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2009年9月

時代錯誤な借金猶予(モラトリアム)制度

2009092501 民主党が、社民党・国民新党と連立政権を組んで話題になったのはつい先日のことだが、早くも連立における問題点が噴出しているようだ。中でも亀井氏が、経済音痴としか思えないトンデモ発言を連発していることが大きな問題になっている。その発言内容たるや、本当にこれが現代の政治家の言葉か?と疑いたくなるほどにお粗末極まりない。そのあまりの幼稚ぶりに、経済界からは嵐のような批判の声が上がりつつある。
 
 彼の発言で今最も注目(無論、悪い意味での注目)を集めているものが、銀行からの借金の元本返済を3年間猶予するという返済猶予(モラトリアム)制度だ。早い話が、「銀行は中小企業や個人の借金の返済期限を長期化せよ」ということだが、これはもう政治家の意見というよりは、世間知らずの老人の発言(暴言)としか思えない。
 
 亀井氏曰く「銀行が借り手の立場を考えないから国が口出ししようという話だ」ということらしいのだが、これでは自ら社会主義者だと認めているようなものだ。
 「銀行が借り手のことを考えない」というのは、ある意味では当たっているが、ある意味ではハズレている。銀行が必要以上に借り手のことを考えられなくなっている背景には、役人の規制問題がある。役人の無駄な規制によって、借金をすることも、借金を返すこともできなくなっている民間企業(特に建築業界)の実体(悪循環)を理解した上で言っているのだろうか?
 
 例えば、友人から「お金を貸してくれ」と頼まれた場合、いくら親しい友人であっても、ある程度の返済期限というものを設けるのが一般的だ。もし、あなたが友人に10万円貸していて、その返済期限を3年伸ばしなさいと言われた場合、どうするだろうか? 「はい、いいですよ」と素直に受け入れるだろうか? 仮に受け入れたとしても、再度、その友人から「お金を貸してほしい」と言われた場合はどうだろう? その時、多くの人はこう思っているはずだ。「お金を貸すのはストレスになるので、なるべく貸さないようにしよう」と。この思考は、個人を銀行に置き換えても、おそらく変わらないだろう。つまり、借金返済期限のモラトリアム化などを行うと、銀行の貸し渋りが更に増加することになるわけだ。
 
 亀井氏の頭の中には、《困っている庶民を助けることができるのが良い政治家だ》という昔ながらの思い込みがあるのかもしれないが、現代の良い政治家の条件とは、(以前にも述べたが)鼠小僧になることではない。国民が生活する上で障害になっているものを取り除くことができる人物こそが現代の(良い)政治家だ。後先考えずにお金をバラまいたり、過保護に生活の面倒をみることが良い政治家とは限らないのだ。
 そもそも政治家というものは慈善事業を行うことが仕事ではない。それに、慈善事業を行うには有り余るほどの原資が必要だ。その原資たる税収が激減している時代に、慈善事業などを行おうと考えること自体が馬鹿げている。その思考自体が、借金思考(将来世代への借金肯定思考)とも言える。借金思考の人物が、借金制度のモラトリアム化を唱えているわけだから、あまりにも説得力に欠けるというものだ。

 銀行がお金を貸さないなら国が銀行にお金を貸すように指導するなどという単純な社会主義発想ではなく、どうすれば銀行がお金を貸すような自由な社会になるのかということを奥深く見つめる視点こそが重要だろう。
 それが解らないということであれば、残念ながらその人物は政治家の器ではない。少なくとも、そんな無知な政治家が国民を正しくリードすることなどできるはずがない。

 亀井氏のイメージを一言で言い表せば「時代錯誤」という言葉がピッタリと当てはまる。もはや政治家というよりは、人の良い世間知らずの田舎の老人そのまんまとも言える。決して悪人ではないのだろうが、残念ながら日本の将来を任せられる政治家とは思えない。

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「マンガ総理」から「マンガ政治」へ

2009092101 鳩山総理が明日(22日)開催される国連気候変動サミットで、「2020年までに温室効果ガスを1990年比25%削減する」という中期目標を正式に発表するらしい。なんでも「あらゆる政策を動員して実現を目指す」と大乗り気らしいのだが、これはもう「マンガ政治」と呼ぶしかなさそうだ。
 麻生元総理は漫画が好きで難しい漢字が読めない「マンガ総理」として有名だったが、どうやら鳩山総理は、政治自体をマンガにしてしまいそうな怪しい雲行きだ。
 
