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2009年3月

プリンターメーカーの経済学

2009033101 各電機メーカーの今期の決算は、米国金融危機の影響も手伝ってか、ほとんどが赤字決算になってしまったそうだ。液晶テレビやプラズマディスプレイなどの主力商品も安値競争が災いしてか、思ったほど利益が出ない商品と化してしまったようだ。主力商品だけでなく、その他のパソコンやデジタルカメラなどの商品も、新商品の開発に投資した資金を回収するのも難しいというような状況であり、各電機メーカーは抜本的な経営の見直しを余儀無くされている。

 いくら経済がグローバル化したとはいえ、際限のない安値競争のみに陥ると、最終的に生き残った企業とて、一度(ひとたび)不況の風が吹けば、その安値競争努力が仇となってしまう。
 景気の良い時(需要が旺盛な時)は安値競争によって適正価格を見い出すことができるが、景気の悪い時(需要が消沈している時)に安値競争のみを行っても、適正価格が定まる頃には適正価格を維持するだけで精一杯となり、結局は自分の首を絞めることに繋がってしまう。
 現在のような景気の悪い時には、商品を販売する手法にも『知恵』が必要になる。知恵にもいろいろあると思われるが、プリンターの販売形態の中にその知恵の1つを見い出すヒントが隠されているかもしれない。

 年々、高性能化するインクジェットプリンターも、その性能とは裏腹に価格は年々下がっている。インクジェットプリンターも他のコンピューター製品と同様に、未だ価格破壊(デフレ化)の真っただ中にあり、最近では1万円を切る複合機プリンターもよく目にするようになってきた。消費者から観ればこれは実に有り難いことではあるのだが、生産者(メーカー)にとっては甚だ迷惑なことかもしれない。

 デフレ肯定論で有名な経済評論家の長谷川慶太郎氏はこう言っている。「デフレは消費者に天国、生産者に地獄」だと。まさにその通りだ。
 しかし、プリンター製造会社も単に価格破壊の波に身を任せているわけではない。プリンター本体の価格はどんどん低下してはいるが、プリンターのインク価格はほとんど低下していない(品質は向上している)ことは周知の通りだ。言わずと知れたことではあるが、プリンター製造メーカーの利益の源泉はプリンター本体ではなく、プリンターのインクやトナーに依存している。

 前回に述べた携帯電話と同様、まさか高性能な複合機プリンターが1台1万円で製造できるなどとは誰も思っていない。人件費が日本の10〜20分の1の中国などの工場で生産すれば採算は取れるのかもしれないが、販売価格が1台1万円程度では利益が出たとしてもたかがしれていると思う。
 プリンターには商品本体とは別に“消耗品”というものがあり、携帯電話にも商品本体とは別に“使用料”というものがある。この両者の場合は、本体以外のものに価格を転嫁することができるので、(運良く)安値競争地獄にハマらずに済んでいるという一面がある。
 携帯電話にせよ、プリンターにせよ、その販売手法は『損をして得を取れ』方式であり、「高価なハードを安価で提供いたしますから、その代わりにインクやトナーを購入してください」という暗黙のギブ・アンド・テイクモデルだとも言える。(携帯電話の場合は、この販売システムが少し変わってしまったが…)

 話は少し外れるが、ここでもし、ある消費者団体(またはお役人)が、「プリンター本体価格に比べてインクの価格は高過ぎる。もっと消耗品の価格を下げて本体価格を上げるべきだ」と述べて規制を行えばどうなるだろうか?
 答えは、前回にも述べた通り、プリンターの販売台数が激減し、プリンター製造メーカーは窮地に立たされることになるだろう。日本のプリンター製造メーカーは、プリンターやコピー機の製造・販売がメインであって、携帯電話製造メーカーのように、その事業からいつでも撤退できるというわけではない。ヘタをすると倒産の憂き目に遇う可能性も否定できないので、こんな馬鹿なことを言う人が現れないことを願う。

