« 政府の少子化対策=公務員極楽天国方案 | トップページ | 参議院選挙は『肉を切らせて骨を断つ作戦』? »

『資本主義の精神』と『勤勉の精神』

 『資本主義の精神』というものがある。
 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という有名な本(下記参照)もあるので多くの人に知られている。
 この資本主義の精神とはどういうものなのかというと、簡単に言えば、高度な倫理観(宗教観)を基に労働を行わなければ、本当の資本主義社会は生まれないというものだ。
 通常、日本の多くの人々は「資本主義」と聞くと“弱肉強食”“優勝劣敗の競争社会”“金儲け至上主義”などという負のイメージを思い浮かべる人が多い。そういうものも確かに資本主義社会の一面ではあるが、もっと多角的に捉えなければ資本主義の本質は理解できない。ミクロ的な批判ばかりしていてはマイナスな面しか見えてこないが、マクロ的な視点で見るとそこには社会を良い方向に向かわせる大きなヒントが隠されている。

 具体的に、ある2人の人物を例にして考えてみよう。
 ある会社に、高度な倫理観を持った人間(以下A)と倫理観の全くない人間(以下B)の2人が存在していたとしよう。
 Aは勤務時間中、不必要な休憩を一切せずに無私の心で働いており、Bは勤務時間中、少しでも休憩した方が得だと考えて働いていた。 当然、2人の仕事には差がついた。言うまでもなくAの方が断然能率的だった。Aは常に仕事を合理的に行うことを考えた。一方、Bはさぼることばかり考えた。Aはどんどん効率的に仕事をこなせるようになっていったが、Bは一向に進歩しなかった。
 さて、この2人の給料が同じで、昇給も同じだった場合を考えてみるとどうだろうか? Aのような人間ばかりの会社とBのような人間ばかりの会社があれば、そこにはどんな差が発生するだろうか?
 答えは、前者(前社)は発展する可能性があるが、後者(後社)は確実に衰退する。

 ではそこに競争原理を導入するとどうなるか?
 答えは、前者(前社)は努力次第で競争社会でも対応していける可能性があるが、後者(後社)はあっという間に淘汰される。

 競争がどんどん激しくなってくると、コストを少しでも抑えなければならないという合理的な精神が働くが、その精神が働かないなら、そこには資本主義社会は生まれない。一時的に生まれたとしても永続的には続かない。コスト意識(=合理化の追求をすること)が無ければ資本主義社会は続かない。なぜならコスト意識が無ければ、基本的に競争という概念が存在しなくなってしまうからだ。競争というものは合理化の追求があってこそなされるものであるからだ。
 そしてそういう姿勢の容認は、高度な倫理観があって初めて為される。それが資本主義の精神と言える。平たく言えば、さぼらず、向上を目指す精神的思考、もっと簡単に言えば、働くことは良いことだと思える精神と言えば解りやすいかもしれない。
ただ、高度な倫理観を持っていない者であっても、表面的に捉えると“コスト意識”さえ持っていれば一応は資本主義者とは言える。

 まるでアリとキリギリスの話のようだが、実はキリギリスでは資本主義者にはなれない。しかし日本の多くの人は、キリギリスこそが資本主義者の姿だと思っているフシがある。

 ソ連が崩壊したのは、この資本主義の精神が無かったからと言えるが、現代の日本はどうだろうか? モノづくり大国日本には、その下地に“勤勉の精神”というものが存在していた。現在でも「定年後も社会のために働きたい(または働いていないと罪悪感を感じる)」という老齢者が多いことがそれを物語っている。
 日本では20世紀にモノづくりのヒーロー達が数多く輩出した。そのヒーロー達は、労働哲学とでも言えそうな観念を日本の製造業社会に深く刷り込むことに成功した。そのお陰もあってか日本の製造業は世界一の技術水準と競争能力を兼ね備えることになり、日本経済を支えるまでに成長した。

 日本の資本主義の精神とは、必ずしも欧米のような宗教的な倫理観を下地にしたものではない。宗教が全く根付かない国で本来芽生えるはずのない高度な倫理観を奇跡的に発芽させることに成功した希有なる国家、それが経済的に観た日本の姿であると言える。資本主義の精神ならぬ勤勉の精神こそが、日本経済を発展させることができた大きな一因だった。(注意:日本の勤勉の精神は20世紀以前から存在していたので、高度経済成長期に勤勉の精神が生まれたという意味ではない)

 敢えて、「…だった」という過去形を使用したことには訳がある。如何に日本版『資本主義の精神』である『勤勉の精神』が重要だと言っても、勤勉の精神だけでは、これからの経済には対応できないと思われるからだ。
 日本版『資本主義の精神』は、モノづくり中心の実体経済下では大きく花開いたが、21世紀の情報化社会では、かつてほどの成功体験を齎す力を持っているとは必ずしも言えないからだ。なぜ言えないのか? この話を掘り下げていくとブログとは言えなくなってしまう(私自身の学習不足もある)ので、取り敢えず、またの機会に譲ることにしたい。

|

« 政府の少子化対策=公務員極楽天国方案 | トップページ | 参議院選挙は『肉を切らせて骨を断つ作戦』? »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/17399244

この記事へのトラックバック一覧です: 『資本主義の精神』と『勤勉の精神』:

« 政府の少子化対策=公務員極楽天国方案 | トップページ | 参議院選挙は『肉を切らせて骨を断つ作戦』? »