« 「ウナギロンダリング」よりも重要な「有害物質問題」 | トップページ | 『ホームレス中学生』と『清貧の美学』 »

『一億総結婚社会』の理想(恋愛)と現実(結婚)

 現代の日本は、年々結婚しない人が増加し、結婚しないことが不思議でもなんでもないという社会になっている。
 つい20年程前までの日本社会は、誰でも結婚することが当たり前で、結婚しない人は白眼視されるというような『一億総結婚社会』だった。そう考えると、わずか20年程で、社会が完全に反転してしまったとも言える。それが良いか悪いかはともかくとして、結婚というものだけを取り上げても、過去の常識が全く通用しない時代になってしまったと言える。今まで良いとされていたものが悪い…とは言えないまでも、必ずしも良いことだとは認識されなくなってしまった。

 かつての日本社会では、恋愛からそのまま一直線に結婚へ進むというのが一般的なコースだと思われていたが、現代では恋愛というものが必ずしも結婚を前提としたものにはなっていない。「恋愛と結婚は別物だ」という考えの人が多数を占めるのではないかと思われる。
 とは言うものの、もともと“恋愛”と“結婚”というものは別個の概念である。それは“理想”と“現実”と同じようなニュアンスのものだとも言える。
 恋愛は理想論が通用するが、結婚は本来、理想論だけではなく現実論も必要なものだ。本来、経済的な支えなくして結婚生活は成り立たないものであるはずだが、その常識が以前の日本では通用しなかった。誰も彼もが結婚し、無事に結婚生活が営めるということが何の疑いも持たれることなく固く信じられていた。いや、信じる信じないに関係なくそれが運良く実現されていたとも言える。しかし、時代の変化によって、その“結婚信仰”が実は非常識(?)なことだったということに多くの人々が気付いてしまった。

 こんな身も蓋もないことを書くと、どこかから批判の声が聞こえてきそうだが、あくまでもこれは現実論だ。お金が無いのに結婚して子供をもうけて、未来永劫、理想的な生活を営み続けていくことは不可能なことだということを率直に述べているだけである。
 現実を直視することができる人であれば、私の言っていることがトンデモ論でもなければ無情論でも悲観論でもないことは理解していただけると思う。

 話を続けよう。
 最近では、「就職活動」という言葉にちなんで、「結婚活動」(略して婚活)という言葉がよく使われているそうだ。結婚も就職と同じように能動的に活動しないと勝ち取ることができないということらしい。
 しかし、ここで気を付けなければいけないことがある。
 かつての日本では就職活動して企業から内定をもらい、無事に入社できればそのまま定年まで大丈夫というような風潮だったが、現代の就職活動は、入社するまでのコースは同じであっても、その先が全く違うということだ。入社することができたとしても、いつまでその企業に勤めることができるのかは分からない。社会的な影響(倒産など)や個人的な影響(解雇など)という数々の障害物が用意されており、そのままストレートに定年(ゴール)まで勤めることは不可能に近い状況になってきている。運良く定年まで勤めることができたとしても、その先、生活に困らないだけの充分な年金が無事に支給されるという保障もない。
 「公務員だけは大丈夫だろう」という人がいるかもしれないが、おそらく近い将来、公務員も受難の時代を迎えることになるだろう。(希望的観測)
 話が少し脱線したが、結婚活動も基本的にこれと同じだと思って間違いない。就職と同じように、結婚したとしても、その後、幸せなだけの生活が待っているわけではない。昔から、人間関係的(嫁・姑関係など)に躓くということは有り得ただろうが、現代では、まず経済的に躓いてしまうケースが多い。その証拠に、経済的な理由によって生活が破綻して離婚してしまうという人は大勢いる。結婚という理想だけを夢見て勢い余って結婚し、いざ結婚生活を開始してみると、理想的な生活ではなく、普通の生活さえも成り立たないことに気が付く人もいるそうだ。
 この“離婚”というものも現代では大きなリスクとなっている。かつてのような“夫婦喧嘩して離婚するかもしれない”というリスクではなく、“離婚しても恥ずかしくないという認識を持っている”というリスクである。「結婚のゲーム化」と言えばよく解るかもしれない。

