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2007年4月

保険金の不払い問題の核心とは?

 生命保険会社における保険金の不払いが社会問題となっている。
 某新聞の発表では、生命保険会社38社を対象とすると、過去5年間で284億円もの不払いがあったらしい。しかしこれはあくまでも表面化したものだけの数字なので、実際はこの発表の数倍の金額になることは間違いないだろう。
 なぜこんなことが発生するのかをよく考えると、いくつかの原因が考えられる。
 この記事でも伝えられてはいるが、まず“契約者から請求がない”ということが大きな理由らしい。より正確に言うなら、“契約者から請求がない”ではなく“契約者が気付いていない”ということだろう。

 実際、ハッキリと死亡したケースなどで不払いになることは無いだろうし、そんなケースで不払いがあった場合はすぐに発覚してしまう。しかし未だに発覚せずに水面下に眠っている不払いが多くあるということは、結局のところ、契約者自身、保険金が入ることに気が付いていないケースが多々あることを物語っている。要するに、どのような状態(病状など)ならどんな保険金(一時金や通院費など)が入ってくるのかを理解していないわけだ。
 このような人達に対しては、保険会社の人間からお節介(?)を焼かなければ、保険金が出ないまま放っておかれ、数年後に気が付いたとしても、その時には保険金の申請期限切れで、保険金が支給されないという結果になってしまいかねない。

 保険契約の詳細を把握していない契約者サイドにも全く責任がないとは言えないが、契約者自身が気付かない限り、保険金は支払わなくてもよいなどという言い訳が通用するとても思えない。よく詐欺事件で、小さな文字で重要な契約内容が書かれている契約書などが問題になることがあるが、ある意味あれとよく似ていると言えるかもしれない。「契約書を読んでいない者が悪い」などと言うのでは、詐欺とほとんど変わらない。

…と、ここまでは一般論だが、不払いの原因をもう少し突っ込んで考えると、保険会社の経済的事情と時代的背景を無視するわけにはいかないだろう。
 保険会社というものも他の業種と同じように需要と供給のバランスで成り立っている商売ではあるが、他の業種とは少し趣が異なる。製造業の場合は需要が増えて供給が追い付かないことは有り難いことになるが、保険会社の場合はこの逆で、供給以上に需要が増えると有難迷惑となる。
 保険会社は基本的に全ての保険契約者から入ってくるお金の総額以上の支払いはできない。保険金を受け取る人(需要)よりも、受け取っていない保険契約者(供給)が圧倒的に多くなければ成り立たない商売であることは誰にでも解る。長引く不況で保険契約者が減少する一方で、逆に高齢者がどんどん増加しているような社会では、保険会社は儲からない。儲からないがゆえに、余計な出費は極力避けたい。つまり保険会社の経費削減が形を変えて保険金不払いとなっているとも考えられる。しかしこの場合、経費削減ではなく、ただの契約違反であることは言うまでもない。

 現在の生命保険というものも、年金と同じ問題を抱えている。ある制約の上でしか成り立たない商売であるという点で。具体的に言えば、人口が増加していく(少なくとも減少しない)時代でしか通用しないルールの基でお金の運用を行っているという点では同じようなものだ。良く言えば自転車操業、悪く言えばねずみ講という点でも同じだと言える。
 保険会社も例に漏れず、社会的環境の変化によって、制度自体が破綻しかかっている業界であることは確かだろうと思う。
 よく言われることだが、統計的には1970年代から既に日本が少子高齢化社会を迎えることになるだろうことはほぼ判明していたらしい。その後、30年を経過してようやくその問題が様々なところで表面化してきたということかもしれない。生命保険会社もその1つだろう。
 以前、年金問題では、政治家の未納問題という小さな問題がクローズアップされて、本当に大きな問題が霞んでしまったことがあったが、生命保険問題も同じかもしれない。
 生命保険問題の核心も、“保険金の不払いがあった”ことではなく、“保険金制度が破綻している”ことだと考えた方が正解かもしれない。

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選挙活動における理想と現実

 世間では統一地方選挙の選挙活動が行われている。
 毎度のことながら朝の駅前演説に始まり、昼は選挙宣伝カーが走り回り、夜は各地の選挙事務所等で集会が行われている。いかにも精力的な活動が展開されているように見受けられるが、一体あのエネルギーはどこから湧いてくるのか不思議に思う時がある。
 社会をより良くしたいという願望が根っこにあるのなら、立派な活動だと言えるだろうが、果たして全ての立候補者はそんな理想を描いているのだろうか? 仮に描いているのだとしても、その理想が実現可能なことなのかどうかを理解した上で選挙に臨んでいるのだろうか?

 まず、よく聞かれることは、次の2点だ。
 『税金の無駄遣いをストップさせて、税金を安くする』
 『社会福祉を充実させて、弱者に優しい政治を行う』

 はっきりと言うと、この2つの政策は矛盾しており、両方が成立することは基本的には有り得ない。
 税金を安くすれば、社会福祉は貧弱にならざるを得ないし、逆に社会福祉を充実させるためには、税金は高くならざるを得ない。これは当たり前の理屈であって、よく考えれば誰にでも解ることだと思う。
 政治家が行うことは、単純に言ってしまえば、国民から税金を徴収し、その税金を分配することだけだ。入ってくるお金と出ていくお金を管理するだけ。入ってくるお金を減らせば、出ていくお金も増えることはない。具体的に言えば、税収が減った状態で、福祉を増やしてしまえば、国の借金が増えるだけだ。

 政治家が国の借金を増やさずにできることは、次のどちらか一方だけだ。
 『税金を安くするが、社会福祉も減少させる』
 『税金を高くするが、社会福祉も増加させる』

 結局のところ、どちらか一方を捨てざるを得ないのである。二兎を追う者は一兎も得ずという諺があるが、現在の日本の政治はまさにこの状態にあると言っても過言ではないだろう。二兎を追うがゆえに国の借金は雪だるま式に増えていかざるを得ない。
 「減税も福祉も実現しましょう」などと言っている政治家がいるのなら、それは現実を理解せずに理想論に酔っているただのペテン師だと言われても仕方がない。
 「税金を安くして、社会福祉も減少させましょう」
 「税金を高くして、社会福祉も増加させましょう」
と言って選挙活動を行っている人が何人いるだろうか? 「そんなことを言えば、誰も投票してくれない」と嘆く立候補者が出てくるかもしれない。
 しかし、政治的に実現可能なことを掲げるのが、政治家の仕事だ。実現不可能な政策を掲げ、国民に幻想を抱かせるのが政治家の仕事ではないはずだ。選挙活動の目的も、国民に夢を見せることではなく、現実を見せることを目的とするべきだ。

 それが如何に厳しい現実であろうと、その現実を受け入れて、一人一人がその現実に立ち向かってこそ、国も政治も良くなるのである。 現実から逃避させて、全てを国に任せる集り(たかり)のような人達を増やすことはいい加減に止めた方がいいかもしれない。

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