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交通違反における違法性と犯罪性の有無

2008092401

 現在は秋の交通安全週間らしいが、少し前に私も交通違反で減点及び罰金を支払うことになってしまった。どんな違反をしたのかというと、一方通行道を逆走してしまったというよくある交通違反なのだが、距離にして20m程の短い距離だった。
 その道路は抜け道として以前にも数回通ったことがあったのだが、途中から一方通行になっていたようで、一方通行の標識があることさえ知らなかった。車が2台通行できる道幅があることもあり、交通違反しているなどとは夢にも思っていなかった。
 
 そのことを正直に2人の警官に話してみたのだが、「交通違反をしたからには違反切符を切らなければいけない」の一点張りでまるで融通が効かない。
 別に一方通行道で事故を起こしたわけでもなく、飲酒運転していたわけでもなく、スピード違反をしたわけでも、駐車違反をして誰かに迷惑をかけたわけでもない。
「今後、通らないようにします」と言っても、全く梨の礫で取り付く島もない。
 たまたま、私の後に同じように一方通行道を通りかかった車があったのだが、その車にはバックするように指示しただけで、違反切符は切っていなかった。

 警官に「処分はどうなるのか?」と尋ねると、減点2点ということで、「罰金は?」と聞いてみると、なにやら資料をパラパラめくった挙げ句、「7000円です」ということだった。わずか3秒程、20mの進入禁止道路を通っただけで7000円の罰金?
 どうも釈然としなかった私は、警官に向かってこう言った。

 「あなた達にはノルマでもあるんですか?」と。

 警官は少し間をおいて「ありません…」と応えていたが、どうも態度がぎこちない。違反したのは私の方だが、2人の警官は終始低姿勢で「申し訳ありません」を連発して帰って行ったのだった。私は思った。「申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、なぜ見逃すことができないのか?」と。

 ここまでは半分、愚痴ではある。窮屈なだけの法律に従うのはやるせないが、法律で決まっているのだから、言い訳しても仕方がないという気持ちは私にもある。
 しかしそれは、法律に違反したから“仕方がない”ということではなく、単に運が悪かったという意味での“仕方がない”だ。
 
 法律こそは絶対だとする法律万能主義者がいるかもしれないので、そういう人達に対してここで1つ質問しよう。
 
 「あなたは、スピード違反した人間が自首してきたという話を聞いたことがありますか?」

 そんな奇特な人物はおそらくいないだろう。そして、法定制限速度を1kmもオーバーしたことがないという人もまずいないはずだ。しかし、誰も自首などしてこない。なぜか? 本人自身に悪いことをしたという自覚(罪悪感)がないからだ。法律違反と犯罪とは全くの別物であるからだ。無論、他人に危害や迷惑をかけた場合は話は別だ。しかし、直接的にも間接的にも他人に危害や迷惑をかけていない場合の法律違反には、違法性があったとしても犯罪性は無いと言えるのだ。少なくとも人々はそう認識しているがゆえに、誰も自首などはしてこないわけだ。
 あるいは信号無視にしてもそう。右からも左からも車が来ていないという安全を確認したうえでの信号無視(歩行)を「法律違反だ」と言うような人もいないし、そんなことで自首してくるような人は誰もいない。(「法律違反だ」と言うのは警官だけ)
 つまり、交通違反を行ったとしても、法律違反に該当するのは事故を起こした場合か、警官に見つかった時だけということになる(=運が悪い)。
 
(補足)実質的な犯罪にならないからといっても、法律違反を行うことを勧めているわけではありません。基本的に「法律は守るものだ」ということを前提として述べていますので誤解のないように願います。
 
 キチンと罰金も支払った(法律上の義務は果たした)ので、この場で少し警官に言わせて(権利を行使させて)いただく。
 
 とにかく警官は、「法律で決まっていることだから」「規制されていることだから」と法律万能教の信者の如く、感情のないロボットのような態度で違反者と接しているかに見える。違反者を差別してはいけないという役人特有の前例踏襲主義も理解できなくもないが、あまりにも杓子定規過ぎるのではないかと思える。
 悪意を持った交通違反者と、何の悪意も持っていない一般庶民を同じ計りにかけて裁いてしまっていることに何の違和感も感じないのか?と言いたくなる。そもそも法律とは、悪意の無い人間を裁くためにあるのではないだろう。
 
 単に法律で決まっているというだけで、有無を言わさず、情け無用に罰金を徴収するというのは、その態度だけを見れば、場所代を要求するヤクザとほとんど変わりがないように思えてしまう。警官の場合、逃げることもできないという意味では、ヤクザより性質(たち)が悪いかもしれない。
 本当に悪いことをした人間を捕まえる姿は警官らしいと思うが、一般庶民から情け容赦なく罰金を収奪する姿は警官というよりも、ただの権力の走狗にしか見えない。
 
 警官による相次ぐ犯罪等で、“正義の味方”という警察のイメージが失墜して既に久しい。その上で、真面目な庶民から罰金ばかりを徴収していては、イメージ回復どころか、更なるイメージダウンは免れないだろう。交通違反を取り締まるのも結構だが、もう少し融通の効く、町のお巡りさん的な存在になってもらえないものだろうか? そうなってこそ、国民も税金の納め甲斐があるというものだ。

