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『官僚政治脱却』と『衆愚政治脱却』

2009102001 テレビの経済番組などを観ていると、世界景気は若干持ち直しつつあるというニュースが伝えられてはいるが、未だ日本国内ではあまり景気の良い話は聞こえてこない。アメリカ発の金融危機から世界経済の総需要は4割ダウンし、経済規模は一時60%程度まで減少したわけだから、単純に考えれば、4割の雇用者がいらなくなるか、あるいは、収入が4割ダウンしなければ帳尻が合わなくなったということでもある。
 もし、「4割の失業者の中に入るか」それとも「給料が4割カットになるか」のどちらかを選択しなければならないということであれば、あなたはどちらを選択するだろうか? 大抵の人はおそらく後者を選択するだろう。中には「4割も収入がダウンすれば生活できない!」と言う人もいるかもしれないが、いきなり「4割の失業者の中に入る」よりはましだと考える人は多いと思う。
 
 全体としての仕事量(パイの大きさ)が6割になっても困らない人というのは、普段から他人の1.5倍以上の仕事を行っていた人(=給料の1.5倍以上の仕事を行っていた人)に限られる。より正確に言えば、1.5倍の仕事を行っていた人であっても、1.5×60%=90%で、10%足りないということになる。つまり、普段から1.5倍の仕事量をこなしている人であっても、給料が1割ダウンしてもおかしくないような経済状況が現出したということである。
 しかし、実際のところは、150%の仕事をしているような人の仕事はそれほど減っておらず、普段から100%未満の仕事しか行っていない人の仕事が激減しているのだろうと思う。元々、給料分の仕事を行っていない人の仕事が更に減少して困っている状態、言わば、仕事量の二極化が更に進んだような状態だと言えるのではないだろうか。
 
 自分の仕事量を単純に計ることができない仕事(サービス業など)もあるので、かなり曖昧な部分もあるとはいえ、余程の利益が出ていない企業でない限り、売上や利益が減少しているのであれば、その減少率と同じだけの収入額に収斂していかなければ、企業経営は成り立たない。これは子供でも分かる理屈だ。しかし、今回の大不況で4割もの人員をカットした企業や給料を4割カットした企業があるという話はあまり(というより全く)聞かない。景気回復待ちで、取り敢えず今までの利益でなんとか食いつないでいる企業や、騙し騙しで自転車操業商いを行っている企業は意外に多いかもしれない。
 ボーナスや残業代を全額カットした会社があれば、実質的には給料を4割カットしたと言えなくもないが、そこまでする前に不幸にも『倒産』という選択をせざるを得なかった会社もあるはずだ。

 世界の経済規模が縮小した原因は、実体経済規模からかけ離れたマネー経済の膨張が、いきなり破裂して急速に萎んでしまったというバブルの崩壊現象がその基にあるが、実際のところは、その影響によって“消費が急減してしまった”という理由によるところが大きい。経済規模の縮小が原因と言うよりも、金融における信用性が収縮してしまったことによる消費の減少こそが、今回の世界不況の正体だと言える。
 要するに、多くの人々が借金をして不相応な消費を行えていたことによって世界経済は成り立っていたということであり、「現在の消費量が減少した」というよりも、「本来の実体経済の姿に戻った」というのが実際のところだろうと思う。この本来の姿に収斂した消費量を増加させるためには、結局のところ、過剰消費社会の再現(つまりバブルの再来)を待つしかないということでもある。
 
 この過剰消費社会の到来国として現在最も注目されているのが中国だと囁かれているが、本来であれば、日本がその任を背負ってもおかしくはない。少なくとも、日本経済を活性化させるだけの資産が日本にはある。日本の場合はお金が無いのではなく、ただ、そのお金が動かなくなっているだけであるので、消費(または投資)意欲さえ回復させることができれば、すぐさま景気は回復するという国際的にも非常に有り難い立場にある。しかし、全くその立場が生かされていない。

 消費が不足しているがために不況に陥っているのであれば、消費を増加させることが景気回復の至上命題であることは誰にでも解る。では、消費を増加させるためにはどうすればいいいのか? 単純に考えれば、国民の消費意欲を喚起することが1番てっとり早い方法ではある。そういう意味では、『エコカー減税』などは良い経済政策だったとも言える。
 健全な消費社会にするためには、“未来は明るい”“将来は良くなる”ということを国民が信じることのできる社会を構築するこそが重要だが、冷静に現在の日本社会を眺めてみると、残念ながらお世辞にも未来は明るいなどとは言えない。そう言うためにはクリアしなければならない問題が山積み状態だ。
 
 少子高齢化問題、年金問題、教育問題、医療・介護問題などは、基本的に「本音論」でしか解決できない問題だ。しかし、政治家は本音を語るとマスコミに足下をすくわれ、マスコミに同調した国民から総バッシングを受け、ヘタをすると政治生命を奪われてしまいかねない。そういったリスクの前には為す術がなく、結果的に本音論が語れなくなっている。
 勇気をもって正論を述べる政治家であればあるほど失脚の可能性が高くなってしまうという、独裁国家さながらの社会(早い話が衆愚政)が構築されてしまっている。この悪循環によって、いつまで経っても無意味な建前論を垂れ流すことしかできず、何1つ問題は解決できないという袋小路に嵌り込んでしまっている。

