« 自民党の捨て身の戦略は功を奏するか? | トップページ | レンタルDVD店の経済学【ゲオの株主優待制度】 »

『同一労働相違賃金』と『相違労働同一賃金』の違い

2009072701 昨日、久しぶりにサンプロ(サンデープロジェクト)を観ていると、テレビ番組では珍しく「同一労働同一賃金」論議が行われていた。若者論で有名な城 繁幸氏がコメンテーターで出演していたためか、珍しくテレビで本音トークを聴くことができた。
 マスコミのテレビ番組に出演している人間が、そのマスコミの問題点を鋭く追及しているような姿はなかなか観れるものではない。
 しかし、同じくコメンテーターの財部氏も言っていたように、パネラーの政治家達の底の浅い論議には甚だ呆れてしまった。与党側はなぜかいつもよりはまともな意見を言っているように見えたが、野党側は相変わらず机上の空論を展開しているようにしか見えなかった。

 野党側はとにかく“思い込み”が激しいようで、未だに“企業悪玉論”から脱皮できずに、ひたすら派遣切りバッシングを行っているように見えた。その論理は「派遣切りは人道的ではない」とか「企業は派遣切りしないシステムを構築することもできる」というようなものだが、こんなのはただの結果論(しかも表面的)に過ぎない。
 パネラーの政治家達は「原因が…」「原因が…」と言っている割りには、言っている本人自身が全くその原因を理解できていないという有り様だった。
 もし理解した上で(多くの国民を騙そうと思って)語っていたのだとすれば、相当したたかで頭がキレる論客だと言えそうだが、実際のところはその逆だと思った方がよさそうだ。“頭がキレる”のではなく、“頭がキレている”と言った方が正しいかもしれない。
 「各党の論客」というのは、単に「口達者な論客」というだけで、少しでも社会や経済に理解のある人間からあのような床屋談議を観れば、まさしく財部氏の言うように「馬鹿馬鹿しい」の一言に尽きると思う。

 城氏の言うように、『同一労働同一賃金』を語るのだとすれば、なぜそれができないのか?という根本の問題(日本の社会構造)まで遡らないと原因が判らないと思うのだが、政治家達が述べている原因は、「企業が都合の良いように派遣社員制度を悪用している」とか「正社員と派遣社員の待遇に差が有り過ぎる」という表面的な認識のみで止まっている。少なくとも、なぜ正社員の給料は高く維持され、クビにならないのか?というところまで掘り下げないことには論議するテーマ(内容)すら定まらない。
 要するに、論議している人間の認識レベルがてんでバラバラなので意見が噛み合わず、簡単な問題の答えを出すこともできない(=時間の無駄)という状態なのだ。

 政治家達がいかに優秀な大学を卒業したエリートであったとしても、それは単なる受験エリートというだけのことであり、社会に出てから評価された本当のエリートではない。ゆえに政策論議が単なる机上の空論に陥りがちだ。
 城氏自身も東大法学部出身の受験エリートではあるが、実際に社会(富士通)に出てから学んだ経験を踏まえた上で本音を語ることのできる人間であるためか、明らかに政治家達とは大きな違いがあるように思う。無論、社会に出てから政治家になったという人もいるだろうが、建前論議に花を咲かせるようになってしまえば、社会に出た経験も無きに等しい。社会経験自体が活かされていないわけだから、そう思われても仕方がないだろう。

 『同一労働同一賃金』については以前にも当ブログで述べさせてもらったことがある(→「同一労働相違賃金」の年功序列制度が、その時は『同一労働相違賃金』について述べた。同じ仕事を行っているのに賃金に大きな差があるのはおかしいというのがその要旨だが、これとは別に『相違労働同一賃金』という問題もある。政治家達には、この2つの違い(『同一労働同一賃金』を入れれば3つ)がよく解っていないらしい。

 『相違労働同一賃金』というのは、全く違う仕事(高度な仕事とそうでない仕事)を行っている人の賃金も一緒にしなければならないという、いわば、共産主義的な考えだ。その考えは、努力した者も努力しなかった者も同一賃金にしなければならないという極めて危険な発想(早い話が嫉妬)が元にある。こういったことを言う人達は、「努力」という言葉を「能力」という言葉に置き換え、生まれながらに能力の違いがあるのはおかしいという立場に立って、曲論を、さも正論であるかのように述べる。その思想は、単に能力のある人間から富を奪い取ろうと考える邪(よこしま)な人間を数多く創り出してしまった。

