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2007年3月

日本の中にある2つの国家

 日本の中には2つの国家が存在すると言われることがある。
 この2つの国家とは、民間企業を中心とした資本主義国家と役所を中心とした社会主義国家だ。
 資本主義と社会主義の定義は、経済を市場に委ねるか役人に委ねるかの違いだが、もう1つの違いは、ズバリ、コスト意識を持っているか持っていないかの違いだと言える。

 バブルの崩壊によって、日本では多くの企業でリストラが行われた。あまりにも急なリストラだったため、本来、有能な社員であっても理不尽なリストラに遇った人は大勢いた。当時、多くのサラリーマン達は、今までの常識では考えられなかったこの異常な事態に当惑した。一体、日本経済に何が起こっているのだろうか?と疑問に思った。
 この時期に発生した一大リストラは、実は日本社会における社会主義の崩壊を意味していた。
 しかし、大きな問題が残った。民間企業にある社会主義は崩壊したが、役所の社会主義は崩壊せずにそのまま残ってしまったことだ。
 それ以前にベルリンの壁が崩壊して、事実上、世界における社会主義は崩壊したが、その後のバブルの崩壊によっても、日本の中の社会主義国家は崩壊しなかったのである。

 民間企業はバブルの崩壊より現在に至るいわゆる失われた10数年の間に、徹底的にコストを切り詰め、合理化に努めてきた。その努力をせずして厳しい競争社会を生き残ることはできなかったからだ。
 幸か不幸か多くのサラリーマン達はこの期間に“コスト意識を持たない資本主義は有り得ない”ということを実体験を通して否が応にも思い知らされた。
 バブルが崩壊する以前は、コスト意識などを持たなくても気楽に仕事をやっていけた。それほど有能でない経営者であってもドンブリ勘定で会社経営をやっていけた。しかし、それが通用しない世の中になった。つまりコスト意識を有した資本主義者でなければ会社経営を行っていけない時代に突入したのである。

 転じて、日本の中の社会主義国家に目を移してみよう。役人の税金の無駄遣いは今に始まったことではないが、夕張市の破綻を観るまでもなく、この国の役人にコスト意識が欠けていることは疑いの余地はなく、誰の眼にも明らかだ。それはそうだ、世間がどんなに不況に苦しんでいたとしても、国民の税金が決まって入ってくるのだから、コスト意識など芽生えなくても無理はない。そんな環境でコスト意識を持てと言う方が無理というものだ。
 民間企業の経営者がドンブリ勘定で会社経営をしていた頃に「コスト意識を持て」と言われて、「はい、そうですか」と応える人は稀だったはずだ。あの時期、多くの経営者はこう応えたはずだ。「それはなぜですか?」と。現在の役人もこれと同じ。
 何が言いたいのかというと、現在の役人は、今もバブル崩壊以前、つまり20世紀に生きているということだ。
役人達は21世紀に渡るための洗礼ともいうべきコスト意識を持たないまま、21世紀を迎えてしまったのである。今後の日本経済の発展を疎外する要因があるとすれば、おそらくこの部分(役人達の前世紀メンタリティー)になると思われる。

 マックス・ウェーバーの資本主義の精神を持ち出すまでもなく、コスト意識のない資本主義国家が永続的に発展することなどは有り得ない。民間企業の膨大な税金によって役所を養っていけるのなら問題はないかもしれないが、もはやそんな時代ではなくなってきている。
 現代の日本は、役所のリストラも視野に入れなければならない時代だと言える。
 本来、国民にとって役所というものは必要最低限あればいいのであって、必要最大限になってしまっては困る。国民も普段の生活費同様、役所に対するコスト意識も持たなければいけない時代だと言えるのかもしれない。

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『上海発の世界同時株安』というチャンス

 先日、上海の株式市場の突然の暴落によって、世界中の株式市場が急落した。
 「上海発の世界同時株安」というニュースがマスコミを通じて大々的に報道されると、ほんの少し前まで株式市場の活況を伝えていたエコノミスト達の態度は、こぞって急変した。毎度のことながら一体、この態度の変わりようは何なのか?と言いたくなる。
 それとも、マスコミの風見鶏エコノミスト達は自分達の発言には何の根拠もないということを自ら証明することを望んでいるのだろうか?

 自分の経済予測に自信があるのなら、一時的に株価が下がったところでコロコロと意見を変える必要はないと思われるが、株価が上がり出せば楽観論者になり、下がり出せば直ぐさま悲観論者に変化してしまう。そのカメレオンの如き様は、株価が下がるたびに投げ売りしている素人投資家となんら変わるところがない。上がり出せば買い、下がり出せば売るという素人投資家のメンタリティと全く同じだと言える。その精神構造は、株式投資を行う者にとっては致命的とも言えるが、それ以前にこんなデタラメな商売が成り立っているのはある意味、不思議だ。

 心理ゲームとも言われる株式投資において、付和雷同型の性格はウィークポイントであることは言うまでもない。こういう性格の人達は、自らが“高値で買わされて安値で売らされる”というゲームの主人公になっていることに気が付かない。
 “いかに高値で買わせて、いかに安値で売らせる”かというゲームがあるとしたら、勝敗を決するものとは何だろうか?
 株式投資は短期的に見ればゼロサムゲームと言える。誰かが得をするためには誰かが損をしないといけない。損をするのは“高値で買って安値で売る人”であり、逆に得をするのは“安値で買って高値で売る人”だということは冷静に考えれば誰にでも解る。
 余程の経済的ファンダメンタルズの悪化でもない限り、株価の暴落時というのはある意味、絶好の買いチャンスだと言える。しかし多くの投資家はこのごく単純な真理を完全に見失ってしまう。

 マスコミの風見鶏エコノミスト達はその悲観論によって、巧みに集団心理を操る。それは意識的に行っているのか無意識的に行っているのかは知らないが、結果的には株価暴落に拍車をかけていることは間違いがない。しかし、その集団心理を見透かした上で巨額の投げ売り資金を我が物にしている狡猾な人達がいたとしても不思議ではない。

 「人の行く裏に道あり花の山」という言葉が示す通り、今回の暴落時をチャンスと思えた人は株式投資に向いているタイプと言える。
 株価暴落時に慌てて取り乱してしまう人と、冷静な対処ができる人との違いは一言で言ってしまえば「信念が有るか無いか」の違いだ。具体的に言えば、ミクロの単眼でしか経済を観ることができない人と、マクロ的な複眼で経済を観ることのできる人との違いと言えるのかもしれない。

 中国経済は確かに過熱感を伴ったバブル的な一面を持ってはいるが、上海市場の急落によって、それが本当に表面化したと思った人と、表面化するのはまだ先の話だと思えた人がいた。どちらが正解だったのかは、そのうち判るだろう。
 マスコミの風見鶏エコノミスト達は、株式市場に少なからず影響を与える力を持っている。しかし、経済を報道することができても、経済を動かすことはできない。
 いくらミクロ的な報道を大々的に行ったところで、マクロ的な経済が動くわけではない。そこを踏まえた上で株式投資を行わないと、心理ゲームの勝者になるのは難しいと言えるだろう。

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