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消費不況の正体(ゼムクリップと貯蓄の関係)

 現在の日本の不況は「消費不況」だと言われることがある。個人金融資産が年々増加しているにも関わらず誰もお金を使おうとせず、将来の不安のためにせっせと貯蓄に励んでいる姿を表現したものだ。
 この姿をより理解するために、会社のゼムクリップに喩えてみよう。
 事務系の会社を例にあげると、社内文書のやり取りなどにはゼムクリップというものがよく用いられる。このゼムクリップが仮に10000個有ったと仮定しよう。同じように社員数が100人いると仮定すると、1人あたりのゼムクリップ数は100個になる。各人がこのゼムクリップを貯めることなく使用すれば、社内全体では常に10000個のゼムクリップが行き交うことになる。誰かが100個のゼムクリップを全て使い果たしたとしても、その100個を含めた10000個のゼムクリップが常に社内を行き交っているので、「クリップが無くなった」と嘆く必要はない。
 では、100人の人間全てが、いざという時のために100個の内の50個を机の中に貯め込んでしまったらどうなるだろう? 当然、社内を行き交うゼムクリップ数は半分の5000個に減少してしまう。ここで人々はこう思う。「最近、クリップ数が減少してきたな」と。その不安のため、今度は貯めている50個を60個、70個…と増やしていくことになる。そうすると、社内に行き交うゼムクリップ数はますます減少していき、遂には余程のことがない限りゼムクリップを使用しなくなってしまうだろう。この悪循環こそ、現在の日本の消費不況の姿だと言える。
 年々、社内で使えるゼムクリップ数が増加しているというのに、そのゼムクリップを使用しないために会社全体にゼムクリップが行き渡らなくなる。
言い換えると、
 年々、個人の金融資産が増加しているというのに、その資産を使用しないために社会全体にお金が行き渡らなくなる(=不況になる)。

 別の喩えで言えば、いざという時のために輸血用の血液を貯めることだけに躍起になっている姿にも喩えられる。いくら輸血用の血液を貯め込んでも、その血液を使用しないことには全く価値を生み出さない。死に金ならぬ死に血となってしまう。輸血用の血液を培養して血液が増加する(=利子が付く)ならまだしも、輸血用の血液を出し入れする手数料の方が高いのだから結果的にはマイナスだ。

 消費不況は、投資不況と言い換えることも可能かもしれない。則ち、リスクを恐れて誰も投資しないような社会になってしまえば、見せかけの個人の安定とは裏腹に本当の不況を招くことになるということだ。
 先日もテレビ番組で、日本では、将来、実を結ぶであろう優秀な人材の発明などにも投資する企業がほとんどないと伝えられていた。これに比べて海外の投資家達は投資に前向きで、このまま行くと、将来、富を創出する日本人が現れたとしても、その富は、その人材に投資した海外の投資家に向かうとのことだった。
 アメリカなどでは、勉学に励む学生に対して、お金持ちの個人が奨学金を出すということも多々あるらしいが、日本ではそんな話は全くと言っていいほど聞かれない。人材(人財)に投資するという姿勢自体が全く根付いていないとも言える。

 将来的に花を咲かせるであろう花の種に水を与えようとせず、完全に成長しきった花を生かすことのみに執着し、若い芽を摘んでしまう。それが現代の日本の姿と言えるかもしれない。そこには国の将来よりも、現在ただ今だけをやり過ごせばいいというような刹那的な感情が見受けられる。その感情は、我が身の保身のみに執着している国のトップである官僚や政治家達の思考そのままだと言えるかもしれない。
 なぜか「国家の品格」なる言葉が少し前に一世を風靡したことになっているが、はたして己の保身にしか興味のないこの国の御老体(権力者)達に品格などを語る資格があるのかは疑わしいと言わざるを得ない。

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