 話を元に戻そう。不況下にあって単に安値競争に身を任せているだけでは、限られたパイの奪い合いにしかならず、全体としてはジリ貧になっていくだけであり、あまりにも知恵が無さ過ぎると思う。
 こう書くと、市場原理批判をしているように聞こえるかもしれないが、そうではなくて、ここで批判しているものとは、市場原理ではなくて、人間心理だ。さらに言うなら、市場に振り回されるだけで、市場を利用できない窮屈な精神だ。市場とは人間の心理の方向性によって決定されるものであり、決して、市場が人間に対して向かうべき方向性を与えるものではない
 
 プリンターメーカーが意識した上で現在のような販売体制を構築したのかどうかは知らないが、メーカーは何か価格を転嫁できるような間接的な付随商品を開発していく方向にシフトしていくべきかもしれない。早い話が、付加価値の創造であり、新たな市場の開拓である。そして、政府やお役人はそういった民間の企業努力を後押しするべきであり、決して邪魔をしてはならない。それが、景気を良くする上で最も大事なことでもある。

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「消費者心理」と「お役人心理」の乖離

2009032201 不況の影響でパソコンの売れ行きは鈍化しているそうだが、イーモバイルの100円パソコンの売れ行きは好調らしい。
 100円なら売れて当然だと思われがちだが、まさか高性能なパソコンが100円で製造できるなどとは誰も思っていない。当然、イーモバイルの毎月の基本使用料から残りのパソコン本体料金が(パソコン製造メーカーに)支払われている。
 これは当然のことではあるが、よく考えてみると、こういった販売形態は何もイーモバイルが初めて開始したわけではない。そう、よく思い出してみると、数年前までは「1円携帯」という言葉がよく使用されていたはずだ。しかしその『1円携帯』というものは総務省のお達しにより、存在しなくなってしまった。
 『1円携帯』というものが出回っていた時は、携帯電話業界も活況を呈しており、携帯電話に付随する各種メーカーも景気が良かったと記憶しているが、このお達しが出て以来、携帯電話の販売台数は落ち込み、携帯電話業界にもまさかの不況が訪れることになった。

 なぜ、携帯電話を1円で販売してはいけないのに、パソコンは100円で販売してもよいのだろうか?という素朴な疑問は置いておくとして、携帯電話を1円で販売してはいけなくなった理由は、“携帯電話の通話料金が高過ぎる”というものだった。 携帯電話自体も先のパソコンと同様、まさか1円で製造できるわけがないので、各携帯メーカーは毎月の使用料金に携帯電話の残りの本体料金を上乗せしていた。
 よくよく考えると、確かにトータル的には通話料金が高い方が消費者は損をしていることになるので、総務省のお達しもまんざらでもないとも言える。全体として見れば一応、消費者は得をしていることになるだろう。
 しかし、総務省には“消費者心理”というものが全く理解できていなかった。いや、もし仮に消費者心理を理解できていたとしても、消費者保護を優先し、消費者心理は無視されていただろう。彼らには、“消費者心理を巧みに利用してお金儲けをする”などということは許すわけにはいかないという建前(お役人心理)があるため、少しでもズルく見える経済行為はすぐさま規制の対象となってしまう。

 景気とは、その言葉の通り“”のものであって、消費者の消費意欲(購買意欲)を喚起することは、景気を良くするためには欠かせない目的の1つでもある。
 携帯電話を1円で購入した人が、後から通話料金によって残りの携帯電話料金を徴収されていたのだとしても、誰も騙されたとは思わないだろう。1円で携帯電話を購入できて得をしたと思うことはあっても、後から高い通話料金を徴収されるなどとは通常、考えないはずだ。
 
 1円携帯も100円パソコンも消費者心理を巧みに利用した販売形態であって、別に消費者を騙しているわけではない。その1円携帯の販売形態が詐欺だなどと言って、消費者心理を無視した規制を行うとどうなっただろうか?
 消費者が「目からウロコが落ちました」と言って喜んだだろうか? 余程のヘビーユーザーであれば通話料金が安くなって喜んだかもしれないが、おそらくそんな人はほとんどいないと思う。大抵の人は、携帯電話を買い替えできなくなったという不満を抱いているだけで、通話料金が安くなったから良かったなどとは思っていないと思う。実際にそう言っている人は周りにも大勢いるし、私も同意見だ。通話料金は自分自身の工夫で安く抑えることができるが、携帯電話本体は自分自身の工夫ではどうすることもできない。ゆえに消費者はストレスを感じ、消費意欲を減退させてしまう。
 
