情報の【付加価値】とは何か?
今朝のニュース番組で、「携帯電話の販売台数が3割減少している」とのニュースが伝えられていた。この記事に対する司会者のコメントは、「携帯電話は4〜5万円と高くなったからね、高性能になったので使い捨てではなくなったんだ」という空疎なものだった。
こういったコメントがいかに的外れであるかは説明するまでもないが、このような曲解を放っておくのは社会的にもマイナスだし、精神衛生上もあまりよろしくないと思われるので少し補足しておきたいと思う。
携帯電話の販売台数が激減している理由は当ブログでも何回か述べたことがあるので、そちらを参考にしていただければと思う。(該当記事→ 4K不況(規制強化と信号増設の関係)、「消費者心理」と「お役人心理」の乖離)
そもそも「携帯電話が高くなった」というのは、“原因”ではなく“結果”だということを考える必要がある。“通話料金が高いという理由で本体価格を無理矢理に値上げした”という結果に対する結果論を述べても無意味だ。なぜ携帯電話を値上げしなければならなかったのか?、そしてそれは正しい判断だったのか?ということまで考えた上でコメントを述べるべきだろう。「携帯電話が高くなったから販売台数が減少した」と言うだけでは、あまりにもお粗末であり、お世辞にもまともな有識者の意見とは言えないだろう。
しかし、こんな表面的な事実を報道するだけで商売が成り立つのであれば、これほど楽な商売もないと思える。マスメディアに携わる人間の平均年収は1500万円にも上るというのはよく知られたことだが、それだけの高給を得ているのであれば、もう少し情報に『付加価値』というものを付けてもらいたいというのが正直なところではある。この場合の【付加価値】というのは、【考えた上での情報】のことを意味している。
果たして彼らマスコミは、本当に真実が判らないほどに無能なのだろうか? それとも真実を理解した上で、仕方なく建前報道を行っているのだろうか? あるいは、意図的にデタラメな情報を垂れ流しているのだろうか? マスコミの報道姿勢における疑問点の選択肢をまとめてみると、以下のようになる。
1、真実が判らないほどに無知無能
2、真実を理解しているが、お上の目を気にして
仕方なく建前報道を行っている
3、お上と結託して確信犯的に誤った情報を
垂れ流している
どれが正解かは判らないが、そのいずれにしても、マスメディアとしての体をなしていないことだけは明白だろう。3つとも“真実を追求する”というマスメディアの本来の使命を放棄してしまっている姿であるからだ。
少し前に『ジャーナリズム崩壊』(上杉 隆 著)という本が話題になったことがあるが、現代日本のマスコミは、ジャーナリズムなどとは無縁のデタラメ報道機関と疑われても仕方がないかもしれない。ある種、北朝鮮のデタラメ報道とオーバーラップして見えてしまうところが嘆かわしい。真実を追求するべき目的を持ったマスコミが、何も考えない国民を作ることを目的としてしまっては、その存在価値は低下せざるを得ないだろう。
最近のマスコミ報道は、まるで小学生の学級会議か学級新聞の認識レベルにまで堕しており、まともな認識力を持った人には見る(聞く)に堪えないほど情報が陳腐化しているのではないだろうか? このところ、マスコミも経営が厳しくなったと囁かれてはいるが、一向にそのクローズドな姿勢を変えるつもりはないらしい。
『需要のあるところにこそ供給がある』という経済原理的な視点で観れば、現代のマスコミの凋落は単なる不況の影響ではなく、世間一般の変化とはかけ離れたクローズドな報道姿勢にこそ、その原因が求められるのかもしれない。
現代マスコミは、情報力を持った有識者達からは既に見放されて久しいが、一般人からも愛想を尽かされる日は意外と近いかもしれない。現代のマスコミに対する国民からの需要とは『真実が知りたい』という需要であって、決して『建前論が聞きたい』というものではないからだ。
情報の付加価値は、真実を追求する姿勢からしか決して生まれることはない。つまり、真実を追求する姿勢を持たない限り、マスコミは不況から脱する術はないと言っても過言ではないのである。
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