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2007年8月

映画『それでもボクはやってない』

 日本の裁判制度の盲点(暗部?)を突いた映画『それでもボクはやってない』をDVDで観てみた。
 映画の主人公は、運悪く満員電車での痴漢の犯人にされてしまい、逮捕拘留から裁判までを経験することになる。
 ありそうな話(痴漢と間違われること)ではあるのだが、よく考えると未だこういった社会派映画は日本では製作されていなかったようだ。痴漢の真犯人を見つけて晴れて無罪、ハッピーエンドというドラマならあったかもしれないが、裁判の現状を克明に描き出した映画はこれが初めてであり、かなり画期的でもあり、センセーショナルな映画だった。

 近代民主主義国家には「推定無罪」という言葉がある。一言で言えば、「疑わしきは罰せず」という意味となるが、この映画を観ていると、どうやら日本ではこの反対の「疑わしきは罰する」となっているように思われた。
 逮捕された人間を、無罪を前提に取り調べるのか、有罪を前提に取り調べるのか、この違いは実に大きい。本当に犯罪を犯した人間には推定有罪の適用は仕方がないとしても、無罪の人間に推定有罪を適用されては堪らない。冤罪者になった人間から見れば、警察官も検察官も裁判官も正義の味方ではなく、地獄の鬼のように見えるのかもしれない。

 この映画でも描かれていたが、日本の裁判制度というものは、その下地に官僚制度というものが存在するため、裁判自体が点数化されており、まるで融通の利かないムラ社会制度と成り果ててしまっているようだ。そのせいか有罪判決率は99.9%となっているらしいが、海外の知識人達はこの数字に皆、一様に驚くそうだ。そんな検挙率は冤罪が入っていない限り有り得ないと。
 有罪を取ることがプラスで、無罪となることがマイナスになるというふうに裁判を点数化されてしまっては、冤罪者の人権などは全く無視されているとしか思えない。一体、誰のための裁判なのか?と強い憤りを感じた。
 この映画はフィクションとはいえ、妙な現実味がある。監督の周防正行氏が「使命感を持って徹底的にリサーチして製作した」と言うだけあって、限りなくノン・フィクションに近いのではないかと思える。

 主人公は、都合十数回の公判を通して、日本の裁判制度の真実を発見するに至る。
 そして裁判官という存在の矛盾を視聴者である我々に容赦なく突き付ける。内容はネタバレになるので控えるが、大抵の人はここで膝を打って納得されられてしまう。

 裁判官とは、人が犯した罪を裁くことができる存在だと皆思ってきた。しかし、それは本当だろうか? 例えば、人を殺した犯罪者が裁判官に懲役10年を言い渡されたとして、刑期を大過なく無事に過ごせば罪が消えるだろうか? 確かに法的には消えるだろう。しかし、その犯罪者はそれで本当に納得するだろうか? 人を殺してしまったという事実がわずか10年で心から消えてしまうだろうか? おそらく、その犯罪者の心から殺人者という事実が消えることはないだろう。その犯罪者に良心が芽生えれば尚更のことだ。刑期を終えていたとしてもその犯罪者はこう思うだろう。自分の罪を償いたいと。刑期を終えた犯罪者が良心の呵責に苦しみ自殺をするというケースもあることが、そのことを如実に物語っている。つまり現実としては、裁判官に他人の罪を裁くことはできないのである。なぜ? 他人であるがゆえに。

 では裁判は不必要なのかと言えば、そんなことはない。もちろん必要だろう。罪を犯した人間に何の罰も与えられなくなれば、犯罪天国になってしまう危険性がある。そういう意味では裁判は必要だろう。しかし、裁判官の役目というものは、“犯罪者に罰を与えること”であって、“犯罪者の罪を裁くこと”ではないはずだ。裁判官が神様でもない限り、他人の犯した罪を裁ける資格などあろうはずもない。
 本来、自分の犯した罪を裁くことができるのは、罪を犯した本人しかいない。そして裁判官自身も罪を犯す存在であることを、この映画のラストで気付かせてもらった。


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映画鑑賞料金の現状と改善提案

 最近では、昔ながらの窮屈(長時間座っていると腰やお尻が痛くなる)な映画館はすっかり鳴りを潜め、現在では大型のシネマコンプレックス形式(同時に複数の映画上映を行っている)の映画館が流行(?)している。

 これらの映画館は、待ち合いロビーや売店もトイレも広く、座席シートもゆったりとしており、左右に肘掛けもあり缶ジュースなども置けるようになっている。そして前に座った人の頭が邪魔で映画がよく見えないという従来の映画館の最大の難点も設計上かなり克服されている。そしてネットを介して事前に予約することもできるので、満席で観れない(または立ち観する)ということも防げるようになった。

