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2009年4月

情報の【付加価値】とは何か?

2009042301 今朝のニュース番組で、「携帯電話の販売台数が3割減少している」とのニュースが伝えられていた。この記事に対する司会者のコメントは、「携帯電話は4〜5万円と高くなったからね、高性能になったので使い捨てではなくなったんだ」という空疎なものだった。
 こういったコメントがいかに的外れであるかは説明するまでもないが、このような曲解を放っておくのは社会的にもマイナスだし、精神衛生上もあまりよろしくないと思われるので少し補足しておきたいと思う。

 携帯電話の販売台数が激減している理由は当ブログでも何回か述べたことがあるので、そちらを参考にしていただければと思う。(該当記事→ 4K不況(規制強化と信号増設の関係)「消費者心理」と「お役人心理」の乖離

 そもそも「携帯電話が高くなった」というのは、“原因”ではなく“結果”だということを考える必要がある。“通話料金が高いという理由で本体価格を無理矢理に値上げした”という結果に対する結果論を述べても無意味だ。なぜ携帯電話を値上げしなければならなかったのか?、そしてそれは正しい判断だったのか?ということまで考えた上でコメントを述べるべきだろう。「携帯電話が高くなったから販売台数が減少した」と言うだけでは、あまりにもお粗末であり、お世辞にもまともな有識者の意見とは言えないだろう。

 しかし、こんな表面的な事実を報道するだけで商売が成り立つのであれば、これほど楽な商売もないと思える。マスメディアに携わる人間の平均年収は1500万円にも上るというのはよく知られたことだが、それだけの高給を得ているのであれば、もう少し情報に『付加価値』というものを付けてもらいたいというのが正直なところではある。この場合の【付加価値】というのは、【考えた上での情報】のことを意味している。

 果たして彼らマスコミは、本当に真実が判らないほどに無能なのだろうか? それとも真実を理解した上で、仕方なく建前報道を行っているのだろうか? あるいは、意図的にデタラメな情報を垂れ流しているのだろうか? マスコミの報道姿勢における疑問点の選択肢をまとめてみると、以下のようになる。

 1、真実が判らないほどに無知無能

 2、真実を理解しているが、お上の目を気にして
   仕方なく建前報道を行っている

 3、お上と結託して確信犯的に誤った情報を
   垂れ流している

 どれが正解かは判らないが、そのいずれにしても、マスメディアとしての体をなしていないことだけは明白だろう。3つとも“真実を追求する”というマスメディアの本来の使命を放棄してしまっている姿であるからだ。

 少し前に『ジャーナリズム崩壊』(上杉 隆 著)という本が話題になったことがあるが、現代日本のマスコミは、ジャーナリズムなどとは無縁のデタラメ報道機関と疑われても仕方がないかもしれない。ある種、北朝鮮のデタラメ報道とオーバーラップして見えてしまうところが嘆かわしい。真実を追求するべき目的を持ったマスコミが、何も考えない国民を作ることを目的としてしまっては、その存在価値は低下せざるを得ないだろう。

 最近のマスコミ報道は、まるで小学生の学級会議か学級新聞の認識レベルにまで堕しており、まともな認識力を持った人には見る(聞く)に堪えないほど情報が陳腐化しているのではないだろうか? このところ、マスコミも経営が厳しくなったと囁かれてはいるが、一向にそのクローズドな姿勢を変えるつもりはないらしい。
 『需要のあるところにこそ供給がある』という経済原理的な視点で観れば、現代のマスコミの凋落は単なる不況の影響ではなく、世間一般の変化とはかけ離れたクローズドな報道姿勢にこそ、その原因が求められるのかもしれない。

 現代マスコミは、情報力を持った有識者達からは既に見放されて久しいが、一般人からも愛想を尽かされる日は意外と近いかもしれない。現代のマスコミに対する国民からの需要とは『真実が知りたい』という需要であって、決して『建前論が聞きたい』というものではないからだ。
 情報の付加価値は、真実を追求する姿勢からしか決して生まれることはない。つまり、真実を追求する姿勢を持たない限り、マスコミは不況から脱する術はないと言っても過言ではないのである。

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医薬品販売における『所得の移転』問題

2009042001 昨日の新聞に、医薬品の登録販売者のことが取り上げられており、今後、ドラッグストアは、スーパーやコンビニ、果ては大手家電量販店との熾烈な販売競争に巻き込まれるというようなことが書かれてあった。
 この記事を読んで「アレッ?」と思った。なぜそう思ったのかと言うと、もちろん、『ネット販売店』については全く触れられていなかったからである。まるで、医薬品のネット販売禁止が既に決定したかのような記事の進め方に非常な違和感を覚えた。こういった新聞記事も、記者クラブでお上から発表された情報をそのまま掲載しているだけなのか?と勘ぐってしまった。