(追記)
 本文中は敢えて、法律を軽んじるような表現を用いました。なぜかと言うと、法律自体は決して完璧なものとは言えないからです。その証拠に法律というものは、これまで何度も何度も書き直されてきたものです。法律というものは、科学と同じように常に発展途上にあるものであり、これが完成という最終的な形態ではありません。科学者が現代科学を最高のものだと言っても、それは現代において最高のものだというだけで、未来には全く新しい科学が生まれ、現代科学を一笑に付す日が必ず訪れることになります。誤解を恐れずに言えば、法律もある意味でこれと似たようなものだと言うことができると思います。

 そして、法律にはグレーゾーンというものが存在します。上述した例で言えば、時速60kmを超えて走行すると法律違反ということになりますが、警察が60km以上のスピードで運転している車を片っ端から捕まえてしまえば、どういう社会になるかを想像してみてください。そんな社会になれば、一国の経済状況にも悪影響を及ぼすことは火を見るより明らかです。警察もそのことが解っているがゆえに、多少のスピード違反には目を瞑っているという現実があります。つまり、法を取り締まる側にも一定のグレーゾーンが存在しているということです。60kmというのはあくまでも目安であって、絶対不変なものではないということ。制限速度以下で走行すれば事故が発生しないと言い切れないということからも、そのことは成り立つと思います。
 しかし、だからと言って、法律に違反してもよいというわけではありません。本音で語れば、そういうものだということであって、本音を実行しろ(=法律を無視しろ)と言っているわけではありませんので、誤解のなきように。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、私も何回かスピード違反で捕まったことがありますが、でも私はこう考えています。
車の運転をするということは、有資格者なんです。ガソリンを扱うには、消防法による「危険物取扱者」の資格があり、ボイラーには労働安全衛生法による「ボイラー技士」の資格が必要です。
車のドライバーは道交法による資格で私たちは運転をしているのです。ですから、法律は守らなくてはいけません。警官がいても、いなくても。私はスピード違反をして、自分をドライバー資格者としての未熟を反省しました。
あなたの場合何回もその道を通り、つまり何回かもうすでに違反しているのです。そして何回目かに警官に見つかったのでしょ。もしかしたら、その通りに住んでいる人が、「交通違反をしている車がいる」と警察に連絡していたのかもしれません。交通違反で捕まると、感情としてはその警官を忌々しく思いますが、車のドライバーは国家資格のプロフェッショナルなんです。だからもし、違反をして捕まってしまったら、潔く法律に従わなくてはいけないんです。私はそう、考えるようにしています。

投稿: bilukan | 2008年9月24日 (水) 22時17分

bilukan様

コメント、有り難うございます。

あなたのおっしゃることは至極もっともだと思います。
少し感情的に書きましたが、私も法律を破ってもいいと言っているわけではありません。
「違反をして捕まってしまったら、潔く法律に従わなくてはいけない」というのは確かにその通りだと思います。
ただ、そのことは理解し認めた上で、現在の法律(常識)を一度クリアにして観察してみると、また違った考え方もできるということを述べたつもりです。

「常識外れだ」と言われてしまえばそれまでですが、違った視点もあるということを日記として公開できることもブログの良いところだと思っています。
その視点をどう判断されるかは閲覧者個人の自由です。肯定される方がいても否定される方がいても、そのことで話題を提供することができるのであれば、それで良しと思っています。
ご忠告は素直にお受けします。どうも有り難うございました。

投稿: 管理人 | 2008年9月25日 (木) 00時12分

お気持ちはよく分かりますし、私も同じ状況では同じように感情的に反応してしまうと思います。

しかしながら、法律は社会におけるルールですから、「法律違反と犯罪は別」と声を大にして言うのは、本当は筋の通らない話だと思います。おかしな法律があれば、本来、それは変えていかなければいけないのであって、個々人がそれぞれの判断で「これは重要ではないルールなので無視してよい」と無視していたら、社会は成り立たないでしょう。東海の臨界事故など、個々人の甘い判断で小さなルール破りを積み重ねて大惨事に至った例は枚挙にいとまがないのですから。

今回のお話も、エントリを読んでいる限り、一方通行とすべき理由はよく分かりませんが、もしかしたら出口で衝突事故が起きたなど何か理由があって新たに標識が設置されたのかもしれません。ここで問題とすべきは、本当に標識の設置に意味がなかったのか、という点であって、標識の設置に何らかの意味があるとしたら「現場の警官が何も分からずロボットのように徴収している」とか「違反者に悪意がなかった」という点はさして重要ではないと思います。また、仮に標識に何の意味もなかったとしたら、そのような標識は撤廃せよと声を大にして叫ぶべきであって、どうも批判の対象がズレているように感じます。

