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「大きな政府」と「スタグフレーション」の類似性

 最近、「小さな政府」と「大きな政府」ではどちらが良いのか?という意見をよく見かけるようになったが、この答えは考えるまでもなく決まっている。
 “誰にとって良いのか?”という前提条件次第ではその答えは違ってくるが、国民にとっては「小さな政府」、官僚(役人)にとっては「大きな政府」と考えてほぼ間違いないと言える。
 不思議なのは、自由民主と名乗る自民党にも、民主を掲げる民主党にも、「大きな政府」派がいることだ。社民党や共産党が「大きな政府」が良いと言うならともかく、なぜ自民党や民主党に「小さな政府」が悪いという人がいるのかが解らない。
 
 今や、官僚の天下り問題が全国民的な改善すべき大問題であることを疑う人はいないと思うが、「官僚の天下りを許す」というのは、=「大きな政府を創る」ことだ。「大きな政府」というのは、平たく言えば「官の無意味な増殖」を意味している。
 民主主義社会においては、可能な限り官の領域を狭めることこそが国民の利益につながる。なぜそう言えるのかを以下に説明しよう。

 仮に従業員が100人の会社があり、その会社の中に営業、事務、生産という3つの職種があった場合を考えてみよう。そのうち、営業が30人、事務が10人、生産が60人が理想的な人員配置と仮定する。
 この会社が不況の煽りを受けて、リストラを余儀無くされた場合、人員をカットしなければならない。
 さて、ここで質問。仮に3割の人員カットをしなければならないなら、あなたはどの部署の人員をカットしますか?
 
 常識的に考えれば、営業から10人、事務から5人、生産から15人位がリストラされるのが相場かもしれないが、ここでこの会社をスケールアップして、日本という巨大な会社(日本株式会社)に置き換えてみよう。
 日本株式会社の人員配置に置き換えた場合でも、理想的な人員配置は営業が30人、事務が10人、生産が60人とすると、バブル経済が崩壊して不況に突入すれば、日本株式会社もリストラしなければならない。そして実際に失われた10年において、日本株式会社は大きなリストラを行った。しかし、リストラが行われたのは、営業と生産だけで、事務はそのまま残った。言い換えると、民間企業だけがリストラを行い、役所はリストラを行わなかった。
 割合的に言うなら、営業から10人、生産から20人のリストラを行い、結果的には、営業が20人、事務が10人、生産が40人という70人体制となった。
 そして景気が少しずつ回復するたびに、新しく人員を雇うとすれば、本来であれば失われた営業と生産を増やさなければならない。しかし、どういうわけか日本株式会社では、事務も増やそうということになり、事務が20〜30人の100人体制になってしまったとすれば、果たしてどんな社会になるだろうか?
 
 事務職というのは、会社には絶対必要ではあるが、利益を生み出さない部署ということを忘れてはならない。事務職だけが際限なく増加していくような会社の行き着く先は経営破綻以外には有り得ないというリアリスティックな視点も忘れてはいけない。ここでいう事務職というのは、無論、公務員のことを指す。「大きな政府」というのは、「事務職だけが増員される会社」と考えれば解りやすいかもしれない。事務職が増え過ぎれば、利益が圧迫され、営業と生産の人達の収入も下がらざるを得なくなる。
 
 現在は、物価が上がっても収入が上がらないという悪いインフレ(スタグフレーション)が日本を襲っているかに見えるが、大きな政府になってもこれと同じようなことが起こる。官が増殖し過ぎると、コストばかりが嵩み、働けど、働けど、一向に収入が上がらなくなるという悪循環社会を迎えることになる。まさしく「大きな政府」とは「スタグフレーション」と同じ効用(?)を国民に齎すことになるのである。
 「大きな政府」×「スタグフレーション」などということになると、もはや救いようが無くなる。ここからも、現在のスタグフレーション下では、「小さな政府」を選択するしかないと言うことができる。
 
 真に国益(国民の利益)を考えている政治家であれば、迷わず「小さな政府」を選択する。では「大きな政府」を選択している政治家は国益を考えていないのか?というと、そんなことはない。彼らは、同じ国益でも“国民の利益”ではなく“国家の利益”(実質は役人達だけの利益)を優先している。つまり、「大きな政府」主義者というのは、社会主義者のことだと思えば間違いない。しかし今時、「国家あっての国民」などと言っていたのでは、いつまで経っても日本の閉塞感を拭うことはできない。思い切って「国家あっての国民」ではなく「国民あっての国家」という方向に舵取りしないことには日本が現在の不況から脱することはできないという現実を考えた方がいいかもしれない。

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コメント

大きな政府・小さな政府というのは、景気循環の状態によって適格性は異なるのではないでしょうか。
需要と供給によるデフレ・インフレの理屈で話はつくと思います。

需要多・供給少の場合は、有効需要の原理により民間に活力が出て、ジャンジャン生産性が高まる方向(インフレ)に向かいます。
よって、このとき政府は余計なことをせず、じっと民間を見つめておればよいのです(インフレ期における小さな政府論)。

逆に供給多・需要少の場合は、有効需要の原理により民間から活力が殺がれ、ジャンジャン生産性が低まる方向(デフレ)に向かいます。
よって、このとき政府は失業者を救済すべく、あらゆる社会的手段を講じなければなりません。一時的にでも政府が失業者を雇用するくらいのことはしないといけません。経済の縮小が収まるまでは、民間が投資できない以上、政府が積極的に投資をやるしかないんです。(デフレ期の大きな政府論)。

一概にどちらが優れている云々ではなく、経済の状態によりけるわけです。
経済理論というのは社会問題に対する解決策(ソリューション)のひとつであるから、適切な場合に適切な理論を選択すべきなのであって
何々派だからどちらが正しいなどという視点

投稿: ばしくし | 2012年6月18日 (月) 09時29分

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