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『無学問のススメ』を説く文部科学省

2008121601 橋下知事の「文科省はバカ」という発言が話題となっている。
 文部科学省は、次回テストでの情報管理を徹底する方針(特定のデータを提供しないこと )を表明した。
 市町村別成績データを開示した大阪府に対しての嫌がらせ(?)とも受け取れる措置をとったためか、橋下知事がキレた恰好だ。
 
 しかしなぜ、文部科学省の役人は成績データを公表することに抵抗するのだろうか? 私が思うに、どうも文部科学省は、現状の教育システムに固執するあまり、平等教育という建前社会に依存しなければ存在価値を見出せなくなっているのではないかと思う。
 
 社会学者の山田昌弘氏の『少子社会日本』という本の中に、官僚社会では、『平等』という建前だけは絶対に崩せないということを端的に表した箇所がある。
 
『私は、1994年頃から、日本では、収入の低い男性が結婚しにくいという事実を何度も指摘してきたし、単行本(『結婚の社会学』)にも書いてきた。この事実を公表しようとすると、様々なところからストップがかかった。新聞では表現を和らげるよう求められた(例えば、収入が低い→経済的に恵まれない)。自治体はこの事実を軒並み隠そうとし、削除を求めたり、有無を言わせず報告書から削除した自治体もあった。理由は、この事実を公表すると、低収入の男性はますます結婚できなくなり、差別を助長するというものであった。政府の研究会でも、多くの委員の方は理解してくれたが、ある官僚に「大学の先生はいいな、私が山田君のようなことを発言したら首が飛ぶよ」と言われたしまった。』(山田昌弘著『少子社会日本』より)

 このエピソードからは、官僚が公の場で格差を認めるような発言をすることは御法度だということが分かる。国民の税金を如何に無駄遣いしようと、ほとんど罪を問われない官僚達が、格差発言をするだけでクビになってしまうというのは、実に驚くべきことだ。まさに彼らは、『平等』という建前を信奉することによってのみ、その職務に就くことが許されている存在であると言えるのかもしれない。要するに、彼ら官僚達は、すべからく、社会(共産)主義者でもあるということができる。
 
 建前を重んじる彼ら官僚達にとって、競争原理などというものは、およそ理解し難い価値観であるのかもしれない。いや、理解し難いのではなく、理解できたとしても受け入れることができない価値観であると言った方が正解かもしれない。
 
 文部科学省の官僚達にとって困るのは、成績データを公表することではなく、実は成績データを公表することによって、人によっては学習格差があることを証明してしまうことなのかもしれない。
 少し前に、運動会で競争格差ができるのはマズいということで、生徒が手をつないで同時にゴールインするという笑い話としか思えないようなことが実際に行われていたそうだが、まさにこれと同じ理屈で、成績データを公表したくないのかもしれない。
 
 しかし、いつまでもこういった悪平等教育のままでは、確かに橋下知事の言う通り、「国民は不幸」だと思う。現在の文部科学省の教育は、福沢諭吉の『学問のススメ』とは全く逆の教育を行っていることになる。つまりは、『無学問のススメ』になる。
 これでは、日本の教育レベルが低下するのは至極当然の結果と言える。そして格差はいつまで経っても固定されたままとなる。悪平等教育を続けなければならない理由が、“国民の教育のため”ではなく“官僚の保身のため”だというのであれば、国民は不幸以外のなにものでもない。
 
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コメント

■橋下知事「文科省はバカ」テスト成績非開示を批判-知事の言っていることの中で正しいことと間違っていること?
こんにちは。橋下知事またやりましたね。私は、おおむね知事の言っていることは正しいと思います。ただし、間違えているところもあると思います。それは、役人を入れ替えればよいという発言です。私は、役人をすべて入れ替えただけでは、良くはならないと思います。良くは、なったとしても一時的なもので、すぐに元に戻ってしまうと思います。根本的な問題は、人の問題ではなくて、システムの問題だと思います。詳細は是非私のブログをご覧になってください。

