「宝くじ」という名の所得分配ゲーム
年末ジャンボ宝くじが25日に全国一斉発売された。今年は年末ジャンボ宝くじ発売30周年記念ということで、2億円が70本、1億円が140本にプラスして、「ジャンボ30年感謝賞」(100万円)というものが7000本追加されるらしい。
私は最近、宝くじを購入することはないのだが、多くの人は「夢を買う」「買わなければ当たらない」と言って、毎年10枚〜30枚ほど購入しているらしい。
よく知られたことではあるが、宝くじのテラ銭は50%もあるので、宝くじを買った時点で半分はハズレ券ということになる。言い換えると、初めから空クジを半分購入しているのと同じことになる。例えば、宝くじを10枚購入した人は、実質は5枚しか買ったことにはならない。(つまり1枚600円ということになる)
ちなみにパチンコのテラ銭は10%、競馬のテラ銭は25%程度なので、いかに宝くじのテラ銭が高いかが分かると思う。国が胴元なので誰も文句は言わないが、これが民間組織であれば詐欺だと判断されて逮捕されるかもしれない。
宝くじというものが、ゼロサムゲームであることを疑う人はまずいない。多くの人から集めたお金(宝くじ購入金)を当選した少数の人数で分け合うというギャンブルであることは間違いのない事実である。そして、宝くじというものを経済的な視点で見れば、「壮大な所得分配ゲーム」であるとも言える。購入した枚数によって誰もが公平に運を手に入れることができるという点では真っ当な分配ゲームと言うことができるが、テラ銭が50%もあることによって、その公平性を台無しにしてしまっている。公平ではあるが、あまりに搾取性の強いゲームであることは否定できない事実ではある。
政治家が国民から税金を集めるだけ集めて、「半分のみ国民に分配します」などと言えば、その政治家は国民から袋だたきに遭うだろうが、税金を集める手法を「宝くじ」にすることで、合法的に税金を徴収することができてしまう。騙す方も騙す方だが、騙される方も騙される方だと言える。と言っても私は別に宝くじ販売を否定しているわけではない。如何に高搾取ゲームであったとしても、双方が合意の上で売買が成立しているのであれば、それで問題はない。買いたくない人にまで無理矢理に購入させるのであれば問題だが、選択の自由があるのであれば特に問題はない。
しかし、ここで注目すべきことは、国民に「夢」を見せることができれば、国民の消費活動を促すことができるということだ。
たとえ、99.9%以上ハズレることが判っていたとしても、残りのほんの僅かな希望のために、人々は挙(こぞ)ってお金を使う。これほど合理性のない買い物は無いと言えるにも関わらず、我先にと、お金を使う。
政治家達は、この現象にこそ、目を向けるべきだろう。たとえ、日本の未来が暗いということが半ば判っていたのだとしても、かすかな“希望”を国民に与えることができれば、人々はお金を使うようになるかもしれないということを。そして、その消費率を維持することができれば、本当に景気は回復するかもしれないということを。
たとえ嘘であっても、国民の消費活動を促すことができれば、本当に景気は回復してしまう可能がある。このことを諺で「嘘から出た実」という。しかして、その場合の嘘は、「嘘も方便」ということで許されることになる。
政府は『定額給付金』という名目で全国民に2兆円をバラまくなどということを言っているが、そんなお金をバラまいたところで、そのお金を使わずに貯め込むだけでは景気は良くならない。そんな無駄なことを行っている余裕があるのなら、その2兆円で国民に夢を見せる方策でも考えた方がまだましだ。
景気というのは、“気”のものであって、国民を“その気にさせる”ことが政治家にとっての重要な仕事だとも言える。しかし、日本の政治家達を見ていると、夢を見せるというより、悪夢か幻想を見せているようにしか見えない。その辺のところも、オバマ氏と日本の政治家達の大いなる違いであるのかもしれない。
今後、アメリカと日本のどちらが早く景気を回復させることができるかに注目しよう。その結果次第では、日本の政治家達の体たらくぶりが証明されることになる。
| 固定リンク
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 「核実験中止・ミサイル実験中止」という甘い罠(2018.04.22)
- 「森友問題」と「TPP問題」のどちらが重要か?(2018.04.01)
- 「疑わしき安倍は罰する」捜査の是非(2018.03.28)
- BOOK『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』を読んで。(2018.03.25)
- 国民不在の「森友狂騒曲」の愚(2018.03.18)
コメント