なぜ増税を延期することを納税者である国民にお詫びしなければならないのか不思議に思えた。 商品価格を値上げすることをお詫びする商売人はいても、商品価格の値上げを延期することをお詫びする商売人がいるだろうか?

 1年半前の演説時、安倍総理の虚空を見つめる視線の先には、見えない権力者がおり、まるで、その総理大臣以上の権力にお詫びしているかのように感じられた。「先送りしても消費増税は必ず行いますので、私の政治活動の邪魔はしないでください。」と言わんばかりに…。

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ギブ&テイクの経済学

■デフレが生み出した拝金主義者

 景気が良くなっているのか悪くなっているのか、本当のところがイマイチよく分からないこの国では、相も変わらず1円でも安いモノを欲しがるというデフレ思考が蔓延している。
 仕事にしても、買い物にしても、食事にしても、兎にも角にも1円でも安い方に重きを置き、品質の高低よりも先に価格の高低だけに注目が集まる。多くの消費者は生産者から1円でも多くの富を奪うことをもって良し(=生産者は儲けてはいけない)とする価値観を盲信しているかに見える。
 最近、取り沙汰されている車の燃費不正問題も、車の性能やデザインよりも、まず、燃費(1円でも安いお金)に重きを置く社会であるからこそ発生した不正問題だとも言える。

 よくよく観察していると、どうも、かつてマルクス思想に嵌った人ほど、デフレを好む傾向にあるようで、マルクス主義から脱したと思っている人の中にもデフレを好む人が多いのは偶然ではないような気がする。

 “お金儲けは悪いことだ”という貧しい思想を内包したデフレ教(拝金教)に身も心も被れてしまった人々がそこかしこに跋扈しており、逆に生産者に1円でも多く儲けてもらうことを喜びとするような気前の良い消費者は、この失われた20数年来、どんどん減少しているかのようにも感じられる。

 デフレ思想は、利益という名の空気を真空に近付ける役目を果たした。それゆえに、その薄くなった空気の中で窒息しそうになった人々は、我れ先にと空気を奪うことに専心し、自分さえ良ければ他人はどうでもよいという利己主義者を数多く生み出した。その歪んだ思想が日本経済に必要以上のダメージを与えてきただろうことは想像に難くない。

■「Give and Take」思考のススメ

 Give and Take(ギブ・アンド・テイク)という言葉は有名で、ギブ(与える)とテイク(得る)は一対のものと考えている人は案外多いのではないかと思う。しかしなぜ、Give and Takeとは言うのに、Take and Giveとは言わないのか?と不思議に思わないだろうか?

 経済的に考えると、
  Take only(テイク・オンリー)とは、「泥棒」を意味し、
  Give only(ギブ・オンリー)とは、「ボランティア」を意味する。

 では、Give and Take と Take and Give の違いとは何だろうか?

 Give and Takeは、「持ちつ、持たれつ」とか「お互いに譲り合う」というような関係だと思われがちだが、実際のところは、「与えよ、さらば与えられん(与えよ、さらば得られん)」という宗教的な意味合いの言葉が込められているらしい。

 ここで重要なことは、単に「与えたから得られる」というような意味ではなく、「見返りを求めずに与えた人間だけが、自然と(見返りを)得ることができる」という意味になる。だからこそ、Take and Give(与えられたから与える)という見返りを含んだ言葉は使われないのかもしれない。

 先のデフレ思考に話を戻すと、現代の日本で幅を利かせている安値競争に重きを置く人々などは、まさしく「見返り」を求める人々だということがよく分かる。 
 「1円でも安くしなければ、お金を払わない」という考えは、Take and Give思考であり、Give and Take思考とは言えない。そもそも、「お客様は神様だ」というような思い込みがどこかに有る場合、それは端から対等の立場にないということだから、Give and Take思考では有り得ない。

 Give and Take思考とは、「1円でも多く儲けてもらうことで巡り巡って富が返ってくる」という原因結果の因果を理解したマクロ思考のことであり、これが足りないがために、日本経済はいつまで経ってもデフレから脱却できないのかもしれない。

 念のため、お断りしておくと、ここで述べているのは「消費者が生産者にお金を恵まなければならない」というような意味ではないので、誤解のないように。(無論、品質を無視せよという意味でもない)

【追記】2016.05.23

(BLOGOS転載記事の反論コメントに対する反論になります)

>燃費はクルマの性能そのものだ。

 「燃費性能」という言葉もある通り、それはその通りなのですが、車にはその他にも様々な性能があります。交通事故が起こった時の安全性や、長時間ドライブする時の快適性など、数え挙げればキリがないほどの比較するべき性能があります。しかし、そういった価格として判定するのが難しい性能よりも、目先の燃費性能ばかりに目がいくのは、明らかに全体的な品質よりもお金に囚われている証左ではないでしょうか?ということ。

 「燃費はクルマの性能そのもの」と言われても、車種によって燃費は大きく変わってきますし、燃費の安い軽自動車が最も性能が良いというわけでもありません。車の価値を計る1つの指標に過ぎない燃費性能だけに拘ることに不自然さを感じるというだけの話です。

>拝金主義者がデフレを生み出すのであって、デフレが拝金主義者を生み出すわけではない。

 拝金主義者なんていうものは、古今東西を問わず何時の時代にも存在しています。もし「拝金主義者がデフレを生み出す」のであれば、いつの時代も世界中が永遠にデフレということになってしまいます。

 私が述べているのは、「デフレ思想が生んだ拝金主義者」という限定的な意味なので、「デフレ思想」が存在しなければ生まれない拝金主義者という括りになります。よって、論理的には「拝金主義者がデフレを生み出す」とはなりません。

 卵が先か、鶏が先かの話になってしまいますが、デフレ思想が拝金主義者を生み出し、その拝金主義者がデフレを生み出す。問題はその無限ループが生まれる背景にあるのであって、どちらか(拝金主義者 or デフレ)一方だけに問題があるわけではありません。これは「企業」と「消費者」の間でも言えることです。

>企業の利益率は上昇し、企業の内部留保は増え続けている。

 日本全体としての企業の内部留保が増加しているのは間違いありませんが、それは景気の良い企業(主に大企業)に限った話であって、大部分の中小企業では今時、内部留保などという概念とはほとんど無縁だと思います。内部留保どころか採算ギリギリで経営している中小企業は山のようにあります。

 「企業の内部留保」というより、「一部の景気の良い企業の内部留保」としなければ、あまりにも大雑把過ぎて現実味が感じられません。と同時に、一部の景気の良い企業が内部留保を取り崩しても、日本全体の給与所得者の給料が上がるわけでもありません。

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