 国連の事務総長は鳩山氏の発言に対して「他国に対するいい例になる」と歓迎しているらしく、日本国内では、《世界中から歓迎されている》というムードが漂っているが、なぜ世界中が歓迎しているのかをよく考える必要があると思う。おそらく、世界中の政治的指導者の中で、本気で「他国の見本になる」などと思っている人は誰もいないだろうと思う。この言葉の裏に隠された彼らの本音はおそらくこうだろう。
 
 「日本という潜在的成長力を持った国が、自ら経済成長を第一目標にしないと断言している。これは我々にとって大いに歓迎すべきことだ」
 
 つまり、“温暖化防止を率先して行う立派な国だ”と思って歓迎しているのではなく、“温暖化防止という幻想を追っている馬鹿な国だ”という意味で喜んでいると考えるべきだろう。早い話が、『馬鹿な国』の見本として取り上げられているわけだ。日本の中の有識者達が鳩山氏を批判しているのもまさに同じ理由によるものだろう。
 
 そもそも1990年時点の温室効果ガスと現在を比較すると、1%も減っていないどころか逆に10%近く上昇している。温室効果ガスを削減するどころか、逆に増加させているという現状をもっと考慮しなければならない。バブル崩壊後、温室効果ガスを全く削減できなかったということは、企業の温室効果ガス削減は全く功を奏さなかったということだ。
 それをこの不況下で、敢えて温室効果ガス削減パーセンテージを大幅に上げ、それを金科玉条のような取り決めにしてしまえば、日本経済にとってどれほどのマイナス効果が発生するのかが解らないのだろうか?
 マニフェストを有言実行するという姿勢は理解できなくもないが、およそ現実味の無いマニフェストを無理矢理に実行されると、トンデモないしっぺ返しを喰らうことになる。それが当の民主党だけであれば何も文句はないが、しっぺ返しを喰らうのは民主党とは無関係の民間企業と民間人の方だ。
 
 仮に25%削減という目標が成就されたとしても、それで一体、誰が幸福になるというのか? そもそも日本だけが温室効果ガスを25%削減できたとして、本当に地球温暖化が防げるのか? あるいは、温室効果ガスと言われているものが、本当に地球温暖化の原因になっているのか? もっと言えば、本当に地球は温暖化に向かっているのか? そういった科学的な事実も曖昧なまま、「温室効果ガスの削減が国の第一目標だ」などと世界中に叫ぶことに果たしてどれだけの意味があるというのだろうか?
 
 大体、日本の1政党でしかない民主党がなぜ世界問題としての環境問題をマニフェストに盛り込む必要があったのかは甚だ疑問だ。日本国内の政治問題にわざわざ世界問題をドッキングさせなければならなかった理由とは一体何だったのだろうか?
 現在の日本国民にとって最も重要なことは、まず国内の景気を良くすることであるはずだ。その最重要課題を素っ飛ばして、いきなり世界問題となっている地球温暖化をストップさせることに躍起になっているというのは、どう考えても不自然だ。そんな目標は景気が良くなってから掲げるべきであり、順序が逆さまになっていると言わざるを得ない。
 
 今回の国連における民主党の鳩山発言によって実現されるものとは、“温室効果ガスの削減”ではなく、“日本経済の削減”という皮肉な結果を齎すことになるだろう。温室効果ガスは全くマイナスにならなくても、日本経済のマイナス効果だけは間違いなく実現されることになる。まさに、マンガ政治、ここに極まれりである。

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「国による教育統制」と「日教組による教育統制」

2009091301 今朝の新聞に、『教員免許更新制廃止』という記事が報じられていた。記者会見の場で民主党の輿石氏は「教員免許更新制は変えなければならない。できるだけ早くやる方向になる」と述べたらしい。
 『教員免許更新制』というものは、『10年に1度、教員としての資質を確かめるべく、30時間の教員講習を受講して試験を受けなければならない』という制度だが、日教組からは「国による教育統制が強まる」との批判の声が出ていた。
 
 日教組という組織は周知のように「日の丸反対」「国歌斉唱反対」という思想を持った組織なので、そういった試験で思想的なものを否定されると立場が無くなるという強い危惧感から「国による教育統制が強まる」と言っているのかもしれないが、逆に、生徒にしても、先生から「日の丸」がどうだとか、「国歌斉唱」がどうだとか統制されるのはいい迷惑だろうと思う。思想にかぶれた小・中学生などはそれほどいないと思うが、逆にいないからこそ、わざわざ思想教育(刷り込み教育)など行う必要はないと思う。大体、学校は道徳はともかく、思想を教える所ではない
 