投稿: yutakarlson | 2008年12月17日 (水) 11時41分

日本は昔から平均点を作る文化だと思います。
ただし、それは高水準の平均点であって、勉強せずに得られるものではないはずです。
天才が出るには難しい世界ですが、識字率が99.9%なんてのは日本以外何処にもありません。
その上伝統的に量より質で勝負してきたのですから、むしろ大いに競争して全国民に高い能力を持たせるべきだと思います。

投稿: 松崎 | 2008年12月17日 (水) 21時10分

yutakarlson様

コメント、有り難うございます。

 貴ブログ、拝見させていただきました。
 「官僚の問題は人の問題ではなくてシステムの問題」というのは、私も同意見です。旧態依然とした制度の中に、どれだけ優秀な人物が入ったとしてもそのシステムに染まるだけです。文科省の役人を全て入れ替えたとしても何も問題は解決しないというのは、確かにその通りです。
 橋下知事もその辺のところは理解されている(?)のではないかと思います。さすがに、今回の教育問題だけで「霞が関の官僚は全員バカ。官僚をシステムごと全て入れ替えた方がいい」とまでは言えないでしょうから。
 言葉狩り国家にあっては、「文科省はバカ」が精一杯の暴言だったのかもしれませんね。

投稿: 管理人 | 2008年12月17日 (水) 21時28分

松崎様

コメント、有り難うございます。

 お役人の論理は「競争すれば差ができてしまう」というもので、はなから『競争=悪』ということなんでしょう。お互いに切磋琢磨して民意を上げていくといった発想自体が元々ないのかもしれません。
 結局のところ、お役人はその立場上『性悪説』というものを前提に論理を組み立ててしまうため、やることなすこと全てが空回りか悪循環に陥ってしまうのではないかと思います。
 国民に自由に競争させることによって、お役人が危惧する一部の問題は発生するかもしれませんが、その問題を補って余りある新たに価値が芽生えることによって全体の平均が上がればそれで良い…とは考えないんですね、お役人は。

投稿: 管理人 | 2008年12月17日 (水) 21時47分

文部省が成績のデータを情報開示しないという問題があることを恥ずかしながらこのブログを拝見して初めて知ることができました。
正直この記事だけではその件に関してはいろいろな側面があるでしょうから、まだはっきりとしたことは私からは述べることはできませんが、いわゆる官僚とか公とつく人達は基本的に情報開示に対して慎重なのは容易に察することができます。
成績のデータの情報を開示することによって格差を明らかにすることでいろんな意見がでることは予想されます。
一番はその行為を行うことで子どもの環境がどう変わるのか、子どもがどう影響を受けるのか。そこが一番だと思います。
競争することは大事だけれども点数だけで子どもは評価できないと思います。
情報開示によってどういうメリットがあるのか。もっと調べてみたいテーマですね。

投稿: ocean fire | 2008年12月22日 (月) 00時09分

ocean fire様

コメント、有り難うございます。

 成績を情報開示するという行為には、プラス面だけでなく必ずマイナスな側面が付いてまわります。
 お役人の発想の問題点は、少しでもマイナスな面が予想されるとそのマイナス面をプラス面よりも大きく取り上げるというものです。それが良くも悪くも事態を更に悪化させることになる(=プラス面が小さくなり、マイナス面が拡大する)ことが、ここ最近の様々な事件からも判るようになってきました。
 例えば、耐震偽装マンション問題や食品偽装問題がその典型と言えるでしょう。偽装を行った一部の業者のために、全ての同業者が迷惑を被り、その迷惑な事態にお役人が絡む(規制を強化する)ことによって、事態はさらに悪化するという悪循環に陥っています。
 その結果として日本経済自体が元気を失っているという現実も無視できません。消費者を保護すればするほど事態は更に悪化するという笑えないスパイラルに陥っているというのが、現在の日本経済の姿です。
 ということで、成績の情報開示についても、マイナス面のみを見つめるのではなく、“プラス面を大きくすることによってマイナス面を小さくする”という姿勢が大事だと私は考えます。

投稿: 管理人 | 2008年12月23日 (火) 11時13分

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