投稿: マメシバ | 2008年9月26日 (金) 10時45分

マメシバ様

コメント、有り難うございます。

先のコメントと重複しますが、「おかしな法律は無視してもよい」と思っているわけではありません。念のため。
私は個人的(一方通行違反)な体験談を少し感情的に皮肉を込めて述べましたが、本当に訴えたいことは、あなたのおっしゃっているように、「おかしな法律があれば、本来、それは変えていかなければいけない」というまさにその部分にあります。
と言っても、これも交通ルールの1つを変更するべきではないかというようなミクロ的な話ではなく、要は、「不条理な法律や規制があったとしても、何の疑いも持つことなくその法律や規制に従うことしかできない」ように見える社会(警察官も国民も)自体を、少し斜に構えて眺めてみると、こんな風にも見えますよということを1つの意見として述べているわけです。あくまでも私の実体験にのみこだわっているわけではありません。

現在の日本経済は「守らなければいけないもの」という美名の元に、様々な法律や規制が次々と設けられ、建築業や不動産業を中心に不況の波に呑み込まれています。サブプライム問題に端を発した金融危機問題も不況の原因ではありますが、過剰な法規制にも不況を招いた原因が大いにあるように見えます。このことは私だけでなく、多くの識者が言われていることです。そういう意味もあり、国民の法規制に対する捉え方にも少し角度を変えた見方も必要ではないかという思いが、今回の文章を書いたそもそもの出発点になっています。

法律のような厳格なものに対して、それを真っ向から否定するようなことを書けば、肯定的な意見よりも、むしろ(善意の)反論が返ってくるということはある程度、予想していましたが、少々、私の意見が扇動的に成り過ぎたこともいけなかったのかもしれません。
なお、誤解を避けるために、本文中に(補足)と(追記)を付け足しました。併せて、お目通し頂ければ幸いです。

投稿: 管理人 | 2008年9月26日 (金) 19時58分

お返事、どうもありがとうございました。ご主旨はよく分かりました。

1点だけ、私がさらに議論を発展させたいと思ったのは、「不条理な法律や規制があったとしても、何の疑いも持つことなくその法律や規制に従うことしかできない」という記載に関してです。本当に、私たちはそのように法規制を捉えているのでしょうか?

むしろスピード違反の標識の例や先に私が挙げた臨界事故の例のように、私たちの社会では現場レベルで、法律やルールは、不都合そうに見える場合はどんどん無視してもよい、という意識が強いように感じます。実は、そのような意識こそが「グレーゾーン」というある種のダブル・スタンダードを生み、更には不合理な規制をそのまま残存させているのではないでしょうか?

「法規制などの公的に決まったルールは守らなければいけないものだ」という意識が強固であれば、そもそも「グレーゾーン」はありないし、必然的に法規制の内容について関心の度合いは高まり、それ故、不合理な規制を撤廃せよとのプレッシャーも強まるのではないでしょうか。ですので、私は
「おかしな法規制は、本来、変えていかなければいけない」
がうまく機能するには、表裏一体のものとして
「法規制などの公的に決まったルールは守らなければいけない」
「グレー・ゾーンやダブル・スタンダードは許さない」
が存在する必要があって、むしろ、私たちの社会では後者の意識が欠けているからこそ、前者がなかなか根付かないように思います。

投稿: マメシバ | 2008年9月27日 (土) 00時43分

マメシバ様

ご理解いただき、有り難うございます。

>「不条理な法律や規制があったとしても、何の疑いも持つことなくその法律や規制に従うことしかできない」という記載に関してです。本当に、私たちはそのように法規制を捉えているのでしょうか?

 実際にそうなっているがゆえに、不況を招いているという現実があります。恰もシミュレーションゲームを行うが如く、お役人が簡単に法規制を強化することによって、その法規制に素直に従うしかない企業は(意識していないかもしれませんが)苦しんでいるという現実があります。

>むしろスピード違反の標識の例や先に私が挙げた臨界事故の例のように、私たちの社会では現場レベルで、法律やルールは、不都合そうに見える場合はどんどん無視してもよい、という意識が強いように感じます。実は、そのような意識こそが「グレーゾーン」というある種のダブル・スタンダードを生み、更には不合理な規制をそのまま残存させているのではないでしょうか?

 あなたの意見は確かに一理あると思うのですが、私はグレーゾーンは無いよりも有った方がよいと思っています。何度も言うようで恐縮ですが、法律を作ったのは神様ではなく人間です。人間の作ったものに完全性を求めても、やはりどこかに無理が生じると思います。そういった無理が生じた不完全なものを、なにがなんでも守らなければいけないというのは、ある種の危険を伴うと思われるからです。
 人を殺めてはいけないとか、人を傷付けてはいけないとか、物を盗んではいけないとかいうようなスタンダードな法律は永遠に変わらないでしょうけれど、いつ変更されてもおかしくないような細かい法律については、異を唱える人がいてこそ世の中は進歩するのではないかと思います。
 しかし、法律がある種のダブル・スタンダードになっているせいで「不合理な規制をそのまま残存させることにつながっている」というのはその通りかもしれませんね。ダブル・スタンダードであることを逆に利用している者がいたとすれば、そういう人々にとっては、法律は厳格なものでない方が実は有り難いのかもしれない。かなり穿った見方ではありますが…。

投稿: 管理人 | 2008年9月28日 (日) 10時02分

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