« 映画『それでもボクはやってない』 | トップページ | BOOK『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』 »

少子高齢化問題の解決策(?)

2007090401 政府は歯止めのかからない少子高齢化から脱却するために、現在までに様々な諸施策を講じてきたが、未だ全くと言っていいほど解決に向かわないことは周知の通りである。少子化に歯止めをかけるどころが、ますます悪くなっているというのが現状だ。無論、歯止めをかければ即解決というわけではなく、そこから更に増加させるというウルトラCを演じないことには、この危機(?)を乗り越えることはできないという状況になっている。
 具体的に言うなら、1組の夫婦から最低3人程度の子供が産まれない限り少子化から抜け出すことは不可能だが、晩婚や未婚も増加していることを考えれば、3人どころか4人でも少ないかもしれない。しかし実際に兄弟・姉妹が4人もいるような家庭は現在ではほとんど見かけなくなった。このことからも、4人という数字が現代の日本ではいかに現実味のない数字であるかは誰もが理解できると思う。

 高齢化は物理的に避けられないとしても、なぜ、少子化に歯止めをかけることができないのだろうか? 政府の諸々の施策自体が根本的に間違っているという意見もあるが、少子化が進んでいる原因とは何だろうか?
 少子化の原因とは何か? それは、なぜ日本人が子供を産まなくなったのか?という問いに対する答えと同様であるが、これはとても一口では言えない。様々な原因が混然一体となって現在の少子化現象が現れていると考えるべきであり、1つの解を求めたからといって、簡単に解決するような単純な問題とは思えない。はっきりと言ってしまえば、森羅万象を司っている神様にでも聞くしか本当の解答を得ることはできないかもしれない。
 もともと人間には、経済を全て把握することなどはできない。それゆえに、エコノミストなどという商売も成り立っている。経済予測がハズレたとしても、誰からも文句を言われない商売が成り立っているのは“人間には未来が分からない”ということに起因している。そのことは同時に、人間が如何に無知無能な存在であるかの証明でもある。

 さて、少子化の原因をその少ない人間知で考えてみよう。
 現代の政府が、国民に対して「子供を産みなさい」「子供を殖やしなさい」と言ってもまるで効き目がないが、これが戦前ならどうだろうか? 政府が「子供を産みなさい」「子供を殖やしなさい」と言えば、どうなる…いや、どうなっただろうか?
 言わずと知れたことで、国民は意識するしないに関わらず、その実現に向けて一致団結して協力した。所謂「産めよ、殖やせよ」政策は、この時代ではいとも容易く実現してしまった。これが実現したせいで、現代の高齢化社会が生まれたわけでもあるが、現代と一体何が違ったのだろうか?
 その頃の人々は現代人よりも裕福だったのか?というと、必ずしもそうでもなかった。決して経済的に恵まれていたわけではなかったにも関わらず、国民は多くの子供を産み、そして育てた。なぜか? 「昔の人は忍耐強かったから」というような理由だけでは説明がつかない。

 では、なぜ今の政府の言うことは素直に聞き入れられないのだろうか? 政府が頼りないから? それもあるかもしれない。しかし、もう少し踏み込んで言うなら、政府(=国家)の力が弱くなったというのが、1つの答えかもしれない。先進国の人々はあまり子供を作ろうとせず、発展途上国の人々は子供を多く産む傾向にあることはよく知られた事実である。国が成長して成熟し、衰退していく過程においては産まれる子供は数も減少していくことになる。それは、国民が、自国の未来にどのようなイメージを抱いているのかということと大きく関係しているとも言える。
 あるいは、“天皇=神様”という認識を持たなくなった国民が増加した結果だと言えるかもしれない。つまり、国ではなく、個人が主役の時代が訪れつつあることの証明として少子化現象というものが現れているとも考えられるわけである。国というものを中心に動いていた日本社会が、個人を中心に回り始めた。それは恰も天動説が地動説に突然変化したかのように、日本人の価値観が変わってしまったという証左ではないだろうか?

 ところで、個人が主役の時代を迎えることは、はたして不幸なことだろうか? 国から見れば不幸であることは確かだろうが、個人から見た場合はどうだろう? もし不幸であるなら、なぜ人々は自ら不幸になることを選択しているのだろうか? まさか、国民の多くが自らを不要な存在だと思い込んで、無意識的にアポトーシス(プログラム化された細胞死)を演じているという訳でもないだろう。

 海外から大量の移民を受け入れれば少子化問題は即解決と言えなくもないだろうが、世界全体から観た場合、日本の少子化現象というものも、あるいは必然的に起こった自然現象のようなものであり、人為的にどうこうできるようなレベルの問題ではないのかもしれない。
 少子化の行き着く先には希望が待っているのか、それとも失望のみが横たわっているのか、未だ誰にもハッキリとした答えは解らない。その答えも結局のところ、“神のみぞ知る”なのかもしれないが、今後も当ブログの1つの研究テーマとして追究していきたいと思っている。

 最後に、現在の少子化を解決する1つの方法は、政府が信用を取り戻すことが前提である…と述べたいところだが、それは多くの国民にとってはいらぬお節介なのかもしれない。国が国民の行動をコントロールするというのは“社会主義”を意味している。戦前・戦中の日本ではお節介な社会主義が上手く機能していたわけだが、今時、そんなお節介をして喜ぶのは国家社会主義者くらいのものだろうし、地動説を天動説に戻して喜ぶのは時の権力者くらいのものである。

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« 映画『それでもボクはやってない』 | トップページ | BOOK『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』 »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

iine!!
koukennsuruyo!

投稿: iwasaki hiroki | 2011年4月12日 (火) 12時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/16343979

この記事へのトラックバック一覧です: 少子高齢化問題の解決策(?):

« 映画『それでもボクはやってない』 | トップページ | BOOK『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』 »