「糖質制限」は是か非か?

■実体験で判明した「糖質制限」の効能

 今年の8月(3ヶ月前)に糖質制限についてのブログ記事を書評を交えて簡単に書いてみると、意外にも多くの人に閲覧していただいた(当者比)。
 前回は、自己流のプチ糖質制限で「2ヶ月間で体重が4kg減少した」と書いたが、その後3ヶ月間で更に3kg減り、半年を待たずに計7kg減少したことになる。
 加えて、中性脂肪が半分程度になり、血液検査のGOTおよびGPT値も大幅に減少し基準値(の平均以下)に収まった。
 肝臓のGOTとGPT値については以前、生アーモンドを食べ続けることで改善したと書いたことがある。今回は生アーモンドと糖質制限の相乗効果かどうかは分からないが、糖質制限には明らかに肝臓の値を下げる効能が有るようだ。

 体重が減少するに比例して肝臓の値が下がるということは既に多くの糖質制限体験者が語っていることなのだが、ここまでハッキリと目に見える形で結果が出てしまうと、個人的にも納得せざるを得なくなってしまった。
 私の場合、特にダイエット(痩せること)が目的で糖質制限をしたわけでもないのだが、体重計に乗るたび、面白いようにどんどん体重が減っていく体験(ある程度の糖質制限知識が無いと逆に恐い体験になるかも…)を実際に味わうと、「痩せることができない」「贅肉がとれない」とダイエットで悩んでいる人が滑稽にすら思えてしまうほどで、私の「糖」における認識はこの半年間でコペルニクス的に変化した。
 「最も確実なダイエット方法は?」と聞かれれば、迷うことなく「糖質制限」と答えるだろう。では、「最も安全なダイエット方法は?」と聞かれればどう答えるか? それが今回のテーマでもある。

■「糖質制限」のエッセンスは「シンプル」

 こういう単純な感想を書くと、逆に疑われてしまいそうだが、私は元来、疑り深い性分なので、単純に信じたというわけでもない。ある程度、糖質制限についての知識も仕入れた上で述べている。と言うよりも実際に自分自身の身体を実験台にして実績が出たわけだから「疑え」と言われても困ってしまう。

 この3ヶ月間で追加で以下の書籍も読んでみた。

 どれも個性的なタイトルで、それぞれに特徴がある本だったが、書かれてあるエッセンスの部分は共通している。詳しくは述べないが、人体のメカニズムというものを知れば、糖質制限は実にシンプルなダイエット法であることが分かる。
 「肯定本ばかりで否定本は読まないのか」と言うような人がいるかもしれないので、一応お断りしておくと、もちろん否定本にも目を通している。

 世の中には「糖質制限は危険だ」と言っている人もおられるが、これもケースバイケースであり、人によって危険度は異なる。例えば、肥満体の人が糖質制限を行う場合と、痩せている人が糖質制限を行う場合は危険度は変わってくるかもしれないし、どれだけ糖質量を制限するかによっても大きく違ってくる。元より個々の人間の体質というものは千差万別なのだから、体質の違いと糖質制限量によっては不具合が生じる可能性が有るのは当たり前の話である。

■「甘いものを食べ過ぎると身体に悪い」という言葉を否定することはできない

 昔から「甘いものを食べ過ぎると身体に悪い」と言われるように、糖分を採り過ぎることが身体に悪いことは万人が認めていることなのだから、糖分の摂取量を少し減らすだけなら、全く危険性など有るわけがない。
 「糖」を「ケーキ」に喩えて言うなら、ケーキを毎日食べている人が、2日に1回に減らすことで、「ケーキ制限は危険だ」などと言う人はいない。「ケーキを食べる量を減らせば不健康になるのか?」と問えば、誰も「そうだ」とは言わないだろう。仮にケーキを全く食べなくなっても健康を害することは無いと思うが、その変化に肉体と精神が付いていかず、ストレスによって体調を壊すことは有り得る。

