« 『食のシンクロニシティー事件』からの教訓 | トップページ | BOOK『インフルエンザワクチンは打たないで』 »

『パンの早食い』から『ゆとり食事』へ(?)

2008102501

 前回、パンの早食い死亡事故について感想を述べた。基本的に今回のケースでは学校側や教師には責任が無いということを述べた。しかし、現実はどうかというと、案の定、学校側が謝罪してしまった。事故があった小学校の校長いわく「早食いを誘発する状況があった。申し訳ないことをした」ということらしい。

 おそらくこの謝罪会見を見た視聴者の大半は「えっ?なんで学校が謝るの?」と思ったに違いない。あるいはこう思ったかもしれない「毎度の建前だけの謝罪会見か…」と。謝罪する側もおそらく内心こう思っているはずだ「とにかく謝罪さえしておけば波風を立てることもない。無意味なことは解っているが、この国の教育体制ではこうするしかない」と。つまり、謝罪の目的は“世論という長い物に巻かれること”になってしまっており、決して“物事の本質を追求した上での結論”にはなっていないということだ。

 自分の子供が学校で死亡した場合、子供の両親がその責任を学校側に求める姿勢は理解できなくはないが、死亡した原因が『早食い』にあると判明したのであれば話は別だ。校長は「早食いを誘発する状況があった」と述べているが、学校や教師が早食いすることを勧めていたわけではないだろう。また、早食いをしなければならない程に給食時間が短かったわけでもないだろう。早食いすることがいけないことだというのなら、その躾けを行うべきは教師ではなく親の方だろう。そもそも小学校6年生にもなって「躾け」云々などということ自体が既におかしい。小学校6年生にもなって、そんな躾けができていなかったことに原因を求めるのであれば、それは学校の責任ではなく親の責任であることを自ら認めているのと同じことだ。

 それに、教師による生徒への体罰という名の躾けを批判してきたのは、他ならぬ保護者達ではなかったのか? 教師から子供に注意することを良しとしない教育環境を創り出したのは、一体誰だったのか?とお聞きしたいものだ。もちろん、日教組などにもその責任があるかもしれないが、モンスターペアレントという存在にもその責任があるのではないのか? どちらにせよ、責任を他に転嫁することが常態化した現代の日本の風潮にこそ問題があると言える。役人から庶民に至るまで“自ら責任を取らずに他人のせいにする”という日本全体を覆っている無責任体制こそが大きな問題だとも言える。そしてそんな誤った社会に対して警鐘を鳴らすべきマスコミが、無責任体制の一翼を担っているという滅茶苦茶な構造が出来上がってしまっている。

 例えば、飲み屋である人が周りから煽られて一気飲みを行って死亡してしまった場合、その責任は誰にあるだろうか? まともに考えれば、一気飲みを勧めた周囲の人間か、一気飲みをしてしまった本人ではないだろうか? まさか一気飲みを止めなかった飲み屋ではないだろう。酔っている人間にはアルコール中毒となって事故が発生するかもしれないと判断することができないので、一気飲みを止めなかった店側が悪いというのでは無茶苦茶だ。

 上記の“酔っている”を“躾けができていない”に置き換えてみよう。
 躾けができていない小学校6年生のパンの早食いを止めることができなかったのは、学校の責任? そんな暴論が通用するのは、本当に躾けができていない保育園児くらいのものだ。

 このまま『早食いはいけない』ということが定着してしまうと、テレビ番組の早食い競争は制作中止になるかもしれない。『ゆとり教育』ならぬ『ゆとり食事』が定着し、ますます世界の辺境国家となってしまいかねない。こんな馬鹿な建前国家をいつまでも演じていては、日本の将来は暗いと言わざるを得ない。

Ç…ÇŸÇÒÉuÉçÉOë∫ åoçœÉuÉçÉOÇ÷

|

« 『食のシンクロニシティー事件』からの教訓 | トップページ | BOOK『インフルエンザワクチンは打たないで』 »

社会問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/42898395

この記事へのトラックバック一覧です: 『パンの早食い』から『ゆとり食事』へ(?):

« 『食のシンクロニシティー事件』からの教訓 | トップページ | BOOK『インフルエンザワクチンは打たないで』 »