『不合理主義』の崩壊と『合理主義』の台頭
アメリカの金融危機に端を発し、世界経済が不況に突入したという意見が飛び交っている。テレビでも新聞でもネットでも「恐慌」「暴落」「破綻」などという言葉がよく使用されるようになった。そして、今回の金融危機を『資本主義の崩壊』と結び付けようとしている勢力も存在しているかに観える。
彼らはこう言う「資本主義は崩壊したので、新たなイデオロギーが必要だ」と。しかし、その新たなイデオロギーとは何を意味しているのだろうか? まさか、共産主義や社会主義に逆戻りしようと言うつもりだろうか? もし、本当にそんなことを考えている人達がいるとすれば非常に危険なことだと思う。
なぜそう言えるのか? なぜなら、今回の金融危機で破綻したものとは、実は資本主義とは言えない(正確には真の資本主義とは言えない)からだ。崩壊したのは、資本主義から派生した(行き過ぎた)金融システムだけであるからだ。
元々、資本主義というものは、目的合理化の精神というものを内包しているものだが、現在の金融システムは、そういった合理性が完全に失われていた。そのあまりにも実体とかけ離れ過ぎた金融システムのみが崩壊したのであって、資本主義自体が崩壊したわけではないからだ。
例えば、最近、『空売り規制』というものが政府から発令されたが、この空売りという行為自体をよく考えればその本質が見えてくるかもしれない。
資本主義には「投資」という行為は付き物であるが、「空売り」という行為は投資行為ではない。空売りというものは、資本主義の範疇を逸脱した架空の取引であるとも言える。良く言えば「投機」であり、悪く言えば、単なる「博打」でしかない。
空売りというものが信用取引の部類に入るものであることは周知の通りだが、信用取引とは簡単に言えば、現金を持っていない人間であっても株式が売買できるというシステムだ。頭金に該当する一部の証拠金を用意するだけで、株式を買うことも売ることもできる。そしてレバレッジをかけることもできるため、非常にギャンブル性の高い取引であると言える。
この空売りというものが常態化したがゆえに、株式投資はギャンブル性の高いものに変化してしまった。本来であれば、今回のような金融危機が発生したのだとしても、空売りという売買が存在していなければ、これほどまでに株式市場が暴落することはなかっただろうと思う。現物の株式を保有している投資家だけであれば、投げ売りする投資家がいたとしてもここまで下がることはなかっただろうし、また、煽られて投げ売りする人もそれほどいなかったはずだ。株式を持っていない投機家が、架空の株式を売ってくるがゆえに、株式市場は必要以上の暴落を演じることになる。そして売りが売りを呼んで、スパイラル的に暴落してしまったというのが、今回の日本の株式市場の姿であったと言えるだろう。
「空売り規制は、自由主義経済に反している」という意見をよく耳にするが、これほどトンチンカンな意見もない。空売りという行為は、金融システムの中から生まれたものであって、もともと資本主義の中に存在していたものではないからだ。
グリーンスパン氏は、自由主義が崩壊したと誤解してか、神の見えざる手は存在しなかったと思っているように見受けられるが、実は神の見えざる手が存在していたからこそ、今回の金融バブルは破綻したわけだ。市場原理という神の見えざる手が正しく機能していたがゆえに、行き過ぎた金融バブルが弾けてしまったのだ。経済の自由化が間違っていたのではなく、資本主義の無理解こそが、破綻を招いてしまった原因と考えるべきなのだ。
一口に資本主義と言っても、世界中には様々な資本主義が存在しているので、アメリカの金融システムが破綻したことだけを見て「資本主義は崩壊した」というのは間違っている。
アメリカは合理性を欠いた資本主義であり、日本は公平性を欠いた資本主義、そして中国は道徳性を欠いた資本主義、どれも完璧な資本主義とは言えない。
日本のバブル崩壊も、民間企業にある不合理な社会主義システムが崩壊しただけであって、決して資本主義自体が崩壊したわけではなかった。アメリカの場合は、社会主義ではなく、資本主義の本来の姿を逸脱した部分(=富を生まない金融工学システム)が崩壊した。日本は土地バブルの崩壊だったが、アメリカは金融バブルの崩壊だったという違いがあるだけに過ぎない。つまり、どちらも不合理主義(=実体を伴わないバブル)が崩壊したということを意味している。
資本主義というものは、本来、借金漬けでお金にまみれるような生活をすることではなく、生産を通じて生まれた価値の範囲で消費を行うという極めて合理性の高い思想が基になっている。無論、資本主義には、お金がお金を生むという利潤の考えもある。しかし、それも、生産を通じてパイを増やしていくことが前提となるのであって、単に消費だけを行うことを基にしているわけではない。
自分が儲けた価値(お金)の範囲の中で生活するというのは、一般の家庭ではごく当たり前のことであり、その当たり前のことができなくなれば、破綻するのは当然のことだ。給料20万円の人が30万円分の生活を続ければ、いずれは破綻する。同じように、働いていない人が、社会保障費として税金を使い続ければ、いずれは破綻する。その両極端こそが、資本主義から外れた部分であり、現代のアメリカと日本の姿とも言える。
もし世界が目指すべき新たなイデオロギーがあるとすれば、それは真なる意味での資本主義、言葉を変えて言うなら「合理主義」だ。自らが生み出した富の範囲内で生活するという独立自尊の精神こそが目標とするべきイデオロギーであるべきだろう。
破綻しないシステムとは、実はそんな単純な当たり前のシステムのことであって、誰もが理解できないようなややこしいシステムではないのである。そして、その単純なことが証明されてしまったのが、今回のアメリカ発の金融危機の正体とも言える。
よって、この世界不況を機に、資本主義は進化することになる可能性がある。しかし、進化するためには、資本主義の精神を理解しなければならないという条件が付いて回ることになる。資本主義の精神とは何か? それは、合理化の精神と言い換えることも可能だ。
おそらくこの金融危機を機に、日本の中にある不合理で不公平なシステムにもメスを入れる必要性が生じてくるだろうと思う。いや、この機会を生かすことができなければ、日本経済の先行き不透明感を拭うことはできないだろう。逆に、この機会を不合理で不公平な日本システムを変える千載一遇のチャンスだと受け止めることができれば、日本経済は息を吹き返すかもしれない。しかしそれは限りなく小さな可能性であることも否定できない事実ではある。
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