 政権が自民党から民主党に移ったことで、安倍内閣からスタートした教員免許更新制が事実上、廃止に追いやられるという事態が現実のものとなりつつあるようだが、教職員ではない一般国民はどう思っているのだろうか? まさか「国による教育統制が強まる」との理由で廃止に賛成というわけではないだろう。私も教員免許更新制を導入するだけで現在の教育現場における様々な問題が即解決するとは思わないが、政権交代が実現しても、相変わらず国民不在の政治であるところは全く改善されていないようだ。
 
 公立の小・中学校の学力レベルが落ちているという理由から、子供を塾に通わせている人は多く、実質的に塾が主役になっているとの意見もある。本来であれば、塾などに通わせずとも、学校の公教育だけで受験に臨める学力を身に付けることができればよいのだろうが、日教組が主導した『ゆとり教育』などのせいで子供の学力は低下したとの声もよく聞かれる。そういった公教育の堕落から子供の学力を取り戻す意味合いもあってスタートした教育改革だが、国民の声ではなく、日教組出身の政治家からの鶴の一声でストップするというのは、どこかおかしい。
 
…とここまでは一般論であるが、教員免許更新制で行われる試験というものが具体的にどんなものであるのかは私も詳しくは知らないので、その試験を受講して試験に受かれば先生の資格を得るに相応しいと言えるのかどうかは判らない。しかし、適性試験であれ、学力試験であれ、その試験にさえパスすれば教員としての資質が無条件に上がるとも思えないので、試験制度が必ずしも必要だとは思わない。
 要は、そんな試験を受けなければ維持できないと思われるほどに公教育の現場が荒廃し、教員の資質が低下していることが問題であるのだから、学生と同じように無理矢理に試験を与えれば即解決というような簡単なものではないと思う。大事なことは、教員自らが教員としての自覚を持つということであり、教師に教育者としての自覚さえあれば、社会的な犯罪などは行わないという強い自制心が働くだろうし、教育者としての学習にしても誰に指図されるまでもなく、進んで勉学に励むはずだ。そういった気概を持った教師が自然に生まれない社会が問題なのであって、教師の資質だけに責任転嫁するのはおかしい。

 結局、何が言いたいのかというと、教師であれ生徒であれ、根本の教育自体を変えなければ意味がないということだ。試験に合格さえすれば良いという現代の風潮自体が間違っているわけで、そんな間違った(と言うより偏った)社会で、真っ当な教育者が育つと期待する方がおかしい。教育者という立場にある教師も、元から教師だったわけではなく、元をただせば1人の生徒だ。その生徒が教育という過程を得た後、教師になったというだけであり、その教育とは現在ただいま行われている教育と何ら変わりがないわけだ。その教育によって、堕落した教師が大量に発生しているのであれば、教師の資質を試す以前に、教師になる前の教育をこそ見直すべきだろう。その教育とはつまり、試験に受かればそれで良いとする偏った教育だ。
 
 お断りしておくが、私は日教組を擁護しているわけでない。日教組自体も既成の教育を押し進めてきた組織であることに変わりはないので、組織改革は必要だろうと思う。
 教師の不祥事が絶えず、生徒の学力レベルや向上心も希薄になっているという現状を創り出してしまっている張本人は、実は教師や生徒ではなく、現在の教育環境を管理している自分達自身ではないのか?という疑問を抱くことも必要だろう。教育改革に反対するよりも前に、自らの組織改革の是非をこそ問うべきだろう。
 
 いずれにしても、現代の公教育の堕落現象は、時代にそぐわない教育が齎した悲劇が表面化してきているだけのことだろう。“教育とは何か?”という根本的なところまで遡って解決策を練らないことには、この問題が改善されることはないだろう。教師や生徒に試験を与えて、その点数を競うだけの教育では、何の解決にもならないということを教育者自身が悟らないことには何も変わらない。つまり、「国による教育統制」も「日教組による教育統制」も、もはや何の役にも立たないということである。

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現代の政治家の仕事とは?【政権交代<政治変革】

2009090701 政権が自民党から民主党に移り「政権交代」が現実のものとなったが、世間では民主党政権に対しての期待と不安が入り混じった玉虫色ムードが漂っている。
 大抵の人々は、「民主党は国民に何をしてくれるのか?」という期待を抱いているようだが、政治家とは本来、国民に対してどのようなことをするべきなのだろうか? そして国民は政治家に何を望むべきなのだろうか?

