日本に輸入された「ポリティカル・コレクトネス」

■「ポリティカル・コレクトネス」の起源

 昨年末のダウンタウンの番組の中で、浜ちゃんが『ビバリーヒルズ・コップ』の黒人俳優エディ・マーフィのものまねのために顔を黒塗りしたことで物議を醸すという出来事があったらしい。
 私はダウンタウンのデビュー当時からのファンだが、年末恒例の特番番組はマンネリ感があるため数年前から観ていないのでニュースで知った。このニュースはアメリカでも報道されたそうだが、批判的な意見も結構あるらしいので、少し、ダウンタウンの擁護をしておきたいと思う。

 昨日、『アメリカ人が語る日本人に隠しておけないアメリカの“崩壊”』(マックス・フォン・シュラー著)という本を読んでみたが、奇しくも、この問題を考える上で非常に参考になる本だった。

 アメリカにおける過剰なまでの「言葉狩り」は「ポリティカル・コレクトネス」という言葉で知られている。現在のアメリカでは、少しでも差別に繋がるような言動は徹底的に糾弾される社会が出来上がっており、ほんの些細な言葉が原因となり、社会的に抹殺されるという窮屈な社会になっている。
 ある意味、日本とよく似ているとも言えるが、実際のところは、ポリ・コレの歴史が長いだけあって日本よりも酷いらしい。アメリカが「訴訟社会」というのは、実は「ポリティカル・コレクトネス社会」であることを意味しているのかもしれない。

 この「ポリティカル・コレクトネス」というものは、一般的には1960年代のベトナム戦争の抗議活動に端を発するとされているが、実のところは、1920年代にドイツに誕生したフランクフルト学派にあるらしい。
 新しいマルクス主義の研究組織であるフランクフルト学派は、ドイツでナチスが誕生したのを契機として、アメリカに移った(逃げた)。戦争が終わると大部分のメンバーはドイツに帰ったが、一部のメンバーがアメリカに残り、左派運動の中心となっていった。その1人であるヘルベルト・マルクーゼは「ポリティカル・コレクトネス運動の父」と呼ばれている。

 「社会的弱者」という概念を作り出し、人心を荒廃させることで国(の文化)を破壊し革命を起こすことを目的とした彼らの理論のことを「批判理論」と言う。

■「ものまね文化」も破壊する「ポリティカル・コレクトネス」

 日本には「お笑い文化」というものがあり、これまでにも様々なものまねが行われてきた。禿げた頭、太い眉、大きな目、大きな鼻、出っ歯、厚い唇、長い顎、太った身体、短い足、その他諸々、そういったものまねは得てして、個人の特徴を上手くとらえて、その部分を強調することで笑いを得るというシステムだった。
 ここで「個人の特徴」を「個人の欠点」に摺り替えて、「欠点を指摘するのは差別だ!」ということが国是になってしまうと、ものまねタレントは仕事を失い、お笑い芸人も仕事の幅が狭くなってしまう。加えて、ものまねされるタレントも知名度を失ってしまう。それは、まさしく文化の破壊を意味する。

 アメリカには黒人を奴隷にしたという負の宿業が有るので、その結果として現在のような白人いじめが行われているのかもしれないが、日本にはそのような宿業はない。他人の欠点を指摘することや笑うことは決して良いことだとは言えないが、ものまねされている本人がヘイト(嫌悪)感情を持っていないのであれば、第三者(赤の他人)が文句を言うのは余計なお節介だとも言える。

 問題はダウンタウンの浜ちゃんに黒人を差別する意識が有ったのかどうかということであり、該当するシーンを観た限りでは、そのようなものは感じられない。もし差別心があれば、こんなメイクはできないと思う。
 不快な思いをした人には謝罪が必要かもしれないが、アメリカでは白人が黒人のものまねをすることは御法度だということを日本のお笑い芸人に適用するのは少々、行き過ぎかもしれない。

 差別というものは、差別だと思う人がいることによって起こる。ものまねしている当の本人が、肌の黒いことを劣ったことだと思っていなくても、ものまねを観た人が「差別だ」と言えば、それが差別になってしまうという実に厄介な代物だ。

 肌の黒いことをお笑いネタにしているのであれば問題かもしれないが、単なるハリウッドスターのものまねであるなら、笑って受け入れるだけの度量は持っていただきたいものだ。

【追記】2018.1.8
(BLOGOS転載記事のコメントに対する返答になります)

>ポリティカルコレクトネスを語るなら、そんないい加減な言い逃れは駄目です。問答無用です。物まねだからとか、芸人だからとか,日本人だとか,そんな話は端っから通用しないのです。駄目なものは駄目。それだけです。それが世界の常識です。

 その「世界の常識」が行き過ぎて反感を買い過ぎたために、その歪んだ常識に異を唱えていたトランプ大統領が当選したわけです。黒人の20%近くもトランプ氏に投票しました。だから、その「世界の常識」は今後、「過去の常識」となり、常識ではなくなっていくと思われます。

>それを見て不快に感じる人がどれだけいるか/ どれだけ深く不快に感じているか、が一番重要だろう。

 多分、不快に思った人よりも、不快に思わなかった人の方が圧倒的に多いと思いますが、不快に思わなかった人の意見は重要ではないんでしょうか?


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