 以前、タスポが導入されたことによっても、小さなタバコ販売店は無視され、「コンビニ特需」などという摺り替え記事が掲載された。「特需」などという言葉を聞くと、まるで販売数が増加して景気が良くなったかのような印象を国民に与えてしまいそうだが、実際のところは単に既存のタバコ販売店からコンビニに所得が移転しただけのことだ。今回の場合も同じようにネット販売店は都合良く無視され、「コンビニ特需」という摺り替え記事が掲載されることになってしまうのだろうか…。
 
 今まで医薬品を販売できなかったスーパー・コンビニ・家電量販店は、『医薬品』という絶対に売れる新たな商品が追加されるわけだから、どう転んでも売上アップになる。
 以下に予想結果を列記すると、
 
 ドラッグストア・・・・マイナス
 スーパー・・・・・・・プラス
 コンビニ・・・・・・・プラス
 家電量販店・・・・・・プラス
 ネット販売店・・・・・大幅なマイナス
 
 なんのことはない。医薬品の需要が大幅に伸びるわけでもないだろうから、今回も単に所得の移転が発生するだけだ。スーパー・コンビニ・家電量販店から見れば『特需』だが、ドラッグストアやネット販売店から見れば『特損』になるだけの話だ。いや、ネット販売店から見れば『全損』に成りかねない。

 話は変わって、数カ月前、会社から帰宅後、少し風邪気味だったので風邪薬を買いに某有名ドラッグストアに出かけた。しかし、なぜか医薬品のコーナーには大きなカーテンが降ろされており、よく見るとカーテンに『21時以降の医薬品の販売は薬剤師不在のためできません』と書かれた注意書きが貼られてあった。それまでは運良く(?)21時以降に薬を買いに出かけるということがなかったせいか、何も気に留めていなかったのだが、実際に薬が買えないという体験をすると、「これはとんでもなく融通の利かない不便なものだ」と感じた。これでは完全に消費者無視ではないかと思い、ドラッグストアの店員に文句でも言ってやろうかと思ったが、「お上のお達しなので…」という理由で体よく無視されるのがオチなので諦めたことがある。

 風邪薬や胃腸薬などの販売にわざわざ登録販売者が必要だとは思えないが、医薬品の登録販売者制度が出来上がると、確かにそういった不便さ(夜間に薬が買えないという不便さ)は無くなるのだろうと思う。少なくとも、薬剤師が常駐しなければ薬の販売もできないという窮屈な制度だけは緩和されることにはなる。
 その緩和だけなら、消費者の視点に立った制度と呼べなくもないだろうが、その制度を維持するために「ネット販売を禁止する必要がある」と言うのでは、なにをか言わんやである。

 よく考えると、薬をネットで購入する場合は、注文したその日に届くわけではないので、急を要する場合は、病院に行くか、対面販売を選択せざるを得ない。つまり、風邪薬や胃腸薬などは、わざわざネット販売を禁止しなくてもネットで購入する人はそれほどいないとも言えるわけだ。風邪薬や胃腸薬を買い溜めするという目的でわざわざネット販売を利用しているような人はほとんどいないのではないかと思う。ネットで購入する医薬品というのは、そんなメジャーな薬ではなく、もっとマイナーな薬だろう。例えば、水虫の薬とか、生理用品(薬)とか、対面で買うのが憚(はばか)られるような物が中心ではないかと思う。そういった物のネット販売を禁止するということは、まさしく「消費者迷惑」以外のなにものでもない。
 
 私も、医薬品のネット販売規制については反対署名をさせてもらったが、果たして何人の署名が集まれば、聞く耳を持ってもらえるのだろうか? 仮に1000万人の署名が集まったとしても、「過半数ではない」ということで無視されてしまうのだろうか? この国に真の民主主義が根付くのは一体いつの日になることやら…。

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「内定取り消し」と「内々定取り消し」の大いなる違い

2009041401 春になり、昨年の『内定取り消し』問題もひとまず落ち着いたかと思いきや、今度は、『内々定取り消し』問題が話題となっている。
 昨年の7月に某不動産会社から内々定をもらっていた福岡市の学生が10月に内々定を取り消されたということで、この不動産会社に対して訴えを起こしていたらしい。この訴えに対する福岡地裁の判決は、「内々定取り消しは違法」とのことで、会社側に75万円の支払いを命じたようだ。

