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サラリーマン社会は『減点主義社会』

 日本の企業社会は、横並びを良しとし、業績よりもミスに厳しい「減点主義社会」だと言われることがある。「減点主義社会」というのは、なるべくリスクを避け、平穏無事に済むのが一番という「事勿れ主義社会」とも言い換えることができるが、実はもう1つの言葉にも言い換えることができる。それは…

 私も以前に勤めていた(転職する前の)会社で、上司に次のような質問を(書面で)したことがある。

「1人の仕事量ノルマを100とするなら、200の仕事をして1つのミスをするのと、100の仕事をしてノーミスとでは、会社にとってどちらがプラスになるのか?」

 無論、この質問に対する回答は無かったが、答えは聞くまでもないだろう。
 100の仕事をする人(以下A)と、200の仕事をする人(以下B)がいたとすれば、AとBの間には仕事量に2倍の差があるわけだから、仮に1つの仕事が1万円とするなら、Aが100万円、Bが200万円の仕事をしたということになる。
 100万円でミスが無いなら100万円のままだが、200万円でミスをした場合、〈200万円−ミスした損害額(ミス×ミスの回数)〉という計算式が成り立つ。そのミスした損害額なるものが100万円以下であれば、ノルマは達成しており、単純にBの方が会社に貢献したということになる。
 ただ、人命を預かった仕事や、銀行のオンラインシステムのような絶対にミスが許されないような仕事(=量よりも質を問われる仕事)の場合は話は別で、Aの方が評価が高くなるという例外的な仕事はある。
 ここでは、そういった例外は考えないものとして話を進める。
 
 先の例では、仕事量100を基準にしており、標準的な仕事量をこなす人と、常人の2倍の仕事量をこなす人を例にあげたが、比率を少し変えて、70の仕事をする人(以下C)と140の仕事をする人(以下D)で考えてみよう。2人の仕事量ノルマが200であれば、CとDの合計仕事量は210なので、一応、ノルマはこなしていることになる。しかし、DがCの2倍の仕事をこなしているがゆえに、ノルマは達成できていることになる。この状態で、Dが1つのミスをしたとしよう。その損害額が仮に20万円であった場合、2人の合計は210−20で190万円となり、ノルマは達成されなくなる。
 
 さて、ここで質問。あなたが経営者の場合、CとDのどちらを評価しますか?
 
 常識的に考えれば、Cは70、Dはミスしても120の仕事をこなしているわけだから、量的な仕事で判断するなら、この場合でもDの方が評価されて然るべきはずだ。ノルマが達成されなかったのは、Dのせいではないからだ。Dがミスしたからノルマが達成されなかったのではなく、Cの仕事量が絶対的に少ないことがノルマを達成できなかった真の原因であるからだ。
 
 ここでもう1度、質問。あなたがDだった場合、上司から「ノルマが達成されなかったのは、お前の責任だ!」と言われて納得できますか?
 
 「できる」と言える人はご立派だと思う。
 
 ではもう1つ、質問。このミスによって、あなたの賞与査定がCよりも低かったとすればどうしますか?(もちろん、金額が少ないという意味)
 
 「自分がミスしたのだから仕方がない」と言えるだろうか? もしそう言えるのであれば、あなたは高度な倫理観を兼ね備えた大変立派な人格を持った人だと言えるだろう。 
 しかし、普通の人なら、次のように考えるだろう。
 「仕事量を半分にしてミスなく仕事すれば、文句を言われることもなく評価が上がるのであれば、真面目に仕事をしない方が得だ」と。
 それで、Dが故意に仕事量を70に減らすようになれば、CとDの合計は140となってしまい、ノルマは大幅に達成されなくなる。そうなると、Cが解雇され、Dは仕方なく100の仕事をこなすようになる。結果、会社の業績は縮小し、場合によっては経営が悪化してしまうという負の循環に陥ってしまうことになる。
 
 さて、この会社の経営が負の循環に陥った原因とは何だったのか? ミスをしたからか? 違う。ノルマを達成できなかったからか? 違う。Cの仕事が遅かったからか? 違う。答えは、Dがやる気を失ってしまったからだ。では、それはなぜか? 『減点主義』という誤った会社体制のためである。
 
 先述の「それは…」に話を戻そう。勘の鋭い人は既にお気付きだと思うが、「減点主義社会」とは、別名「共産主義社会」のことでもあるのである。
 
 上記の例からも分かる通り、個人の能力を認めない社会というのは、結果的に悪循環を生み、停滞を招くことになる。
 サッチャーが「お金持ちを貧乏にしても、貧乏人はお金持ちにはならない」と言ったことはあまりに有名だが、この「お金持ち」という言葉を「個人の能力」に置き換えることも可能かもしれない。「お金持ち(=個人の能力)を認めない社会は、全員が貧乏になる社会」というのは、まさに万古不易の名言と言えるだろう。

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