 ここで少し、かつての日本社会ではなぜ結婚することが当然だったのかを考えてみよう。現代と何がどう違うのかを考えることで、答えが少しでも明確になるかもしれない。

 以前の日本では、
 1、土地に価値があり、年々、地価が上昇していた。
 2、毎年、年齢とともに給料(賞与)が上がっていた。
 3、定期預金の利子が数%付いていた。

 学生は卒業してから企業に入社することによって、社会的な信用を得ることができた。ほとんどの企業は倒産リスクが無いに等しかったために、その信用を担保として銀行から多額のお金を借りること(ローン)も出来た。そのお金で住宅(土地)を購入すれば、年々、土地の価値が上昇し、給料も年々上昇する。貯まったお金は銀行に預けることで、さらに利子が付き、どんどん資産が増えていった。この繰り返しで、住宅環境自体もどんどん変化していった(=大きく広くなっていった)。大きくなった家には家族だけで住むには勿体ない。お嫁さんが住もうと子供が数人住もうと特に問題はない。お嫁さんを働かせる必要はなく、子供が生まれても教育費用に頭を悩ます必要もない。考えなければいけないのは子供の出来、不出来だけで事足りる。それなら取り敢えず、お見合いでもしよう、結婚でもしようということになった。

 上記は半分想像ではあるが、もしこういうケースがあったとすれば、確かに結婚することに経済的な現実論を持ち込む必要性は無かったと言えるかもしれない。小難しい現実論を考えずに理想論だけで結婚を語ることができたのかもしれない。

 逆に、現代においては、そのような状況を手にしている人間は皆無に近い。

 現代の日本では、
 1、土地の価値が下がり、年々、地価が下落している。
 2、毎年、年齢とともに給料(賞与)が上がらず、下がるケースもある。
 3、定期預金の利子が雀の涙(蟻の涙?)ほどしか付かない。

 極端な例とはいえ、全ての価値が逆転している。これだけ見事に前提がひっくり返ってしまうと、現代の人間が結婚しなくなったのは、むしろ当然の帰結と言えなくもない。結婚しなくなったのではなく、結婚できなくなったと言った方がより正確かもしれないが…。

 実際のところ、昇給があまり望めそうにない経済環境下で、物価だけが上昇していくような社会となれば、子供を作ることが極めて高リスクな賭けとなる。収入が固定されたまま、子供の養育費・教育費だけは年々増加していく。子供の成長とともに生活も困窮していくのであれば、まさに悪夢とも言える。
 現在、端から観れば幸せそうに見える新婚カップルであっても、そういったリスクとは常に隣り合わせであるということも忘れてはならない。

 かつては「子は鎹(かすがい)」と言われたそうだが、そのうち、「こんな時代に子供を産むなんて狂気の沙汰だ」と言われる日が来るのかもしれない。
 こんな身も蓋もないことを書くと、また、どこかから批判の声が聞こえてきそうだが、そんな悪夢のような国にしないためにも、国ばかりに頼ろうとせず、自立する精神が非常に重要だと言える。『お役人依存体質』という心の病を治療して、国民が健全な心を取り戻さないことには、本当に『一億総非婚社会』になってしまうかもしれない。脅しのように聞こえるかもしれないが、それが現実だと思っておいた方が賢明だろう。

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« 「ウナギロンダリング」よりも重要な「有害物質問題」 | トップページ | 『ホームレス中学生』と『清貧の美学』 »

社会問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/41807815

この記事へのトラックバック一覧です: 『一億総結婚社会』の理想(恋愛)と現実(結婚):

« 「ウナギロンダリング」よりも重要な「有害物質問題」 | トップページ | 『ホームレス中学生』と『清貧の美学』 »