 政治家という職業は、富を生み出す職業ではない。富を生み出すことができないのであれば、どこかから富を調達しなければならない。その“どこか”というのは、無論、国民であり、富というのは税金を意味している。
 単純にそう考えると、良い政治家とは国民からより多くの税金を徴収することができる政治家だということになってしまいそうだが、それは時と場合による。高度経済成長期のように富も仕事も有り余っている時代であれば、その有り余っている富(税金)を少しでも多くかき集めて、多くの人に分配することができる「ねずみ小僧」のような政治家が重宝されたのかもしれないが、現代のような富も仕事も激減しているような時代では、有り余っている富が無いため、国民から税金を集めることが必ずしも良いことではなくなってしまった。社会主義的な分配行為が善ではなく悪になる時代を迎えてしまったとも言える。これは要するに、“お金を集めてバラまく”という政治家の仕事自体が意味を為さなくなったということである。豊かな社会では「ねずみ小僧」はヒーローとなるが、貧しい社会での「ねずみ小僧」は、単なる「泥棒」に変化してしまいかねないということでもある。

 こう書くと、「では政治家はいらないのか?」という意見が出てくるかもしれないが、政治家が不要と言っているわけではない。不要なのは、“お金を集めてバラまく”というシステムであって、政治家の方ではない。
 では、政治家はどんな仕事をするべきなのかというと、集めるべき税金が減少しているのだから、いかに企業や個人が税金を多く支払ってくれる環境を創り出すかということに尽きるだろう。税金を如何にして多く集めるべきかという目的は同じであっても、手段が全く違ってくるわけだ。“お金を集める”という発想から、“お金を創る環境を創造する”という全く新しい政策を立案するという重責を背負わなければならないということだ。しかし、現状はどうなっているかというと、そんな素振りは微塵も感じられない。
 
 今日も鳩山氏が、温室効果ガスの25%削減案をマニフェストとして述べたそうだが、景気の回復と、(日本だけが熱くなっている)温室効果ガス削減のどちらが大事なのか?とお聞きしたくなる。「日本(だけ)は温室効果ガス25%削減を実現します」と言うのは、言葉を変えれば、「日本(だけ)は、国際経済競争はせずに衰退国家を目指します」と言っているのと同義とも言える。以前にも述べた(→“環境の改善”より重要な“景気の改善”)が、手段(環境改善)と目的(景気回復)を履き違えてしまっては誰も救われなくなる可能性がある。
 鳩山氏の優先順位は、1(政権交代)2(環境改善)3(景気回復)の順になっているのではないかと思われるが、本来であれば、1番目に(景気回復)が来なければならない。

 話が横道に逸れたので元に戻そう。
 “お金を集める”という作業を、潮干狩りに喩えてみると、昔のように集めるべき自然の貝がいくらでも海岸に生息しているのであれば、政治家の仕事は、その貝を拾って皆に配ればそれでよかった。しかし、拾うべき貝が激減しているのであれば、政治家の行なうべき仕事は、貝を集めることではなく、貝をバラまくことでもなく、貝を増やすことでなければならない。しかし、政治家には貝を創り出すことはできない。貝を創り出すことができるのは、その海で貝を養殖できる人間、つまり、民間の人間だけだ。であれば、政治家のするべき仕事は、その民間の人間が多くの貝を育ててくれるような環境を整えることであるはずだ。
 しかし、当の政治家達は、相変わらず、お金をバラまくことしか考えておらず、国民の方もバラまいてくれるお金の量に期待しているだけという体たらくぶりだ。
 
 富を産み出す環境を整えることが政治家の仕事であるが、政治家には直接、富を創り出すことができない。富を創り出すことのできるのは政府ではなく、一人一人の国民だという当たり前のことが完全に忘れ去られている。現代の日本は、不況である以前に、思考停止に陥っている政府と国民にも大きな問題があると言える。

 それと、もう1つ追加しておくと、政府は富を生み出すことのできる民間人の活動の邪魔を極力しないことだ。できる限り民間に自由を与え、個人の活動を制限しない方が、税収は上がる。それにも関わらず、規制、規制で自ら不自由な環境を創り出してしまっては、何のための政府か分からない。税収を上げてこそ、公務員は収入を得ることができるという基本的な立場さえも忘却してしまっている。
 現代の日本は、お役人自らが不必要に民間を縛り、その結果、税収が激減しているにも関わらず、自分達お役人だけは給料がほとんど下がらないという無茶苦茶な状態に置かれている。
 税収を上げるためには、民間の邪魔をしないこと。これに尽きる。これさえ守ることができれば、税収は100%上がる。民間の邪魔をせず、民間が働きやすい環境を創造すること。現代の政治家の仕事とは、お金をバラまくという単純な仕事ではなく、もっと高次なものに変化しているのである。大事なことは「政権交代」ではなく、「政治変革」なのだ。

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