 能力のある人間は、努力しても努力しただけの結果が返ってこないという社会では喪失感を感じることになり、本来生み出すはずの富も最小限に抑制されることになる。努力すれば努力するだけ(言い換えれば、能力を発揮すればするほどに)生み出した富を搾取されるのであれば、誰も努力する気を失ってしまう。
 本来、能力がある人がいかんなく能力を発揮することができる社会であれば、その生み出した富によって、経済的弱者といわれる人達も救えるかもしれない(それこそが本当の共産主義)にも関わらず、その可能性を“嫉妬”という劣情によって自ら破壊してしまっていることに気が付いていないというのが、共産主義者と言われる人達の真の姿であると言える。

 マイクロソフトのビル・ゲイツにしても、アメリカがその才能をいかんなく発揮できる自由な社会であったからこそ、その生み出した富の何割かを寄付という形で多くの人々が受けることができた。これが、自由のない嫉妬が渦巻いているような国であれば、どうなっていただろうか? ビル・ゲイツは嫉妬の対象とされ、マスコミに叩かれた挙げ句、マイクロソフトという大企業すら生まれなかったかもしれない。

 さて、その嫉妬が渦巻いている国とはどこの国のことだろうか? 日本という国が、はたしてそういう国でないと言えるだろうか?
 日本を本当に三流衰退国家にしたくなければ、『同一労働同一賃金』と『相違労働同一賃金』を決して混同してはならない。そして『同一労働相違賃金』も見直さなければならない。くれぐれも政治家達の甘い言葉には騙されないうように注意しよう。

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« 自民党の捨て身の戦略は功を奏するか? | トップページ | レンタルDVD店の経済学【ゲオの株主優待制度】 »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

賃金のこと参考になります。
ところで労働時間をわけあうワークシェアリングがもっと日本社会に浸透したら、最低賃金も上がるだろうし、国内の消費も伸びるのではないでしょうか?
もう成熟社会なので無理な生産をして高度成長する必要もないと私は思っています。

投稿: sib | 2009年7月30日 (木) 23時36分

sib様

コメント、有り難うございます。

 ワークシェアリングが浸透すれば最低賃金も上がるというのは、条件さえ満たせばその通りだと思います。
 当たり前のことですが、最低賃金が上がれば逆に最高賃金は下がることになります。つまり、高給取りが減少するということですが、この高給取りというのにも2種類の人達が存在しています。1つは、本当にバリバリ働いて高給であるという人達、そしてもう1つは、ろくに仕事もせずに高給という人達です。
 前者はワーキングリッチ、後者はノンワーキングリッチのことですが、この人達がそれぞれワークシェアリングをどう考えているかということも考える必要があると思います。
 前者は、分け合う仕事が有ります(誰もができない仕事かもしれませんが…)が、後者は分けるべき仕事が有りません。こういった労働における矛盾をまず是正(つまり、同一労働同一賃金化)しないことにはワークシェアリング自体も歪なものとなり、必ずしも最低賃金を上げるという結果にはならないかもしれません。

 あと、国内の消費の伸びについては、大きな買い物をしてくれるお金持ちが消費を行ってくれることが望まれます。ワーキングリッチのような人達が巨大な投資や消費を行ってくれる方が効果が大きいと思います。そういう意味では、ワークシェアリングよりもワーキングリッチ(例:起業家など)を出すことの方が重要かもしれません。
 よく言われるように、多くの起業家が輩出するような社会的(精神的)なインフラが未発達という点では、日本は未だ、未成熟国家と言えそうです。

投稿: 管理人 | 2009年7月31日 (金) 23時43分

ありがとうございます。
最低賃金層が時短労働も含めて(フルタイムだけではなくて)、仕事を分かち合い収入を得る。時間と給料をわけあう形で、失業が減るかと思っています。
その他に、新たな仕事を作り提供する、という考えもあるということですね。お金をもっている人に期待ですね。

投稿: sib | 2009年8月 2日 (日) 09時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/45759886

この記事へのトラックバック一覧です: 『同一労働相違賃金』と『相違労働同一賃金』の違い:

« 自民党の捨て身の戦略は功を奏するか? | トップページ | レンタルDVD店の経済学【ゲオの株主優待制度】 »