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「国による教育統制」と「日教組による教育統制」

2009091301 今朝の新聞に、『教員免許更新制廃止』という記事が報じられていた。記者会見の場で民主党の輿石氏は「教員免許更新制は変えなければならない。できるだけ早くやる方向になる」と述べたらしい。
 『教員免許更新制』というものは、『10年に1度、教員としての資質を確かめるべく、30時間の教員講習を受講して試験を受けなければならない』という制度だが、日教組からは「国による教育統制が強まる」との批判の声が出ていた。
 
 日教組という組織は周知のように「日の丸反対」「国歌斉唱反対」という思想を持った組織なので、そういった試験で思想的なものを否定されると立場が無くなるという強い危惧感から「国による教育統制が強まる」と言っているのかもしれないが、逆に、生徒にしても、先生から「日の丸」がどうだとか、「国歌斉唱」がどうだとか統制されるのはいい迷惑だろうと思う。思想にかぶれた小・中学生などはそれほどいないと思うが、逆にいないからこそ、わざわざ思想教育(刷り込み教育)など行う必要はないと思う。大体、学校は道徳はともかく、思想を教える所ではない
 
 政権が自民党から民主党に移ったことで、安倍内閣からスタートした教員免許更新制が事実上、廃止に追いやられるという事態が現実のものとなりつつあるようだが、教職員ではない一般国民はどう思っているのだろうか? まさか「国による教育統制が強まる」との理由で廃止に賛成というわけではないだろう。私も教員免許更新制を導入するだけで現在の教育現場における様々な問題が即解決するとは思わないが、政権交代が実現しても、相変わらず国民不在の政治であるところは全く改善されていないようだ。
 
 公立の小・中学校の学力レベルが落ちているという理由から、子供を塾に通わせている人は多く、実質的に塾が主役になっているとの意見もある。本来であれば、塾などに通わせずとも、学校の公教育だけで受験に臨める学力を身に付けることができればよいのだろうが、日教組が主導した『ゆとり教育』などのせいで子供の学力は低下したとの声もよく聞かれる。そういった公教育の堕落から子供の学力を取り戻す意味合いもあってスタートした教育改革だが、国民の声ではなく、日教組出身の政治家からの鶴の一声でストップするというのは、どこかおかしい。
 
…とここまでは一般論であるが、教員免許更新制で行われる試験というものが具体的にどんなものであるのかは私も詳しくは知らないので、その試験を受講して試験に受かれば先生の資格を得るに相応しいと言えるのかどうかは判らない。しかし、適性試験であれ、学力試験であれ、その試験にさえパスすれば教員としての資質が無条件に上がるとも思えないので、試験制度が必ずしも必要だとは思わない。
 要は、そんな試験を受けなければ維持できないと思われるほどに公教育の現場が荒廃し、教員の資質が低下していることが問題であるのだから、学生と同じように無理矢理に試験を与えれば即解決というような簡単なものではないと思う。大事なことは、教員自らが教員としての自覚を持つということであり、教師に教育者としての自覚さえあれば、社会的な犯罪などは行わないという強い自制心が働くだろうし、教育者としての学習にしても誰に指図されるまでもなく、進んで勉学に励むはずだ。そういった気概を持った教師が自然に生まれない社会が問題なのであって、教師の資質だけに責任転嫁するのはおかしい。

 結局、何が言いたいのかというと、教師であれ生徒であれ、根本の教育自体を変えなければ意味がないということだ。試験に合格さえすれば良いという現代の風潮自体が間違っているわけで、そんな間違った(と言うより偏った)社会で、真っ当な教育者が育つと期待する方がおかしい。教育者という立場にある教師も、元から教師だったわけではなく、元をただせば1人の生徒だ。その生徒が教育という過程を得た後、教師になったというだけであり、その教育とは現在ただいま行われている教育と何ら変わりがないわけだ。その教育によって、堕落した教師が大量に発生しているのであれば、教師の資質を試す以前に、教師になる前の教育をこそ見直すべきだろう。その教育とはつまり、試験に受かればそれで良いとする偏った教育だ。
 
 お断りしておくが、私は日教組を擁護しているわけでない。日教組自体も既成の教育を押し進めてきた組織であることに変わりはないので、組織改革は必要だろうと思う。
 教師の不祥事が絶えず、生徒の学力レベルや向上心も希薄になっているという現状を創り出してしまっている張本人は、実は教師や生徒ではなく、現在の教育環境を管理している自分達自身ではないのか?という疑問を抱くことも必要だろう。教育改革に反対するよりも前に、自らの組織改革の是非をこそ問うべきだろう。
 
 いずれにしても、現代の公教育の堕落現象は、時代にそぐわない教育が齎した悲劇が表面化してきているだけのことだろう。“教育とは何か?”という根本的なところまで遡って解決策を練らないことには、この問題が改善されることはないだろう。教師や生徒に試験を与えて、その点数を競うだけの教育では、何の解決にもならないということを教育者自身が悟らないことには何も変わらない。つまり、「国による教育統制」も「日教組による教育統制」も、もはや何の役にも立たないということである。

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