 このように、必ず座れて、座っていてもストレスを感じることなく映画を観ることができるようになったことは、映画鑑賞者という消費者の視点に立って付加価値を付けたという意味では大いに評価できる。
 しかし、映画館がそんなに便利に改善されたとはいえ、映画館へ足を運ぶ人が減少傾向にあることは周知の事実だ。
 ではそれはなぜだろうか? 単に不景気だからか? 少子高齢化で映画鑑賞人口が減少したからか? それとも映画の質が低下したからか? 上映映画のDVDレンタル化が昔よりも早くなった(またはDVDソフトが安価になった)からか? いや、むしろそういった周りの環境の変化というよりも、映画館自体にもまだ改善すべき問題が残っているのではないだろうか? ではそれは一体何だろうか?

 映画館というハードは時代とともに変化したが、消費者が望んでいることは、主として2つある。それは“映画をストレスなく楽しむこと”と、“映画をより安価に楽しむこと”である。前者のストレスなく鑑賞することは改善されたと言えるが、後者の安価で鑑賞するということは依然として改善されていない。この部分がネックとなっているのではないだろうか? つまり、映画鑑賞料金の見直しである。

 現在の映画鑑賞には、通常、大人1人1800円が必要になる。(前売り券を購入した場合や、映画の日などの特別料金は考えないものとする)
 カップルなどが2人で映画を観るとなると、割引きがあっても2人で3000円以上の料金が必要になる。現在のデフレ経済下で、この料金はお世辞にも安いとは言えない。(どんな映画であっても一律料金というのも可笑しな話ではあるが)

 映画館サイドからは、「ただでさえお客が減っているのにこれ以上、料金を安くすると映画館自体の経営が成り立たない」という意見もあるかもしれない。しかし鑑賞する人数が2倍になれば、たとえ料金が1000円であっても以下のように売上はアップする。

 1800円で100人のお客が入れば、18万円の売上になる。
 1000円で200人のお客が入れば、20万円の売上になる。

 売店での売上等もアップすると考えられるので、実際は1.5倍の150人でも18万円の売上なら達成される可能性がある。これは一種の賭けかもしれないが、試験的に試してみる価値はあるかもしれない。

 もう1つ、見逃すことができないのが、映画の違法コピーという問題だ。上映中の映画(上映前の映画も)がDVDで1枚1000円程度で違法に売られていることがある。なぜこんな違法犯罪が横行し、繁盛するのかと言えば、結局のところ、映画鑑賞料金が高過ぎるというのも1つの遠因になっていると思う。
 消費者が求めている料金と提供者が設定している料金に大きな差が生じる場合、その差(=スキマ)を埋める商売が必ず生まれる。それは本来であれば、適法として出現することが望まれるが、映画に関しては違法業者が先にそのスキマを埋めることを発見してしまった。誤解を恐れずに言えば、彼ら自身は違法を行っている犯罪者であることに違いはないが、違法行為であることを除けば市場原理に則った商売を行っているとも言える。
 映画業界保護のためにも著作権保護のためにも、違法コピーは全廃にすべきだという指摘はもっともではあるが、そもそも違法コピーが流行する背景にはどのような理由があるのかということも考える必要があるのではないだろうか?

 映画館には、違法コピーには絶対に真似のできない長所がある。違法コピーは安いといっても、映画館で観る映画とは迫力が違う。そして映画館には誰にも邪魔されることなく映画に没頭することができる空間がある。
 しかし、その長所を最大限に活用するためには、価格面でも見直しが必要だということを、皮肉なことに違法コピー業者が教えているのかもしれない。
映画鑑賞料金が違法コピーと同じ位の料金であれば、映画館で観ることを選ぶ人は多いはずだと。
 「今はネットで違法コピー映画を無料で入手することができる」と言う人がいるかもしれないが、その場合であっても映画館の長所が失われるわけではない。1000円なら映画館で観てもよいという人は、増えることがあっても減ることはない。

 ただ、映画館と違法業者の安値競争というイタチごっこに発展してもらっては困る。その結果、映画鑑賞料金が500円以下などということになると、今度は、レンタルビデオ店が困ることになる。映画鑑賞料金とレンタル料金が同じであれば、映画を観る人が増えても、レンタルする人が減少してしまうかもしれない。その場合、レンタル料金を下げろという意見が出てくるかもしれないが、それは市場原理に則っているわけではない。なぜなら、違法業者というものは、違法コピーという名が示す通り、コストがほとんどかからない。彼らは商売としては市場原理に則ってはいるが、コスト面では市場原理外にあるからである。彼らと競争しても勝ち目はないし、競争し続けることは市場原理の破壊になってしまう。

