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ある経済学者の華麗なる(?)転身

2009022401

 このところ、経済人の間で話題になっている出来事と言えば、経済学者の中谷 巌氏の衝撃的な転身(?)ぶりがあげられる。中谷氏は構造改革推進論者として有名で、よく経済番組のコメンテーターも務めていたので、誰もが知っている経済学者でもある。どこか上品なイメージのある中谷氏は経済学者としても人気があったようだが、最近は不人気ぶりが目立つようになったようだ。

 彼の転身を批判しているのには、主として次の2種類の人達がいる。
 1、自由主義論者
 2、社会主義者(共産主義者)及び保守主義者

 1の自由主義論者からは、「裏切られた」「がっかりした」という批判が多いようだ。中谷氏は確か経済の教科書も書いておられたと思うが、今回の転身は自ら「それらは間違いでした」と認めたようなものなので、立腹したくなる気持ちもよく解る。
 かくいう私も彼の書籍は2冊ほど持っている。昨年に古本で購入した『痛快!経済学』と『にっぽんリセット』という書籍だが、幸か不幸か未だ読んでいない(積ん読状態)。これから暇な時にでも読もうと楽しみにしていたのだが、著者自身が立場を変えてしまったとあっては、読むべきかどうか複雑な気分だ。

 一方、2の社会主義者達(保守主義者も含む)からは、「今頃気が付いたのか」という批判が多いようだ。面白いのは、2からは批判だけでなく、礼賛も多いことだ。「彼は勇気がある」「間違いを認めたことは評価できる」という意見も多い。

 しかし、マクロ経済学の入門書まで書いていたような学者が、こうも簡単に自由主義論者という立場を捨てて転身してしまったというのは、不思議と言うほかない。それほどの衝撃的な出来事が彼の身に降り掛かったのだろうか?と考えてもみたが、考えつくのは、アメリカのマネー経済の破綻くらいしか見当たらない。はたしてその程度の出来事で、自ら何十年もかかって積み上げてきたものを一切合切、反故にできるものなのだろうか?
 氏の転身ぶりは、まるで唯物論者が神秘体験をして信仰に目覚めたかのようでもある。あるいは、アメリカのマネー経済の破綻を見るにつけ、自らの中にあった信仰(神の見えざる手)が崩れ去ってしまったとでもいうのだろうか? 私には、テレビに映る彼の現在の目が、神の姿を見て真実を悟った人間のような澄んだ目には見えないのだが…。

 世俗的な視点で観れば、現在の日本のような過剰なまでの市場原理否定社会にあっては、中谷氏のような構造改革論者は世間からの風当たりも強かったのかもしれない。そういった孤立感からも四面楚歌に遭遇したような気持ちも抱いていたのかもしれない。しかしもし仮にそうだったとしても、世間の風向き加減で風見鶏のようにコロコロと意見を変えてしまうのでは、真の学者の姿とは言えないだろうし、一般人に対してもあまり良い印象を与えないことも確かだ。はたして、そこまで危険を冒してまで懺悔する必要があったのだろうか?

 中谷氏は近著『資本主義はなぜ自壊したのか』の中で「市場は完全ではなかった」と述懐しているそうだが、そんなことは当たり前のことであり、「市場は完璧だ」などと思っているのは真の自由主義論者ではない。仮に市場原理が完全なものであったとしても、そこに人間が絡むことによって不完全なものに変化する。ゆえに市場は健全に管理する必要もある。
 「管理が必要なのであれば市場は完全ではない」というのは、社会主義者の言い分であり、真の自由主義論者の意見ではない。市場は完全ではないが「国が管理するより市場に任せた方が安全」というのが、真の自由主義論者の意見だ。《市場が完璧なものでなければならない》と思い込んでいるのは、実は市場否定主義者である社会主義者の方なのだ。
 市場が完全なものでないように資本主義自体も完全なものではない。どちらも進歩途上にある不完全なものだ。不完全なものであるがゆえに、上手く育てることが必要なのであり、その可能性を活かすも殺すも人間次第、それが資本主義の姿とも言える。不完全だからといって「自壊した」「切り捨ててしまえ」と言うのでは、そこには何の進歩も発展もない。不完全だからという理由で「国が管理しなければならない」となると、まさしく社会主義者の論理展開であり、そうなると市場の可能性自体も崩壊してしまう。

 つまるところ、市場というものは人間と同じようなものだと考えれば解りやすいかもしれない。成長過程にある子供と同じようなものだと考えれば、その子供に対してどう接するか? 管理で縛るか、自由に任せるか。子供が正常な大人になるためには、必要最低限の管理(しつけ)は必要だろうが、それ以上に自由を尊重する姿勢も必要だ。完全に管理することは不可能であるし、行き過ぎた自由も危険を伴う。しかし、子供を信用するのであれば、自由を優先するだろう。それが自由主義論者の基本的な考え方だ。それは同時に人間の可能性を容認する思想でもある。

 中谷氏を観ていると、喩えて言うなら、自分の息子が不良になったので「私の息子は狂ってしまった」「息子を勘当して親子の縁を切る」と言っているような親の姿を想像してしまう。「子供は本来、性悪なので自由放任ではなく徹底的に管理しなければ、まともな大人に成長しない」と言っているようにも見える。
 「資本主義は自壊した」と言う中谷氏は実は「人間が信用できなくなってしまった」のかもしれない。もしかすると、彼の転身は、単なる性善説から性悪説への心理的な転身であったのかもしれないが、できることならば、もう1度、性善説に転身されることを期待したい。

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コメント

いつも楽しく読ませていただいております。

資本主義を変に否定する方が多いのが、最近気になっているところでした。

結局、平等主義とか脱拝金主義を言っているだけで精神論的な印象を受け、辟易しております。

メディアに出る機会が多い政治家や評論家の方々及びマスコミは、再度経済学と会計を勉強して、より次元の高いコメントをしてもらいたいものです。


投稿: ヨウ | 2009年3月 2日 (月) 11時35分

ヨウ様

コメント、有り難うございます。

 最近の資本主義批判や市場否定は少し行き過ぎている感じがしますね。アメリカの金融破綻をここぞとばかりに利用して、社会の平等化(=共産主義化)を狙う勢力が意図的に世論を操っているような気もします。

 よく、道徳や倫理を持ち出して、資本主義的なものを批判されている方がいますが、その道徳や倫理というものも、経済的なゆとりがあってこそ得られるものですからね。
 資本主義というものはその『ゆとり』を得るための1つのシステムでしかありません。

投稿: 管理人 | 2009年3月 2日 (月) 22時53分

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