 消費者の不満はともかくとして、景気自体に悪影響を及ぼしていることは看過するわけにはいかない。総務省のお役人達は景気が悪くなっても困らないかもしれないが、民間人はもろに景気の影響を受けることになるため、事態はより深刻だ。
 1円携帯が存在していた時代の方が、現在よりも活気があったと思うのは私の気のせいだろうか? 米国金融危機の有無や影響に関係なく、1円携帯が存在していた時代の方が、住み易い社会だったと思えるのは錯覚だろうか?
 
 繰り返しになるが、景気を良くするためには、消費者がお金を使うようになる対策を立てなければいけない。イーモバイルの販売形態は、まさしく“消費者にお金を使わせる”という目的を達成した販売テクニックであり、決して、詐欺でもなければ、ズル賢いわけでもない。消費者心理を巧みに利用して、消費者の財布の紐を緩ませることができるのであれば、それは結果的には景気を良くすることに繋がり、日本経済にとってもプラスになることは間違いない。
 『景気を良くする』という大きな目的を達成するためには、「ズルい」などという個人的な感情にこだわっている場合ではない。そのような小さな正義という建前のために、経済発展という本質を犠牲にするわけにはいかないのだ。
 消費者心理とお役人心理は決して交わることがない。消費者心理を犠牲にして、お役人心理を優先すれば、景気は悪くなるしかないという冷厳なる現実をこそ直視しなければ、真なる景気の回復は有り得ないということを知らなければならない。

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小沢ショック(国策捜査と官策捜査)

2009031301

 現在、政治世界の一大関心事と言えば、民主党の小沢氏への強制捜査事件(通称:小沢ショック)であることは言うまでもないが、この捜査については、様々なところで物議を醸している。
 この時期、まるでタイミングを計ったかのように行われた捜査だっただけに、世間一般では俗に「国策捜査」とも呼ばれている。“この時期”というのは無論、“自民党のピンチ時”を意味していることは言うまでもない。

 民主党の小沢氏は「不公正な検察権力の行使だ」と述べ、鳩山氏は「陰謀だ」とも述べている。こういったことを公の場で述べると、世間からは冷やかな目で見られがちだが、おそらくこの2人の言葉は的を射ていると思う。ただ、その陰謀が自民党によって企てられたというのは、間違っていると思う。
 では誰が企てたのか? あくまでも仮説ではあるが、おそらく官僚だというのが、まともな有識者の意見だろう。実際にそう推察している人は大勢いるが、相変わらず、マスコミは官僚の天下り問題を取り上げるだけで、肝心な部分には触れようともしない。

 ではなぜ、官僚が小沢氏潰しに動いたのか? それはおそらく、自民党政権を維持するため(=現状維持)というのがその理由だろうが、具体的には次の2つの理由が考えられる。

 1、自民党政権を維持すれば、官僚として甘い汁を吸い続けられるから。
   (民主党が政権を取れば、公務員改革を断行される恐れがあるから)

 2、民主党政権が誕生すれば、さらに不況が悪化するという危険を感じたから。

 2であればまだ許せるかもしれないが、おそらく1だろうと思う。
 どちらにしても、自分達の都合か、勝手な思い込みで動いたと言えそうだが、完全に国民を無視した行動であったことだけは間違いない。そもそも、「国策」というからには、民意というものを重視する必要があると思うのだが、全く民意が反映されていないことは誰の目にも明らかだ。現在の自民党の支持率は10%台であり、明らかに国民の声は「自民党政治にノー」であるわけだから、その政敵である民主党の党首に対して、政治生命を奪うに等しい捜査を行うなどは常識では考えられない。捜査するにしても、時期というものがあるだろう。これでは2の「国策捜査」ではなく、1の「官策捜査」としか思えない。

