コンテンツビジネスは「奉仕ビジネス」と化している

■ますますデフレ化が進むコンテンツビジネス
 
 先月から「TSUTAYAプレミアム」なるものが開始された。今更、説明するまでもないかもしれないが、一応、書いておくと、【月額1,000円で旧作DVD借り放題&ネットで旧作動画配信見放題】というサービス。

 コンテンツビジネスにおける低料金化(デフレ化)の波はとどまることを知らず、ここ数年でますます加速化しつつある。しかし、エンタメ系のコンテンツビジネスの進化は、消費者にこの上ない利便性を与える反面、消費者の使用するお金の量がどんどん減少するという諸刃の剣を抱えている。ネット社会に功罪は付き物だが、現在のような、お金が動かなくなりつつあるインターネット経済は、「功」よりも「罪」の比率の方が大きくなってきているような気がしないでもない。

 かくゆう私も、最近、アマゾンのプライム会員になり、フルHD対応になったKindleタブレット(FireHD10)を購入した。当初の目的は、電子書籍でしか読めない本を入手するためだったが、実際に使用してみると、付随サービスであるプライムビデオの便利さに圧倒されてしまった。パソコンディスプレイでも観ることができるが、タブレット用アームを取り付ければ、横になって寝ながらでも映画が観れるので、非常に便利だ。

 私の場合、年間に100本以上の映画を観るので、本当にすぐに観たい映画は映画館で観て、あとはDVDレンタル(新作)で観るようにしている。そのため、Hulu、NETFLIX、U-NEXT、プライムビデオ等のVOD(ビデオ・オン・デマンド)は、新作であれば追加料金が発生するので特に必要性を感じていなかった。しかし、レンタルし損なった旧作等については、わざわざ旧作をレンタルせずとも、プライムビデオで観ることができる商品が意外にも多いことが判った。昔に観て、もう1度観たいような映画や名場面シーンもデータベース感覚で観ることができるので重宝する。月額325円(年換算)で多くの旧作が観れるとなると、レンタルDVD店の旧作の価値は限りなく低下していかざるを得なくなる。

 そういった現状を鑑みて、アナログ世代もデジタル世代も取り込める「TSUTAYAプレミアム」のようなサービスが誕生したのかもしれないが、大画面・大音響の映画館で観たいとか、新作DVDをすぐに観たいという欲を持たない人であれば、映像系のエンタメ消費は限りなく無料に近い料金で楽しむことができるようになっている。これはもう、コストパフォーマンスが良いとかいうレベルの話ではなく、ほとんど奉仕ビジネスに近いとも言える。

 ちなみに、アマゾンのプライム会員は日本では全会員数の20%にも満たないらしいが、アメリカでは60%以上の人が加入している。料金も日本では年間3,900円だが、アメリカでは年間99ドル(1ドル113円で計算すると11,187円)もするらしい。
 こうやって比較してみると、アメリカの料金が高いと言うよりも、日本の料金が安過ぎるのだと思われる。ひょっとすると、プライム会員数が伸びないがゆえに、破格的な低料金のまま据え置かれているのかもしれない。日本のプライム加入者数が増加するに従って、プライム会員費も値上がりしていくのかもしれない。(プライム会員が増えれば増えるほど赤字になるという意味)

■インターネット技術とベーシックインカム制度の親和性

 映画館の客がレンタルビデオ店に奪われ、レンタルビデオ店の客がVOD配信企業に奪われる。それは時代の趨勢と言えなくもないが、1人の人間が一生に観れる映画本数には限りがあるので、コンテンツ自体が膨大な数に膨れ上がれば、旧い情報としての旧作コンテンツの価値が低下していくことは避けられない。1日に1本の映画を観たとしても、一生に内にせいぜい3万本観るのが限界だろうから、物理的にも世に出回っている映画のほんの一部しか観ることはできない。価値が高くなるのは、製作されたばかりの新作と、評価の定まった名作ぐらいのもので、その他は、情報の洪水の中に埋もれたまま、多くの人の目に触れることもなく放置されることになる。

 しかし、この問題の着眼すべき点は、そういった時代の栄枯盛衰ではなく、始めに書いた通り“お金が動かなくなってきていること”だと思う。インターネット技術の進歩は、当初の予想を遥かに超えて社会に急速な変化を齎しつつあり、多くの人々はその逆らいようのない巨大な波に呑み込まれている。
 最近、インターネットという怪物が巨大化した時のための保険的な緩衝材として、ベーシックインカム的な経済システムがまず存在するべきだったのかもしれないなと思う時がある。ベーシックインカム制度については、8年前にもブログ記事を書いたことがあるが、ここ数年の価格破壊ビジネスの台頭や、コピー商品が出回るアングラ経済の様相を見るにつけ、実際に必要な時代に既に突入しているのかもしれないという感じが強くなってきた。

 技術の進歩とともに、お金がどんどん動かなくなるのであれば、人々はこれからの将来、どうやってお金を稼いで生活していけるのだろうか?と考えざるを得ない。インターネット社会はデフレ社会の定義と同様、消費者にとっては天国かもしれないが、生産者にとっては地獄とも言える。一部の富裕層や年金生活者を除き、多くの人々は消費者であると同時に生産者でもある。その微妙なバランスの上に現在の経済(多くの人々の生活)が成り立っていることを考えると、急速な技術の進歩やサービスの無料化を手放しで喜んでばかりはいられないのではないか?と思えてしまう。お金が動かなければ雇用も生まれないという厳然たる事実にもっと目を向けて然るべき時代ではないかと思う。

 日本の政治家達には、国民の生活や幸福に全く寄与しない政治家同士の足の引っ張り合いを止めて、もっと将来を見据えた経済システムの構築に目を向け、経世済民的な視点を持って政治活動に精を出していただきたいものだ。
 それにしても、これだけ消費量が減退していく時代に、なおも消費税を上げるなどというのは、向かうべき方向性が全く見えていないと言わざるを得ない。


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