「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という奇妙な論理

■現実味を帯びて来た「衆院解散」

 「火の無い所に煙は立たぬ」と言うが、現在、テレビなどのマスコミ報道では「衆院解散」の憶測報道がしきりに飛び交っている。
 当の安倍総理は「解散には言及していない」と伝えられていたが、「消費増税を1年半延期する」というような具体的な情報が流れているところをみると、どうやら本当に解散総選挙が行われそうな雲行きだ。
 自民党にとっては消費増税の判断を間近に控えた難しい時期でもあるので、「国民に信を問うための解散」とも言われている。

 ところで、最近のニュース番組を観ていると、「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」という意見をよく耳にするが、このロジックは明らかに可笑しい。
 こういった言葉が出てくる背景には「アベノミクスが好調だったから8%の消費増税を行った」という誤認があるのだろうが、8%の消費増税が決定されたのは、決してアベノミクスが好調だったからではないし、仮にアベノミクスが好調であったとしても、そのことが消費増税を認める理由にはならない。

 国民の大部分は消費増税に反対(これは当たり前)であったし、多くのエコノミストも時期尚早な消費増税には反対していた。「早期の消費増税はアベノミクスの失敗を招く」と口が酸っぱくなるほど忠告していたことは記憶に新しいところだ。8%の消費増税は、その是非を国民に問うたわけではなく、「有識者」として選ばれた人々の過半数が賛成したことによって、半ば強引に決定されたことである。

 安倍総理にしてみれば、内心では《本当に消費税を上げても大丈夫なのだろうか?》という思いもあったと思われるが、官僚を敵にまわすと後が恐いので仕方なしに増税に踏み切ったという側面もあったのだろうと推察する。その際、将来的に「増税を決定した張本人」というレッテルを貼られる危険性を回避するために「有識者」達に汚れ役を演じさせたとみるのが正解かもしれない。

■消費増税を延期しなければアベノミクスは成功するのか?

 「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だった」という言葉は、裏を返せば「消費増税を延期しなければアベノミクスは成功する」というロジックになるが、これも可笑しい。
 時期尚早な消費増税を行ったことがアベノミクスの失速…と言うより景気の減速を招いたことは統計的にも明らかであり、国民の多くもそう実感していると思われる。大部分の国民が今思っていることは、「これ以上、消費税を上げれば更に景気が悪くなるのではないか?」という懸念であり、「消費税を上げれば景気が良くなる」などというノーテンキな考えを抱いている人はごく少数だろう。

 今回の「衆院解散」報道は、それがデマで有る無いに関わらず、株式市場にはプラスの影響を与えた。その理由は「消費増税は延期される可能性が高くなった」という思惑が働いたからだとも言われている。
 ここで、「えっ、消費増税を延期すれば、アベノミクスは失敗だったんじゃないの?」と思われた人がいるかもしれないが、実際のところは、国内外を問わず多くの投資家達が、「これ以上の消費増税を行えばアベノミクスは失敗する」という認識を持っていたことが暗に証明されたと言える。

 以前にも書いたことだが、消費増税というものは、アベノミクスが失敗した場合(=万策が尽きた場合)に行うべき政策であって、アベノミクスと同時に行うべき政策ではない。
 アベノミクスが成功した暁には、消費増税をする必要がなくなる。それが本来の意味での景気回復策というものの目的であり、背水の陣で臨まない景気回復策などは本来、有り得ない。ポジティブな政策(アベノミクス)と同時にネガティブな政策(消費増税)を実施するということ自体が間違いなのである。

■「消費増税を延期しなければアベノミクスは失敗する」

 「アベノミクスは失敗する」と高を括っている悲観主義者達は、必然的に「増税する以外に道はない」というロジックに陥ってしまう。彼らにとっては、アベノミクスが成功するか失敗するかなど端から眼中になく、どう転んでも景気は良くならないのだから増税するしかないというニヒルな結論に達してしまうのだろう。

 希望的観測とはいえ、アベノミクスの目的は、潜在的に眠っている消費活動や投資活動を呼び起こすことであり、そのために景気を刺激し、国民感情を上向きに変化させることによってのみ成功への道筋が微かに生まれる。しかし、その道筋は未だ見えておらず、現状では単なる蜃気楼でしかない。
 その蜃気楼のような景気回復を現実に実った果実であるかの如く錯覚し、人為的に成長を止めてしまう。その様は、恰も、まだ実が熟していない果物をむしり取る野生の山猿の姿を彷佛とさせる。

 未だ「景気回復」という名の果実は熟していない。その実はまだできたばかりであり、山猿の如く収穫の時期を間違ってしまうと、後には枯れ木のみが残ってしまう。「景気」というものは非常に繊細で気紛れな代物なのである。

 「消費増税を延期すればアベノミクスは失敗だったことになる」ではなく、「消費増税を延期しなければアベノミクスは失敗することになる」が正解だ。アベノミクスが成功するかどうかは分からないが、アベノミクスの成功率が0%でない限り、今は増税を急ぐべき時期でないことだけは間違いない。

 果物の収穫の時期を解さない農業音痴(経済音痴)のような人々に景気判断を任せることほど危険なことはない。今回の「衆院解散」の目的が「消費増税の延期」であるなら大いに結構。安倍総理が同じ轍を二度踏まないことを祈る。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (1)

「同一労働同一賃金」という言葉を都合よく利用する人々

■「正社員」と「アルバイト」の「同一労働同一賃金」は可能か?