 問題となるのは、過剰なまでに糖質を制限した場合であり、急激に栄養バランスが変化した場合、その変化に身体が追いつかないことで健康を害する危険性が有るということだと思う。人体には糖を作り出す体内機能(糖新生)が備わっているらしいが、何十年間も体外から糖分を過剰摂取してきた人が急に糖分を全く採らなくなれば、その反作用で一時的に健康を害する危険性は有るかもしれない。

 現実的に考えても、糖分摂取量を0にすることはできないだろうし、ごはん、パン、ラーメン、うどんなどを全く食べない生活を一生続けるというのは無理がある。
 既に糖尿病を患っている人であれば、全く糖分を採らなくする必要性もあるかもしれないが、健康体の人が直ぐさま糖分を全く採らないようにする必要はないと思う。リスクを考慮して徐々に糖分を控えるようにしていくことで、自分の身体に合った糖分摂取量を見つければいいのではないかと思う。

■糖質制限量で変化する「糖質制限」是非論

 「糖質制限」というものにも「肯定論」と「否定論」が存在する。肯定論の中には完全に糖質を0にすることを勧める人もいれば、緩い糖質制限を勧めている人もいる。一方、否定論の中にも「糖質制限は危険」の一点張りの人もいれば、過剰な糖質制限は危険だと言っているだけの人もいる。
 ただ、糖質制限で身体を壊したというような話のモデルは、大抵、60代、70代の高齢者であり、その原因が本当に糖質制限にあったのどうかも疑わしいケースが多い。たまに20代、30代の人の報告も見られるが、これも過剰に糖質制限し過ぎたことによって身体を壊したという類いのものだろう。要は程度の問題なのである。

 炭水化物の多くは糖分と食物繊維を含んでいるので、極端な糖質制限を行うと便秘になるということがある。中には腸内環境の変化によって逆に下痢になる人もいるらしいが、私の場合、プチ糖質制限で少し便が固くなった。以前まではたまに下痢することがあったが、糖質制限を始めてからは、ほとんど下痢しなくなった。これは想定外の収穫だった。

 私が子供の頃は、近所の八百屋で売られていたジュースの販売形態は主にガラス瓶だった。容量は200mlにも満たない。当時、自動販売機で売られていた缶ジュースも250mlだったと記憶しているが、現代では500mlのペットボトルが主流になっている。大容量になって価格が下がるのは良いとしても、1度に飲む量が2倍にも3倍にもなると、それだけ糖分摂取量も増えてしまう。
 ジュースの容量だけを見ても分かる通り、現代人が糖分を採り過ぎていることは否定できない。最近の「糖質0ビール」の流行もそういった現実を反影してのものだろう。

 「糖質制限」という医学的な言葉を使用すると、どこか「食事制限」のような痛々しさをイメージさせるので、胡散臭さを感じる人がいるのかもしれないが、糖質制限の本質は実にシンプルなものであり、本来なら、是か?非か?と言い争うようなものではない。シンプルにこう言えばいい。

 「糖分摂取量を減らしましょう

 これなら誰もが納得できるのではないかと思う。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という奇妙な論理

■現実味を帯びて来た「衆院解散」

 「火の無い所に煙は立たぬ」と言うが、現在、テレビなどのマスコミ報道では「衆院解散」の憶測報道がしきりに飛び交っている。
 当の安倍総理は「解散には言及していない」と伝えられていたが、「消費増税を1年半延期する」というような具体的な情報が流れているところをみると、どうやら本当に解散総選挙が行われそうな雲行きだ。
 自民党にとっては消費増税の判断を間近に控えた難しい時期でもあるので、「国民に信を問うための解散」とも言われている。

 ところで、最近のニュース番組を観ていると、「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という意見をよく耳にするが、このロジックは明らかに可笑しい。
 こういった言葉が出てくる背景には「アベノミクスが好調だったから8%の消費増税を行った」という誤認があるのだろうが、8%の消費増税が決定されたのは、決してアベノミクスが好調だったからではないし、仮にアベノミクスが好調であったとしても、そのことが消費増税を認める理由にはならない。

