« スポーツオリンピックよりも重要な経済オリンピック | トップページ | 「メタミドホス米」という保護目的米(?) »

『タイタニックの悲劇』と『日本の悲劇』

2008091002_3

 福田総理の電撃辞任劇を契機として、自民党がお祭り騒ぎになっている。
 改革路線を放棄したかに見えた福田総理が総理を辞任したことは、日本経済にとってプラスになるのか、それともマイナスになるのか? これは意見が分かれるところだろうが、私の答えは決まっている。その答えは「どちらとも言えない」だ。
 「そんないい加減な答えなら誰でも言えるぞ!」とお叱りを受けそうだが、この「どちらとも言えない」というのは、二者択一的に“良くなるか”“悪くなるか”という意味ではない。正しくは「質問自体が無意味」という意味だ。
 なぜそう言えるのかと言うと、日本の場合、総理大臣に国政を動かすだけの充分な力が与えられているとは思えないからだ。
 昔から小学生に「日本で一番偉い人は?」と聞けば、阿吽の呼吸で「総理大臣」という言葉が返ってくるものだが、日本の総理大臣は、そんな御大層な代物ではない。むしろただの飾りのようなものだと思った方がいいかもしれない。総理大臣がそれほど立派なものなのであれば、そう簡単に辞任などはできないはずだ。ほとんど何の政策も改革も行わず1年や2年で簡単に辞任しても何の影響もないことがそのことを如実に物語っている。つまり極言すれば、国政を動かすことのできない総理であるのなら誰がなっても大した違いはないのである。

 最近、「官僚内閣制」という言葉をよく耳にするようになったが、その言葉の通り、日本では議院(国会)ではなく、事実上、官僚が国政を牛耳っている。如何に優秀な人物が総理大臣になったとしても、国政を操ることができず、逆に官僚の操り人形と化してしまう。
 
 「構造改革」という言葉の本当の意味は、この倒錯した構造を改革することであるはずなのだが、どういうわけか日本では小泉総理によって構造改革が為されたということになってしまっている。規制緩和を行ったことが構造改革を行ったことだと曲解している人も大勢いるように見える。その最たるものが「小泉構造改革によって格差が生まれた」という曲解だ。しかし、残念ながら小泉総理が行ったことは真の構造改革ではなく『小構造改革』だった。規制緩和にしても同様、『小規制緩和』に過ぎなかった。
 格差自体は小泉総理の政策に関係なく初めから存在していた。その隠れて見えなくなっていたものが、初めて認識されるようになっただけのことである。

 政治家にできる仕事とは、限られたパイを分けるという富の再分配業務のみであって、自らお金を稼ぐ手段を持っているわけではない。お金を集めてお金を配るだけと言ってしまえば身も蓋もないが、それが現実だ。しかし、このお金を国内だけで賄おうというのが現代の日本の政治家達の姿だ。国内だけで賄えるのならそれに越したことはないだろうが、世界一物価が高く、世界一少子高齢化が進んだ国でパイの奪い合いをして一体、どうなるというのだろうか? それ以前に、お金を稼ぐ民間企業の邪魔ばかりをし、限られたパイを更に小さくしているのはどこの誰なのかと問いたい。
 現代の日本が行うべきは、世界中に有り余った遊休マネーを呼び込むことだ。ヒトもモノもカネも国内だけで賄っていくのは無理があるのだから、せめて、お金だけでも国内に入ってくるような政策を採るべきだ。それこそ、富を生み出すことができない政治家にできる唯一の価値ある仕事だとも言える。

 今日のテレビでも、これから総理大臣になろうかという人物が、「市場原理主義を否定する」「勝ち組、負け組を作らない社会を構築する」などというスローガンを掲げていた。これはもはやお笑いとしか言いようがない。少なくとも自由民主党に所属する人物の言葉とはとても思えない。「役人原理主義を貫いて、平等を目指す」と言いたいのかもしれないが、それはむしろ共産党か社民党が発言すべき言葉だ。
 現代日本の自由民主党というのは、正式には「自由民社党」と名乗った方がピッタリとくる。無論、民主党には「民社党」という名が相応しい。要するに日本には真なる意味での民主党なるものが存在していないのである。
 もちろん、自民党の中にも民主党の中にも、民のことを考えているまともな政治家はいるだろうが、党内における主義・思想が一貫しておらず、てんでバラバラのまとまりのない集団であることは否定できない。

2008091001_2

 日本が現在の不況を吹き飛ばすためには、既存の秩序を破ってでも、大胆な方向転換をしなければならない。氷山に向かうタイタニックの様相を呈している現代日本丸は、その舵を大きく方向転換する必要がある。しかし、その舵を握っているのが既存秩序を守ることを使命としている官僚達なのだから、どうしようもない。これぞ、まさにタイタニックの悲劇ならぬ、日本の悲劇だ。
 氷山に特攻することを止める人間がいない、そして止めることができる人間がいたとしても、その力を生かすことができないというところが日本の政治の問題点なのだ。この馬鹿な歪んだ構造を改革してこそ、真の構造改革と言えるのだが、はたしてそんなことができる人間が現れるのだろうか?

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« スポーツオリンピックよりも重要な経済オリンピック | トップページ | 「メタミドホス米」という保護目的米(?) »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

「世界一物価が高く」とありますが、今の日本はそんなに物価が高いのでしょうか?品によっては、隣国である韓国の方が高いとも聞きますが……。

投稿: 加藤田中 | 2008年9月15日 (月) 21時51分

加藤田中様

コメント、有り難うございます。

ご質問の件ですが、この10年間程の間に、日本の物価はデフレにおける価格破壊によって全体的に10%程下がりましたが、韓国では逆に30%以上、上がっています。しかし、それでも現在はまだ日本の方が物価は高いと思います。主に交通、電気、ガスなどの公共料金は依然として日本の方が高いままです。そのせいで必要以上に物価が高いと感じられるのかもしれませんが。
ただ、このままいくと、韓国の物価が日本より高くなることは充分に考えられるとは思っています。

余談ですが、私の知人が以前、仕事の関係で韓国に滞在していたのですが、その人曰く、「物価が安いので日本で生活するより贅沢な暮らしができます」と言っていました。5年以上前のことですので、現在よりは物価が安かったとは思いますが、実際に生活していた人が感じたことであることは確かです。
生活実感として「日本の物価が高い」というのは、海外で住まれた経験のある人の決まり文句のようです。

投稿: 管理人 | 2008年9月15日 (月) 23時01分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/42430281

この記事へのトラックバック一覧です: 『タイタニックの悲劇』と『日本の悲劇』:

« スポーツオリンピックよりも重要な経済オリンピック | トップページ | 「メタミドホス米」という保護目的米(?) »