 「同一労働同一賃金」という言葉がある。既に耳馴染みの言葉であり、良い意味での市民権を得た言葉でもあるが、どうも世の中には、未だにこの言葉の意味を正確に理解していない(考えていない)人が少なからずいるようなので、少し述べておこうと思う。

 「同一労働同一賃金」で真っ先にやり玉にあげられるのは、「正社員」と「アルバイト」との違いであり、「正社員であろうとアルバイトであろうと同じ仕事をしているのであれば同じ賃金にするべき」という意見がよく聞かれる。
 確かにこれは正しい意見である。しかし残念ながら、「正社員」と「アルバイト」という立場をそのままにした状態では完全な同一労働同一賃金を実現することはできない。

 例えば、正社員の場合、給料以外にも賞与や退職金や企業年金など、その場の賃金にカウントされない副次的なプラスアルファが存在する。こういったもの全てを考慮した上で同一労働同一賃金を実現するとなると、額面収入は正社員よりもアルバイトの方が高くなければ辻褄が合わないことになる。つまり、正社員とアルバイトの額面的な給料を同じにしても同一労働同一賃金にはならないのである。

 「正社員」と「アルバイト」を同一労働同一賃金にするというのは、その計算自体が極めて複雑になるため、あまり現実的とは言えない。先に述べた正社員の福利厚生と言っても、現代のような不安定な時代では、退職金や年金などというものも将来的に確実に受け取れるとは言えないような不確定要素なので、カウントすることが本当に正しいかどうかも判らない。前回の記事でも述べた通り、正社員というのは時給ではなく月給(24時間×30日=720時間会社に拘束される)なので、時給換算するのは難しいという問題もある。

 ゆえに、「同一労働同一賃金」を実現するためには、「正社員」と「アルバイト」という立場の違いを無くす、それが前提条件になる。その場合、まずは労働者全員を正社員にするか、労働者全員をアルバイトにするかという判断が要求される。

■「日本経済の破綻」or「ワークシェアリング」?

 しかし、現代日本において「労働者全員を正社員にする」というのは、「労働者全員を公務員にする」と言っているに等しく、もしこれが実現されるとなると、企業の求人数が激減することになるので、世の中には膨大な数の失業者が溢れることになる。
 逆に労働者全員をアルバイトにすれば、収入が減少する人は多くなるが失業者は大幅に減少するだろう。
 単純化して言えば、前者は「日本経済の破綻」を齎すが、後者は「ワークシェアリング」を齎すことになる。

 どちらの実現も現実的には不可能に近いが、前者を採用した場合、日本経済が破綻してしまうのだから、「同一労働同一賃金」どころか「無労働無賃金」になってしまう人が大勢出てくることになる。
 そうなると、「同一労働同一賃金」を実現するためには、後者を採るしか手段はないことになるが、この国では、なぜか「労働者全員の正社員化」と「同一労働同一賃金化」を同時に叫んでいる人々がいる。
 この2つが実現した社会とは、有職者と無職者との間に圧倒的な開きがある超格差社会となる可能性が極めて高い。有職者(正社員)は「同一労働同一賃金」を目指せるが、無職者は「無労働無賃金」というような完全に二極化した社会になってしまう。それは、仕事の有る者同士は同じ賃金に成り得ても、仕事の無い者同士も同じ賃金(無賃金)になるという倒錯した「同一労働同一賃金」社会を意味している。「同一労働同一賃金」とは万人に仕事が有ってこそ活きる概念だということがスッポリと抜け落ちてしまっていることになる。

■「同一労働同一賃金」の本質は「平等 < 公平」

 常日頃、「格差は悪」と言っている人に限って、「労働者全員の正社員化」と「同一労働同一賃金化」を同時に叫んでいるというのは、とんだ皮肉である。
 そもそも、日本国内においての同一労働同一賃金論争とは、特権的に守られたかに見える正社員の優遇制(身分制)を批判したものであるのに、その同一労働同一賃金の実現のために正社員化をセットで謳うというのは明らかに矛盾している。

 結論として言えることは、アルバイトを正社員にすることのみを考え、正社員をアルバイトにすることは一切考えないというような甘えた思想の持ち主に「同一労働同一賃金」を語る資格はないということだ。

 以上、完全な同一労働同一賃金を実現するための方法論を皮肉を込めて書かせていただいたが、実際のところは、少し緩い同一労働同一賃金なら立場を変えずとも可能だと思われる。
 少し話がややこしくなるかもしれないが、同一労働同一賃金を真に求めている人々というのは、待遇の平等性を求めているのではなく、評価の公平性をこそ求めているのではないかと思う。
 同じ正社員でも大企業と中小企業では待遇が大きく違うわけだから、正社員になれば誰も彼もが待遇が良くなるというわけでもないので、そういった現実が見えている人からすれば、待遇よりも評価の方が重要視されるのは当然だろう。「正社員」という身分に執着するのではなく、評価が同じ程度であればアルバイトでも構わないというリアリストは案外多いのではないかと思う。

(注記)本記事は日本国内に限定した「同一労働同一賃金」を述べたものであり、世界全体としての「同一労働同一賃金」は考慮していません。

にほんブログ村 経済ブログへ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«「月給制」の矛盾と「能力時間給」