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2007年1月

『給食費未納』という税金の食い逃げ

 公立の小中学校の給食費の未納が22億円にも上るということが社会問題となっている。
 給食費を支払えない貧しい家庭が多いということで問題になるなら理解できるが、未納の理由たるや、単に支払いたくないということで『食い逃げ』の論理を振りかざす人が多いらしい。

 義務教育では給食費まで学校側(正確には国民の税金)で面倒をみなければいけないのか?というと、そんなことはないだろう。
 学校側が「給食以外は食べてはいけない」と言うのなら、その論理は解らないでもない。例えば、父兄が「ウチの子は給食はほとんど食べていない、そんなまずい給食にお金なんか支払う義務はない」と言うならまだ解る。しかし、ちゃっかりと給食を食うだけ食っておいて「支払いたくない」などという言い訳はまともな社会では通用しない。「ウチはNHKの番組は観ていないのでNHK受信料は支払いたくない」は通用するとしても、「ウチの子は給食を食べていないので給食費は支払いたくない」は通用しない。

 給食費を支払いたくないのなら、弁当を作って子供に持って行かせればいい。
 学校側が弁当を持って来てはいけないと言うのなら、公立の学校から私立の学校に転校させればいい。意に反して私立の学校でも給食だった場合、「給食費を支払いたくない」などと言えばどうなるかを身を持って知ることになるだろう。
 「ウチは経済的に私立の学校に行かせる余裕はない」と文句を言うのなら、我慢して公立の学校で給食を食べるしかない、そしてキチンと給食費を支払うしかないだろう。それでも文句があるのなら、厳しいようだが子供など創る資格はなかったということだ。

 中には給食費と生活保護を同列に考えている人もいるかもしれないが、生活保護と給食費を混同してはいけない。給食費も本当に支払う能力(経済的余力)がないというのなら生活保護と同様、国が面倒をみる必要があるかもしれないが、そうでないなら国がいちいち面倒をみる必要はない。国と言っても元は国民が支払った税金だ。国民の税金は有限であって無限に湧いてくるわけではない。その貴重な税金は、本当に生活に困っている人にこそ使用されるべきであって、単に税金をアテにしているだけの人(=大部分の給食費未納の人々)に使用されるべきではないはずだ。

 税金の食い逃げを役人だけでなく、一般国民まで行うようになってしまっては世も末だ。
 しかし考えると、現代の学校では、いじめや教師の犯罪、給食費未納など様々な問題が表面化してきているが、根本的な問題は日本の教育体制そのものにあるのかもしれない。我々は今、戦後の日本の義教育体制が音を立ててガラガラと崩れていく様を現在進行形で観ているのかもしれない。
 経済がグローバル化しても、未だに時が止まったかのような悪平等教育を展開している現在の日本の教育は本当の教育とは実は程遠いものなのかもしれない。大人は気が付かずとも、そのことを無意識に肌で感じ取った子供達の悲鳴が違った形で現れているのかもしれない。
 我々が考えなければいけないものとは、もしかすると、“給食費を納めない人”ではなく、“給食費を納めない人がいる社会”なのかもしれない。追究すべきは給食費未納問題という結果ではなく、問題が発生している原因、つまり、現代の教育社会は間違っているということなのかもしれない。

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持ち家と賃貸はどちらかお得か?

 日銀の総量規制を皮きりにバブルが崩壊してから、日本の地価は暴落した。その後15年経過した現代にあっても地価が下げ止まったという楽観論はなかなか聞かれない。当時、住宅を購入した人達の中には、破産宣告をする人も多いと聞く。
 そんな中、都心だけでなく、郊外においてもマンション建築ラッシュが続いている。住宅販売業者からの売り文句(殺し文句)は、

 1、「月々の支払いが、賃貸よりも安い料金で持ち家が買える」
 2、「住宅ローンを借りるのは、史上最低金利の今をおいて他にない」
ということらしい。

 月々の支払いが賃貸よりも安いことについては、確かにその通りだろう。頭金の金額にもよるが、実際に、月々5万円以下の支払いで持ち家が買えるのなら、賃貸で家賃を払い続ける意味はないかに思える。しかしそれは本当だろうか? なにか大きなことを見失っていないだろうか?

 まず、持ち家は“住宅資産”と成り得るか?ということを考えると、バブル崩壊以前は確かに資産と言えた。大部分の国民が“買えば必ず上がる”という認識を持っていたので、我先にと住宅を購入した。必ず上がる株式を購入するのと同じ感覚で、誰もが土地売買に狂奔した。
 しかし現代においては、土地(不動産)はその名の通り『不動資産』、つまり動かせない資産(=流動性のない資産)となってしまった。売りたい人がいても買いたい人がいないので、需要と供給のバランスから土地の値段は必然的に下がっていくことになる。
 都心のように利用価値のある土地は、需要が高いために土地の値段が上がるという逆転現象も起こるが、そのことをもって、地価が下げ止まったと思うのはあまりにも早計だと思える。

 加えて現在の日本は、未曾有の少子高齢化社会だ。人口が大幅に減少していく時代では、土地も住宅も余ることが目に見えている。需要が減っていくことが目に見えているのに、なぜ供給だけが増え続けているのだろうか?
 その答えをここで述べるつもりはないが、1つだけ確かなことは、いくら月々の住宅ローンの支払いが安いとはいえ、35年ローンで住宅を購入した場合、35年先までその料金は固定されるということだ。
 現在、月々5万円で安いと思っていても、地価がさらに下がれば10年後には月々3万円、20年後には月々2万円、30年後には月々1万円のローンで購入することができるかもしれない。しかし一度購入した人は、ローンが終了するまで月々5万円を支払い続けなければならない。いくら現在の金利が安くても、将来的に住宅の値段が下がっていく(=支払いが安くなる)のなら意味が無いということも考える必要がある。

