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「精神論」の是非と真の景気対策とは?

 大手電機9社の2009年度3月期決算が発表されたが、三菱電機を除く8社が赤字決算となったようだ。今年の2月の時点では三洋電機も損益0で一応の黒字という予想だったが、赤字に転落してしまったようだ。
 ちなみに大手9社は以下の通り。
2009051701
  日立製作所
  パナソニック
  ソニー
  東芝
  富士通
  NEC
  三菱電機
  シャープ
  三洋電機
  
 このところの不況による“消費減退”と“円高”が赤字の原因とされているが、各社は更なる人員削減と工場などの海外移転化などによって急場を凌ごうと考えているようだ。
 
 ところで、このところ、社員の士気を高めて不況に立ち向かうという日本企業お得意の「精神論」はあまり聞かれなくなった。出てくる不況対策は経費削減のリストラ策ばかりで前向き(?)な対策はどこかへ吹き飛んでしまったかのようだ。
 私は基本的に「精神論」否定論者ではないが、かつて日本企業で大流行りした「精神論」とは何だったのか? そしてそれは今後必要なものなのかについて少し考えてみたいと思う。
 
 「精神論」というものを考える場合、どうしても避けて通れない大事な点がある。それは何かというと、「需要と供給の問題」だ。かつての日本経済の成長期には旺盛な需要が存在した。いくら仕事をしても次から次へと仕事が入ってくるという巨大な需要が存在したために、その需要に応えること(つまり供給の拡大)こそが企業の大きな使命だった。
 具体的な例で言うと、100人の従業員を抱える企業に対して、150人分の仕事が常に存在したために、企業の目的は、いかに多くの仕事をこなすことができるかということだった。100人で110人、120人、130人分の仕事をこなせるようになることが第一目的に成らざるを得ない時代だった。そのために、各企業は自前の企業哲学というものを唱え、社員の士気を向上させることによって仕事の合理化に努めた。元々勤勉な国民性も手伝い、この企業精神論は大きな力を発揮した。実際に従業員達は真面目に仕事をこなし、より多くの供給を社会に返すことに成功した。その甲斐もあってか、日本製の企業哲学がもてはやされ、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というような言葉も生まれ、日本は好循環に支えられた経済大国となり、黄金の時代を謳歌した。
 
 しかし、時代は変わり、現在では経済規模(=需要)自体がかつての60%にまで低下した。これは要するに100人に対して、100人分の仕事が有るか無いかというような状態になったことを意味している。こういった需要減退社会にあっては、100人の人が110人、120人、130人分の仕事をこなす理由がなくなったということを意味している。しかし、各企業は“仕事が減った”という別の理由から合理化に努めなければならなくなった。企業は「限られた需要」という名のパイを奪う競争に明け暮れた結果、必然的に仕事が無くなるという企業が生まれることになった。(もちろんこれは日本国内だけの話で済むものではないので、そうなった理由は他にもある)
 
 さて、もう一度、「精神論」に話を戻そう。例えば、100人に対して80人分の仕事しか無いような時代であれば「精神論」は必要だろうか? 答えは難しい。精神論が合理化を齎すものであるならば、それはいつの時代でも必要ではある。しかし、需要減退社会にあって精神論を追求すればするほど、企業間格差や所得格差が発生することになることもまた(皮肉な)事実だ。需要が有り余っている時代における格差は有って然るべきであり否定するべきものではないが、需要が足りない時代に発生する格差は少し問題かもしれない。
 競争(または努力)することによって格差が生まれることは仕方のないことであり、「格差は何でも悪」というような評論家は間違っている。しかし、競争(努力)することによって格差を埋めることができるという前提があってこその格差肯定であり、競争(努力)する前から既に格差が存在しており、格差を埋めることができないような社会では、話は別だ。
 
 というわけで、需要激減という大不況の最中にあって、「精神論こそが不況を打破する」とか「不況から脱することができないのは精神論が失われたからだ」と言うような意見は、現実が見えていない妄説と言えなくもない。
 では「精神論」は無用なのか?と言えば、そうではない。しかし唯一絶対的に必要なものとは言えない。では何が必要なのか?と言うと、答えは「需要」だ。需要激減という大不況の最中にあって本当に必要なものとは、「需要」と言うほかない。つまり、「新たな仕事」を創り出すことだ。(注意:公共事業のことではない)
 
 精神論経営の甲斐無く赤字経営に陥った企業が為すべきことは、際限のない安値競争に明け暮れて自分だけが生き残ろうとすることではなく、新たな需要を創り出すことにこそ、そのエネルギーを使うべきなのだ。そして政府はそういった企業の努力を支えることにこそ限られた税金を使用するべきだろう。それこそが、本当の景気対策だと言える。

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コメント

環境とかリサイクルとかエネルギーで経済の歯止めがかかっている。お金が少なくてすむような考えはないのでしょうか?

投稿: 通行人 | 2009年7月13日 (月) 12時26分

通行人様

コメント、有り難うございます。

 環境問題で経済に歯止めがかかっているのはその通りですが、逆に、経済に歯止めがかかっているがために、環境問題が騒がれているという隠された側面もあると思います。

 お金が少なくてすむようにするためには、物価を下げることが挙げられると思います。
 こう書くと、「えっ、日本はデフレで物価が下落しているのではないの?」と思われる人がいるかもしれませんが、下がらないままで放ったらかしのものが結構あります。
 収入がなかなか上がらない社会では、全ての物が等しく安くならなければいけないのですが、日本の場合はそうはなっていません。要するに、健全な市場が形成されておらず、市場法則が健全に機能していないわけです。歪な市場、または歪な社会であるがゆえに、多くの人々は必要以上に過酷な労働を余儀無くされ、幸福感を喪失しているというのが現在の日本の現状ではないかと思います。

投稿: 管理人 | 2009年7月13日 (月) 23時55分

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