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「同一労働相違賃金」の年功序列制度

2009061901 「同一労働同一賃金」という言葉がある。読んで字の如く、同じ労働であれば同じ賃金という、ごく当たり前の意味だが、最近、この言葉をネット上でよく見かけるようになった人は多いと思う。
 なぜこのようなごく当たり前のことが今頃になって囁かれ出したのかというと、答えは至って簡単で、このグローバル経済不況下にあっても日本ではこの「同一労働同一賃金」が実現されていないためだ。

 よく聞かれる有名な対比話に、“銀行の窓口女性”と“ファーストフードの女性販売員”というものがある。この両者を比べると、収入には数倍の開きがあるが、仕事内容としては実はそれほど変わらない。一方は“お金”、一方は“食料”と、扱っている商品の違いがあるとはいえ、接客する上での応対に収入差ほどの開きは感じられない。服装や接客態度、社員教育が徹底されているという意味でのサービスレベルの違いは少しはあるのかもしれないが、それでもサービスに数倍の差があるとは思えない。これは誰もが認めるところだろうと思う。しかし、銀行員と販売員には厳然とした収入差がある。このことは不況下であっても変わらない。この例の場合、完全な同一労働ではないにしても、過剰なまでの賃金格差があることは誰の目にも明らかだ。
 
 「同一労働同一賃金」が実現されていないと思われる例はもっと身近にもある。普通の企業を例にとってみても、新入社員とベテラン社員では同じ仕事を行っていても賃金に大きな開きがある。
 「そんなの年功序列の日本企業では当たり前だ」と言う人がいるかもしれないが、「同一労働同一賃金」を真に考える場合、年功序列制度というものを避けては通れないので話を続ける。
 
 例えば、ある機械組立工員が、プリンターを1台組み立てるとして、それを組み立てる工員の入社年度(または年齢)によって組立料金(=給料)が異なるというのは、どう考えてもおかしい。新入社員が組み立てれば1万円で、ベテラン社員が組み立てれば3万円などということは本来であれば有り得ない。組み立てに要する時間が3倍違うというなら話は別だが、単に経験や年齢だけで商品の値段が変わってくるというようなことは芸術品でもない限り有り得ないはずだ。
 ところが、日本の企業はこの有り得ないシステムを今まで採用してきた。いや、正確に言えば、ある時点までは採用することができた。なぜか? この例の場合で言えば、3倍の給料を支払っても充分に利益が出る構造であったからだ。そしてそれは同時に、若年社員の給料を限りなく安く設定していたということでもある。
 
 ところが、経済がグローバル化してしまうと、幸か不幸か、日本国内で新人とベテランの組立料金の違いなどを考えている場合ではなくなってしまった。新人が1万円、ベテランが3万円だったとしても、海外で組み立てれば、数千円でできるようになってしまえば、ベテランの価値などは吹っ飛んでしまう。そのベテランが誰にも真似のできない代物を組み立てるというなら話は別だが、ただ経験や年齢が上というだけでは、何の価値も無いようになってしまった。況して、利益率自体が急減してしまったので、3万円も支払えば企業は採算が取れないという事態に追い込まれてしまった。
 しかし、そんな事態に追い込まれても、このベテランは解雇もされず給料もほとんど下がらなかった。すると、どうなったか? その企業は倒産したか? いや、しなかった。ではどうなったのか? 新人を雇わず、臨時雇用員を雇い、組立料金を5000円に下げることで対応した。これが日本企業の年功序列制度維持の最終手段であり最後の砦だった。しかし、もはや、その最終手段も限界に達しつつあり、いつ何時、その砦が崩れるか分からないというところまで来ている。(中小企業の場合は既に崩れている)

 「年功序列制度」と聞くと、どこか「丁稚奉公」や「徒弟制度」というようなイメージを抱いてしまうが、実際のところは、ただの「ねずみ講制度」でしかなかった。早い話が、多くの日本企業では国内でしか通用しない「ねずみ講経営」を行ってきたというだけのことであり、その制度を日本特有の素晴らしい文化だと礼賛してきただけの話なのである。経済のグローバル化と異常な少子化によってその制度を維持することができなくなり、事実上その制度が崩壊しているにも関わらず、無理矢理に維持し続けようと足掻いた結果が、能力があっても定職に就けないというロスジェネ世代を生んでしまったわけだ。

 気が付けば、日本経済自体が「ねずみ講」システムの上に成り立っていたという悪夢のような現実が表面化し、二進(にっち)も三進(さっち)もいかなくなってしまったというのが、現代の日本の姿でもある。ゆえに、この硬直した悪夢のような現実を断ち切る手段は自動的に導き出される。その手段とは、「年功序列制度」の廃止…というよりも、日本システムの再起動だ。総てにおいて官僚化してしまった融通の利かない日本システムの全てを1度リセットすることが、この悪夢から抜け出す最善の方法であるはずなのだが、この悪夢の中でしか生きることができない獏(夢を食う霊獣)のような抵抗勢力(=既得権益者達)が頑として立ちはだかっているため、誰にもリセットボタンが押すことができない。いや、多くの人はリセットボタンを押そうとも考えないし、リセットボタンが有ることにさえ気が付いていないかもしれない。(もちろん目に見えるボタンではないのだが…)

 まさしくこのリセットボタンこそは、日本にあるパンドラの箱だとも言える。この箱を開ければ一時的にあらゆる災いが押し寄せることになるかもしれない。しかし、ギリシャ神話のパンドラの箱と違うところが1つだけある。それは、最後の『希望』が出てくる可能性が100%であるということだ。
 「同一労働同一賃金」を突き詰めると、この日本社会の目に見えないリセットボタン【パンドラの箱】に行き着くことになる。この箱を開けるべきか、それともそのままにしておくべきか? それが、現代日本の「同一労働同一賃金」論争の本質なのである。

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コメント

安い商品が競争で出てくる時代、人件費の面は同一賃金ということもありますね。
(中高年が転職すれば自然とそういう傾向になりますよね)

投稿: | 2009年7月 5日 (日) 15時58分

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