 私は基本的にノンポリの立場なので、どちらの政党も贔屓にする気はないし、民主党が政権を取ったとしても政治が良くなるとは思っていないが、今回の捜査には大きな疑問を抱いており、民主党には同情の念を抱いている。小沢氏の政治献金問題よりも、民意を無視した捜査が平然と行われることの方が大きな問題だと思う。
 誤解を恐れずに言えば、仮に多少の政治献金があったとしても、それで国民の生活がどうなるという問題ではない。多くのお金が必要な政治家にとって、多少の政治献金というものはあっても不思議ではないと思う。そんな小さな問題で、巨額の税金を使って大々的な捜査を行うことの方がはるかに無駄でもある。

 この問題を考えるにあたって、格好の教材となる書籍がタイミングよく発売された。ホリエモンこと、堀江貴文氏のライブドア事件暴露本『徹底抗戦』だ。
 この本を読めば、今回の小沢氏に対する強制捜査の思惑も垣間見えるような気がする。
 3年前のライブドア事件も国策捜査(官策捜査)の典型のような事件であったので、事件のバックグラウンドを考える上では参考になるかもしれない。
 当時の民主党は、ホリエモンの偽メールを見抜けなかったことで、前原代表が辞任し、永田議員が辞職し、最終的には自殺するという悲劇を演じることになってしまったが、皮肉なことに今回、党の代表に国策捜査が及ぶことになってしまった。
 民主党が本当に政権を取る気があるのならば、ホリエモンを見習って徹底抗戦するという捨て身の奇策を演じてみてはどうだろうか? もちろん、相手は自民党ではなく、国家権力(=官僚)である。

(追記)文中でも述べましたが、今回の記事はあくまでも仮説です。しかし、冷静に考えれば、そういう結論にならざるを得ないという前提で書いています。私は陰謀論などというものにはほとんど興味はありませんので、感情的な批判は御遠慮願います。

 

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『マンナンライフ事件』(“被害者”と“金の亡者”)

2009030701

 今週、またもや『マンナンライフ問題』が再燃した。なんでも、こんにゃくゼリーを食べて窒息死した被害者の家族がマンナンライフに対して(同時に)2件も訴えを起こしたらしい。
 当ブログでも何回か『マンナンライフ問題』を論じてきたが、こんにゃくゼリーが再販売されるようになったことからも、この事件もようやく収束に向かうのだろうと思っていた矢先に、まさかの再燃となってしまった。

 死亡した被害者は、それぞれ1歳半87歳という、共に極端な低高年齢者ということもあり、ネット言論界では「事故が発生したのは自己責任だ」とする意見が圧倒的に多いようだ。
 私も以前は、被害者の家族に対する同情もあったので、それほど厳しくは批判しなかったのだが、さすがに今回の訴えを聞いて「呆れた」というのが正直なところだ。おそらくマンナンライフの職員達も、建前上はともかくとして、本音では文句を言いたいところだろうと思う。しかし、この国のマスコミには建前論しか通用しないようで、マンナンライフを擁護している人間は全くと言っていいほど、テレビには登場しない。もう少し冷静な大人の意見も報道すればいいと思うのだが、あくまでも人権至上主義を貫きたいようだ。

 確かに被害者の家族の残念な気持ちは痛いほど理解できるのだが、はたして、亡くなった被害者は残された家族が訴えを起こすことを喜ぶのだろうか? 訴えを起こした人間(及び被害者)の名前は公表されていないとはいえ、よくよく考えると、訴えを起こすことは、逆に被害者の名を貶めていることになるのではないだろうか? 故人が草葉の陰から「そんな恥ずかしい真似は止めてくれ」と言っているような気がするのは私だけだろうか? こう言ってはなんだが、私には主客が転倒している(マンナンライフが被害者になってしまっている)ように見える。

 そもそもこの事件には“加害者”なるものが存在したのだろうか? マンナンライフがこんにゃくゼリーを製造することが罪でないのなら、もともと加害者などは存在しなかったはずだ。作ってはいけないもの(麻薬など)を作っていたというのなら加害者だと言えるだろうが、単なる健康食品を製造していた会社がなぜ加害者になってしまったのだろうか? のどに詰まり易い食べ物を製造・販売したから? はたしてそんなことで本当に加害者になってしまうものなのだろうか?