 内定というものは通常、10月1日に出されるものだが、この学生に対する内々定取り消しは、内定式の2日前に行われたらしい。昨年の10月と言えば、急激に景気が冷え込んだ時期(しかも不動産業)でもあるので、企業側としては内定する前に取り消した方が良いと判断したのだろう。しかし、その判断(内々定取り消しならそれほど問題ないという判断)は、無効となってしまったようだ。
 
 この学生の弁護士は今回の判決に対して、「内々定でも労働契約が成立することが指摘された。泣き寝入りしている多くの学生を勇気づける画期的な決定」と評価しているそうだが、「その通りだ!」と言う前に、この会社は正式な採用決定を取り消したわけではないということに注意しよう。これまで問題とされてきた「内定取り消し」とは、“採用することを取り消した”ことを意味していたが、今回のケースは、“内定することを取り消した”ことを意味している。この(大きな)違いに注目する必要がある。
 今回の福岡地裁の判決は、別の言い方をすれば、「内定も内々定も同じものだ」ということを認めてしまったことを意味している。当然、これは初めての判断であったらしいが、この判断が、今後の企業の採用活動に少なからず影響を及ぼすだろうことは間違いないだろう。
 
 しかし、内定や内々定の取り消しが違法となり、賠償金を支払わなければならないということなら、学生側からの一方的な内定辞退や内々定辞退はどうなるのか?という問題もある。学生側が訴訟を起こすのなら、逆に企業側からも訴訟を起こすケースも出てくるかもしれない。
 私も学生時代に就職活動をして何社か内定を辞退したことがあるが、申し訳ないと思う気持ちはあっても、違法になるなどとは夢にも思っていなかった。逆に企業側から内定を取り消された学生がいたとしても、それで訴えを起こしているような人は聞いたことが無かった。まあ、景気の良い時であれば、1人に対して何社からも内定の連絡が来るので、その中の1社から内定を取り消されたからといって、訴える必要が無かったのかもしれないが…。
 
 企業側から見れば、「内定」と「内々定」とは、言葉が示す通り全く別のものだ。面接試験にも、一次面接試験、二次面接試験と段階があるのと同様に、内定にも段階を設けていたわけだが、今回の判決によって、この違いが失われてしまったとも言える。つまり、「内々定」というものが存在しなくなったと言っても過言ではないということだ。
 企業側にとって、「内々定」が無くなるということは、今後、学生に対しては、なかなか内定を出せなくなるということだから、就職活動は更に困難を極めることになるだろう。内々定を出すことに訴訟リスクが伴うのであれば、これは至極当然の帰結であって、今後、学生の就職活動が楽になるということは絶対に有り得ないと思った方がいいだろう。それが多くの学生にとって幸せなことであるかどうかは考えるまでもない。
 
…とは言え、私も転職活動中に、なかなか採用とも不採用とも連絡が来なかったことで、やきもきとした経験がある。連絡が遅れた挙げ句、結局、「不採用」などという誠意のない返事をもらった時などは、落胆とともに多少の憤りも感じたことがある。そう考えると、内々定の取り消しであろうと、誠意のない一方的な取り消しである場合は、訴えられても仕方がないと思う気持ちもある。だから、今回の福岡地裁の判決が、“内々定を取り消したことに対する賠償金”ではなく、“誠意のなかったことに対する慰謝料”であるのなら、致し方がないとは思う。

 この判決によって、今後、企業側は採用活動に慎重にならざるを得ないだろうが、同時に求職者に対しては誠意ある対応を取る方向にシフトしていってもらえればと思う。そして誠意のある企業に対しては、学生側も安易に訴えを起こすようなことはしないという懐の大きい社会になってもらいたいと思う。

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「婚活」ブームから「離活」ブームへ(?)

2009040601 少し前に、「婚活」という言葉が流行ったかと思っていたら、今度は「離活」という言葉が流行り出したらしく、NHKでもこの春から『コンカツ・リカツ』という題名の新ドラマがスタートしたらしい。
 「婚活」という言葉は、社会学者の山田昌弘氏の造語であるそうだが、当ブログでも以前、「婚活」現象を基にして現代の結婚の理想と現実を少し述べたことがある。(該当記事→『一億総結婚社会』の理想(恋愛)と現実(結婚)
 
 「結婚活動」が「婚活」であれば、「離活」とは当然「離婚活動」のことを意味しているのだろうが、こういった現象はなぜ発生しているのか?という原因を経済的な観点から少し探ってみたい。
 