 ゆえに、消費者(映画鑑賞者)サイドにもある程度の譲歩は必要だ。映画鑑賞料金が1000円になれば、違法コピーには手を出さずに映画館に観に行くという暗黙の了解があってもいい。それくらいの倫理観を持った人が増えないと、映画館も映画鑑賞料金を下げるというリスクは冒せないし、違法コピーも無くならない。
 提供者と消費者が譲歩し合うことで、生活環境はより改善されるということを証明してもらいたいものだ。

(追記)
 上記はあくまでも現状での私見であり、絶対にそうしなければならないというような融通の利かないガチガチの話をしているのではありません。
 「そんなのは理想論だ」「机上の空論だ」と言われれば、それで終わりであり、何の進歩もありません。反論や批判は大いに結構ですが、他人の書いた文章に対して反論するのであれば、反論だけでなく、納得のいく前向きな持論(自論)を展開してくれることを願います。

後日談【映画鑑賞料金の改善提案】を追加(2007.9.12)

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ゼロ金利政策から生まれた慈善家達

 日銀のゼロ金利政策が採られて久しい。(※1)
 かつて、郵便局や銀行の定期預金を利用すると、10年間で資産を1.5倍位にすることも可能だった時代があった。しかもノーリスクで1.5倍になるというのだから、資産家は働かなくとも食べていけるという時代だった。そんな夢(?)のような時代がほんの少し前までは実際に存在していた。
 当時は、よくこんな話が聞かれた。

 「1億円あれば、定期預金すると利子だけで生活ができる」

 仮に年率5%であれば、500万円の利子がつくのだから、確かにその通りだった。上記の話は、現代の場合、こう変化している。

 「2億円あれば生涯働かずに生活できる」

 この違いは実に大きい。前者の場合、1億円あれば、元本は目減りすることなく生活ができるが、後者の場合、2億円を食いつぶすという意味なので、全く認識が違うと言える。

 元々、金融の世界において、ノーリスクでお金が増えるなどということは有り得ないことだが、その有り得ないことがかつての日本では現実に行われていた。そして、資本主義社会において、ゼロ金利などというものも本来有り得ないことではあるが、これも現在、現実に行われている。この両極端の有り得ない制度に何の疑問も持つことなく、平然と暮らしている人々がいること自体、驚きに値することではあるが、国民に大した疑問を抱かせることなくやり過ごしている政府の国家運営にも、驚きを通り越して呆れてしまう。

 なぜ、ゼロ金利政策を維持しなければいけないのかと言えば、銀行の不良債権処理のためであることは誰もが知っている。政府は「銀行が破綻すれば大変なことになるので、国民の皆さんはゼロ金利でも我慢してください。」と言っている。
 仮にそれが真実とした場合「国民は国のために我慢しましょう。」というのは理解できる。(かなり社会主義的な発想ではあるが…)
 しかし、銀行がその急場を凌げた場合、国民には何か我慢した見返りがあるのだろうか?という疑問は拭えない。
 最近でも、(嘘か真か)銀行が至上最高の利益を上げたなどというニュースが流れてはいるが、預金者である国民に何か恩返しがあったのか?というと、実は何も無い。
 大抵の銀行は相も変わらず、半公務員の如く、土曜日曜祝日は営業しておらず、給料は高いまま、おまけに銀行手数料だけはちゃっかりと徴収し、国民はお金は銀行に貯金するものだと思い込んでいるという体たらくぶりだ。

 しかしそれでも国民はせっせと働き蟻のように、銀行という女王蟻にお金を貯金する。「自宅に現金を置いておくと、泥棒に持って行かれるかもしれない」という言葉だけを信じて。
 銀行はどんどん利益を上げても、一切、国民には還元しない。冷静に考えると、これほど馬鹿な話もないような気がする。

 銀行を株式会社に喩えると、預金者というのは株主の立場に該当する。株価(元本)が値上がりすることもなく、利益を出しても配当(利子)も出さないような株式会社に投資するような投資家がいるだろうか? そんな酔狂な投資家はおそらくいないだろう。もしいるのだとすれば、それは投資家ではなく、ただのボランティア精神に溢れた慈善家だ。
 慈善活動をすることは悪いこととは思わないが、日本には、自分自身が慈善活動を行っているという認識を持っていない奇特な慈善家が数多く存在している。それが日本経済にとって良いことなのか悪いことなのか…。
 無意識の慈善家達が日本経済に与える影響、それが悪い結果を齎すものでないことを願いたい。

(※1)一応、2006年には解除ということになってはいるが、実質はほとんど変わらないので現在も続いているものと考える。

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