 例えば、フグ料理で毒にあたった場合などは、そのフグ料理を作った人間が加害者だと言えるだろう。なぜなら、食した誰にも被害を免れることはできないからだ。この場合であれば、料理人の過失として訴えることは可能であろうし、誰も文句は言わないだろう。
 では、鯛の刺身料理を食べて、不幸にもその鯛の骨が原因で死亡してしまった場合はどうだろうか? その場合、料理人が骨を残らず取らなかったから悪いと言えるだろうか? 鯛の骨は危険だという認識を持っていれば、普通の人間なら骨に気を付けて食べるだろう。
 ここで質問。あなたは、骨がのどに刺さったからといって、それを料理人のせいにする人を見たことがあるだろうか? おそらくそんな人はいないはずだ。しかし、この事件では、そんな通常では有り得ないことが起こっている。そして、多くの人がそんな異常な光景を観ても、なんら不思議に思わず、感情的なマスコミ報道に同調しているだけという、さらに有り得ない光景を、まともな人間が観ているという有り様だ。

 多くの人が述べているように、1歳や87歳という嚥下(口の中の物を飲み下すこと)する力の弱い人間に対して、“のどに詰まるかもしれない”という危険性を考慮していなかったのは、マンナンライフ側ではなく、実は被害者(の家族)の方だったとも言える。
 こんにゃくゼリーには今回の事件が発生する以前から、注意書きが書かれていた。その文字が小さかったのがいけなかったなどというのは、ただの言い掛かりに過ぎない。読めないほど小さい文字で書かれてあったというなら話は別だが、普通に読める文字で書かれてあったのであれば、それで充分だ。問題は文字の大小ではなく、その注意書きを読まなかった(気にも止めなかった)ことであるからだ。「文字を大きくしなければならない」というのは、突き詰めて考えれば、「この商品は危険だから買うな」と言っているのと同じことだ。商品を販売することが前提の健康食品に「この商品は買うな」などという注意書きを付け加えること自体、経済行為を無視した馬鹿げた対策と言うほかない。そんな注意書きを強調するくらいなら、企業としてはそんな危険な商品は初めから製造しない方が得策であるし、売上が下がるのが目に見えているのだから、販売すること自体がおかしいということになってしまう。
 マンナンライフにとって『こんにゃくゼリー』は主力商品であり、ヒット商品でもあるので、簡単に製造自体を廃止するわけにはいかない。おそらくマンナンライフ側も自分達が被害者だと認識しているだろうから、製造を再開したいと思うのは当然の帰結だ。

 しかし、マンナンライフとしても自社の製品を食べて死亡した人がいることは精神衛生上、あまり気持ちのよいものではないだろう。そして、被害者の家族がどこかに悲しみをぶつけたい気持ちもなかなか収まらないだろう。だからといって、被害者の家族がマンランライフに対して訴えを起こすというのはいただけない。そんなことをしても誰も喜ばない(喜ぶのは司法関係者だけ)し、観ていてあまり気持ちのいいものではない。
 私としては折衷案として、マンナンライフ側から被害者に対して、お詫びの意味も込めた見舞金でも手渡せばよいのではないかと思う。わざわざ裁判沙汰にしなくてもよいと思う。
 被害者が本当に欲しているものがあるとすれば、それは、お金ではなく謝罪であるはずだ。お金(しかも数千万円)でしか和解できないというのであれば、それは被害者の姿というよりは、金の亡者の姿でもあるということを助言しておきたい。少なくとも世間はそういう風にしか見ないだろう。そして『被害者』は『金の亡者』になることを決して喜ばないということも付け加えておこう。

 論理的かつ理性的に考えれば、こんな事件を裁判沙汰にすること自体が間違っていることは誰にでも解る。今回の訴えに対してどのような判決を出すべきかは明白だ。念のため、裁判所にも1つ忠告しておきたい。決して感情的な馬鹿な判決は出さないようにと。

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