 結局、現在の地価が歴史的にどの辺りにあるのかという判断が住宅購入の決め手となる。現在の価格が安いと思うのなら売買契約を結んで購入すればいい。しかしその契約は自己責任の上に成り立っていることを忘れてはならない。下がって損をしたと思っても、それは自分自身の判断ミスであって、他の誰かが悪いというわけではない。時代が悪いのではなく、時代を読むことができなかった自分が悪いということでしかない。

 ただ、住宅には“資産”としての価値以外に“住居”としての価値もある。その家に住むことに大いなる価値があると思うのなら購入すればいいし、そのことを否定はしない。
 お金が有り余っているので新しい住居に住んで快適感を得たいという人であれば、資産価値が下がってもそれほどダメージもないだろう。しかし、充分なお金のない人がローンを組んで毎月固定料金を支払っていくことにはリスクがあることは事実だ。不確定な未来に投資する覚悟がないのなら、持ち家と賃貸のどちらを選択するかは、よくよく考えた上で決断した方が良いと思われる。

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百害あって一利なしの金持ち批判(脱税批判)

 金持ち批判として有名なものに脱税批判というものがある。
 日本では脱税事件が後をたたないが、脱税というのはどこまでが犯罪なのだろうか?
 日本には税金(所得税)を納めていない人が30%も存在するらしいが、脱税する人がいることと税金を納めていない人がいることではどちらが大きな問題なのだろうか?

 現在の公共サービスを受けるために万人が等しく支払わなければならない税金(社会保険料も含む)は成人1人あたり年間約200万円らしいが、年間200万円もの高額の税金を納めているのは国民の5%にも満たないそうだ。つまり95%の人間は5%の高額納税者(又は高額納税企業)に少なからず税金を立替えてもらっていることになる。
 高額納税者が脱税をしたというニュースをテレビでよく見かけるが、それを見た多くの人達は「あいつは脱税をしたのでけしからん奴だ!」と言っている。しかしこれは正確に言い換えると大抵の場合、「あいつは脱税して俺達の税金の足りない分を払わなかったのでけしからん奴だ!」ということになる。
 「俺達はきちんと納めているのにあいつは狡い!」と言って筋が通るのは、本来ならばその脱税した人間が支払った以上の税金を納めている人に限られる。なぜなら公共サービスは高額納税者が優遇されるというものではなく、万人に一律平等なサービスだからだ。簡単に言えば、1人前の税金を支払っていれば一応、国民としての責任は果たしていることになる。「受けることのできるサービスが同じなのに、なぜ数倍、数十倍、数百倍の料金を支払わなければいけないのか?」という疑問を持っている人は多いが、そんな意見はタブーとなっており、まず報道されることはない。

 高額納税者から見れば累進課税制度というものは、脱税したくなるほどに不公平なものだろう。しかしそうしなければ公共サービスが万人に行き渡らなくなるので仕方なしに行っているということを考える必要がある。
 ではそんな不公平税制に従って真面目に税金を納めている高額納税者は感謝されているのか?というと、感謝などしている人はほとんどいないだろう。感謝するどころか、「もっと税金をよこせ」と言っているのが現代の日本の姿だ。その姿はまさしく社会主義国家さながらと言える。
 税金をどれだけ納めようとも、その納めた金額の過多は全く考えず、ただ収入の違いだけを見て「あいつは俺よりも収入が多いので税金も多く納めるべきだ」などと言っている姿はただの嫉妬としか思えない。平等という観点で見れば、いかに正当性を主張したとしても、累進課税制度などというものは“収入の過多による逆差別”にしかなっていない。
 金儲けが宝くじのような運で決まるようなものなら累進課税制度も頷けるかもしれないが、人一倍一生懸命働いたがゆえの高給ならどうなるのか? そういう人間から税金を搾り取ればよいなどという考えは正しいと言えるだろうか?
 累進課税制度の本質を考えると、節税して全く税金(所得税)を納めていない人間が高額納税の脱税者に対して「脱税だ!」などと批判している姿は滑稽以外のなにものでもないと思える。

 税金の過多はイコール国家予算の過多につながる。巨額の税金を納めてくれる大金持ちがいることは日本全体にとってプラスなことだと言える。税金の問題だけを考えても、一握りの大金持ちを否定すると結局、自分達が大損することになる。
 5%の高額納税者や高額納税企業が揃って日本を脱出すればどうなるかを考えてみればよく解るだろう。残された国民には今以上の貧しさと生活苦が待っていることは間違いない。決して良くはならないだろう。そう考えれば、自分の代わりに税金を納めてくれる大金持ちがいることは本来、喜ぶべきことなのかもしれない。
 大金持ちに対する嫉妬心というものは百害あって一利なしということにいいかげんに気付いた方がよいと思われる。(脱税を勧めているわけではないので、誤解のないように。)

 余談ですが、これを書いている私自身も95%の内の一人です。

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生きた経済ブログ オープン

 2007年、『生きた経済ブログ』をオープンします。主に『経済』に関する事柄を中心に、様々な話題を書き綴っていきたいと思っています。  目標は毎日10000人のブログ閲覧者と、ブログの書籍化です。

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