 『「まだ結婚しないの?」に答える理論武装』(伊田広行著)という面白い本がある。この本では親や親戚、先輩や友人などから「なぜ結婚しないの?」という質問をされた場合にどのように返答すればよいのかということが現実的な視点から理論的に説かれている。
 結婚することが当たり前だった頃から、「なぜ結婚しないの?」という言葉は時代を超えた名文句のように使用されてきたが、現代のように結婚することが当然でなくなった時代であっても「なぜ結婚しないの?」という名文句を何の疑いもなく使用している人が大勢いる。まず他人にそういった疑問を投げかける前に、「なぜ結婚しない時代になったのか?」ということを自分の頭で考えるべきなのだろうが、そういったことを全く考えずに「なぜ結婚しないの?」と言われても、「はあ・・?」と言いたくなる人(未婚者)も結構多いのだろうと思う。
 
 現代という時代にあって「なぜ結婚しないの?」という言葉は、もはや時代の空気が読めない人間が発する象徴的な言葉(=KY語)になってしまった感がある。いつまでも結婚しない人を心配する気持ちは充分に理解できるのだが、その言葉を発すること自体が、自らが時代の空気が読めない疎い人間であることを証明してしまっているようにも感じられる。それほどまでに現代の結婚観は昔とは変わってしまったのである。(昔と言ってもほんの20年前位のことだが…)

 時代は、就職活動と同じように、結婚活動をしなければ結婚できないという時代になった。それは、誰も彼もが結婚できる時代ではなくなったということであり、結婚するためには、個人的な様々な努力が必要になったということである。それは、選び選ばれるためには自らを磨く必要があり、またそれくらいのことができなければ結婚したとしても、結婚生活を維持することは難しくなったということを意味している。
 ちょうどバブルが崩壊した1990年代に結婚を経験したロストジェネレーションの中に、現在になって結婚したことを後悔している人が大勢いるらしいが、この時代は就職氷河期とも言われ、多くの学生が就職できずにフリーターなどの職に就いた時代だ。しかし、以前からの結婚観を持ったままであった人の多くは、経済的なゆとりがなくても結婚を選択した。その後、定職に就けた人はよいとしても、そのまま不安定な生活を余儀無くされた人も大勢いたはずだ。
 そういった人の子供も今や10〜20歳という一番お金のかかる年齢に達しており、夫婦共働きでも生活していくのは経済的にも苦しい状態ではないかと推測される。そのためか、妻が夫に対して「かい性が無い!」と言って暴力を振るうドメスティック・バイオレンス的な夫婦喧嘩も後を絶たないらしい。
 
 バブルの絶頂期に土地を購入した人は、大損したと言われているが、バブルの絶頂期に子供を多くもうけた人も、現在では苦しい生活を余儀無くされている。土地は手放すことができるが、子供はそうはいかない。当時、2人でも3人でも面倒がみれると思って子供を産んでしまった人も、現代であれば、そんな悠長なことは言っていられない。その証拠に現代では子供が1人という夫婦が最も多い。それは経済的なストッパーがかかっているためであり、子供を育てることには大変なリスクが伴うということを認識しているからに他ならない。
 そのことは子供を産む以前の結婚という行為にも当てはまる。結婚というものにも大きなリスクがあるということを多くの人が認識しているが故に、結婚を選択する人間も減少しているわけだ。「離活」などというものが流行る背景には「結婚生活を続けるよりも離婚した方が楽だ」という女性(男性も?)が水面下に多く存在しているということを表しており、現在の3組に1組は離婚するという現象が、今後は2組に1組が離婚するというようなことになってしまう可能性も有るということだ。
 3組に1組でも以前の認識から考えれば異常なことだと思うが、これがそれ以上になると、さすがに「なぜ結婚しないの?」などと暢気なことを言う人も減少するかもしれない。それが良いことだとは私も思わないが、そういった時代認識を持つことは必要なことかもしれない。現代は「結婚しない人間は異常だ」と言っている人間こそが、ある意味では異常な(時代錯誤な)人間だと思われても不思議ではない時代なのである。
 
 結婚は誰も彼もが行うものではなくなり、結婚という行為は必ずしも幸せの片道切符ではなくなった。もともと安定志向で貯蓄志向が強いと言われる日本人が、同じようなリスクが結婚という行為に対しても伴うのであれば、必要以上に慎重になってしまうのは至極当然の結果と言えなくもない。
 現代の日本では、結婚は個人の選択と責任において行うリスクのあるものに変化してしまった。そういう時代認識を持てば、「なぜ結婚しないの?」という言葉が如何に時代に適合していないかがよく分かる。これからは「なぜそんなことを聞くの?」と返す人が多く出てくるのかもしれない。あるいは「なぜ結婚なんかするの?」と…いや、この先は止めておこう。

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