 国民の大部分は消費増税に反対(これは当たり前)であったし、多くのエコノミストも時期尚早な消費増税には反対していた。「早期の消費増税はアベノミクスの失敗を招く」と口が酸っぱくなるほど忠告していたことは記憶に新しいところだ。8%の消費増税は、その是非を国民に問うたわけではなく、「有識者」として選ばれた人々の過半数が賛成したことによって、半ば強引に決定されたことである。

 安倍総理にしてみれば、内心では《本当に消費税を上げても大丈夫なのだろうか?》という思いもあったと思われるが、官僚を敵にまわすと後が恐いので仕方なしに増税に踏み切ったという側面もあったのだろうと推察する。その際、将来的に「増税を決定した張本人」というレッテルを貼られる危険性を回避するために「有識者」達に汚れ役を演じさせたとみるのが正解かもしれない。

■消費増税を延期しなければアベノミクスは成功するのか?

 「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だった」という言葉は、裏を返せば「消費増税を延期しなければアベノミクスは成功する」というロジックになるが、これも可笑しい。
 時期尚早な消費増税を行ったことがアベノミクスの失速…と言うより景気の減速を招いたことは統計的にも明らかであり、国民の多くもそう実感していると思われる。大部分の国民が今思っていることは、「これ以上、消費税を上げれば更に景気が悪くなるのではないか?」という懸念であり、「消費税を上げれば景気が良くなる」などというノーテンキな考えを抱いている人はごく少数だろう。

 今回の「衆院解散」報道は、それがデマで有る無いに関わらず、株式市場にはプラスの影響を与えた。その理由は「消費増税は延期される可能性が高くなった」という思惑が働いたからだとも言われている。
 ここで、「えっ、消費増税を延期すれば、アベノミクスは失敗だったんじゃないの?」と思われた人がいるかもしれないが、実際のところは、国内外を問わず多くの投資家達が、「これ以上の消費増税を行えばアベノミクスは失敗する」という認識を持っていたことが暗に証明されたと言える。

 以前にも書いたことだが、消費増税というものは、アベノミクスが失敗した場合(=万策が尽きた場合)に行うべき政策であって、アベノミクスと同時に行うべき政策ではない。
 アベノミクスが成功した暁には、消費増税をする必要がなくなる。それが本来の意味での景気回復策というものの目的であり、背水の陣で臨まない景気回復策などは本来、有り得ない。ポジティブな政策(アベノミクス)と同時にネガティブな政策(消費増税)を実施するということ自体が間違いなのである。

■「消費増税を延期しなければアベノミクスは失敗する」

 「アベノミクスは失敗する」と高を括っている悲観主義者達は、必然的に「増税する以外に道はない」というロジックに陥ってしまう。彼らにとっては、アベノミクスが成功するか失敗するかなど端から眼中になく、どう転んでも景気は良くならないのだから増税するしかないというニヒルな結論に達してしまうのだろう。

 希望的観測とはいえ、アベノミクスの目的は、潜在的に眠っている消費活動や投資活動を呼び起こすことであり、そのために景気を刺激し、国民感情を上向きに変化させることによってのみ成功への道筋が微かに生まれる。しかし、その道筋は未だ見えておらず、現状では単なる蜃気楼でしかない。
 その蜃気楼のような景気回復を現実に実った果実であるかの如く錯覚し、人為的に成長を止めてしまう。その様は、恰も、まだ実が熟していない果物をむしり取る野生の山猿の姿を彷佛とさせる。

 未だ「景気回復」という名の果実は熟していない。その実はまだできたばかりであり、山猿の如く収穫の時期を間違ってしまうと、後には枯れ木のみが残ってしまう。「景気」というものは非常に繊細で気紛れな代物なのである。

 「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」ではなく、「消費増税を延期しなければアベノミクスは失敗することになる」が正解だ。アベノミクスが成功するかどうかは分からないが、アベノミクスの成功率が0%でない限り、今は増税を急ぐべき時期でないことだけは間違いない。

 果物の収穫の時期を解さない農業音痴(経済音痴)のような人々に景気判断を任せることほど危険なことはない。今回の「衆院解散」の目的が「消費増税の延期」であるなら大いに結構。安倍総理が同じ轍を二度踏まないことを祈る。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

«「同一労働同一賃金」という言葉を都合よく利用する人々