 この衆愚政という悪循環から脱け出すことこそが景気回復の近道でもある。官僚政治からの脱却よりもむしろ、衆愚政治からの脱却の方が重要かもしれない。なぜならば、衆愚政治である限りは、官僚政治からの脱却も不可能であると言わざるを得ないからだ。逆に、衆愚政治から脱却できれば、官僚政治からの脱却は無条件に成立する

 建前社会の番人たる官僚に対抗するべき手段は“本音”でしかない。その本音を武器にできないのであれば、初めから勝負は見えている。建前の世界に閉じ篭ることしかできない政治家であるならば、官僚政治からの脱却などはできるはずもない。
 衆愚政治から脱却するためには、その言葉が示すように、大衆が無知から脱却しなければならない。多くの国民が、日本経済や日本社会というものの本質を理解しなければ、決して良くなることはないだろう。「他人任せでは生活環境は良くはならない」という当たり前の話である。
 書物を購入せずとも無料で真実を知る手段はインターネットの登場で半ば達せられた。はたして国民は衆愚政治から脱却するべき環境を自ら構築することができるのだろうか…。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

いつも良く整理されていて参考になります。

雇用が回復するまでは、政府のテコ入れも必要ですね。(国内債務なら問題はない?)

消費出来る人には消費をしてもらいたいものです。(生産アップにはリサイクルや環境の面がありますが)でも技術革新がされていますね。

あと金額、とくに経済のことを考えるなら、商品をただ同然の価格で提供するのはいかがなものか?(笑)

また競争の激化で、サービスが過剰になり、負担が増え過ぎている面も感じます。

それはそれとして、今タダでやりとりされているものが、今後有償になれば(とりあえず)経済には反映されるでしょう。

あと逆説的にですが、仕事が6割で満たされるのなら、労働時間を短くしてその分、仕事をわかちあったらどうか?

余裕時間が消費にまわるのでは?

一部の仕事量が多い人は、他の人にノウハウを還元する段階になったのでは?

そんなことが頭に浮かびました。

投稿: sib | 2009年10月21日 (水) 14時44分

sib様

コメント、有り難うございます。

 現在の日本経済は、グローバル化の影響も手伝い、「薄利経済」になっているように感じられます。必要以上の過剰サービス(価格の値下げも含みます)を強いられ、あっぷあっぷ状態という感じです。
 労働者全員が揃って気前が良くなれば、それだけで景気は少し上向くと思うのですが、逆に1円でも安く値切ることしか頭にない労働者で溢れ返っています。経済をマクロ的に観れば、1円値切れば、巡り巡って、自身の給料も1円安くなるという単純な事実に誰も気が付かない。グローバル化の影響は確かに有るのですが、必要以上にセコくなると、余計に生活は苦しくなるということですね。

投稿: 管理人 | 2009年10月21日 (水) 23時27分

消えた消費金額の中には、金融商品も入っているのでしょうか?

投稿: sib | 2009年10月23日 (金) 20時56分

いつも読ませて頂いてます。

私は、「民衆のレベルが政治のレベルに比例する」と考えており、今の政権運営や政策を見ていると不安になります。

「何でも無料化」みたいな迎合政治は止めてもらいたいし、そういうのを期待するのも諦めた方が将来のためにいいのではないかと思います。

多くの人が他人任せで、自分で考える力が不足している、または考えることをしないのかなと感じます。

今一度、マクロ経済学、ミクロ経済学、財政学、税法、会計学等を学んで、今後の日本のことについて熟慮する必要があると思います。

投稿: タケ | 2009年10月24日 (土) 16時32分

sib様

コメント、有り難うございます。

>消えた消費金額の中には、金融商品も入っているのでしょうか?

 もちろん、入っていると思います…と言うより、関係していると言った方が正解かもしれませんが…。

投稿: 管理人 | 2009年10月24日 (土) 23時54分

タケ様

コメント、有り難うございます。

>私は、「民衆のレベルが政治のレベルに比例する」と考えており、

 その通りです。国民の精神レベルを鏡のように映しているものこそが、実は政治家の姿であると言えます。基本的に多数決の民主主義国家では、政治家は国民のレベルに合わさざるを得ないというのが実際のところです。国民が賢くなれば、政治家も賢くならざるを得ないし、国民が馬鹿になれば、政治家も馬鹿を演じざるを得ないということです。
 役人や政治家に己の人生を丸投げするのではなく、まず自分の頭で考えて物事を判断するという当たり前のことができていないというのが、現代日本の最大の問題点です。

投稿: 管理人 | 2009年10月24日 (土) 23時56分

誰かが日本はデモクラシーでなくマスクラシーだと言ってましたが、昨今の情勢をみると本当にそうだなと思います。
そして報道されていることを自ら検証したり、確かめてそれぞれが判断すればいいんですけどね。

投稿: yuka | 2009年10月26日 (月) 17時43分

yuka様

コメント、有り難うございます。

 『民主主義』ではなく、『大衆主義』ということですね。そう考えると、現在の民主党も大衆迎合の「大衆党」という名前がピッタリと当てハマリます。
 民主党は、“大衆に迎合する”ことと“民意を反映する”ことは実は意味が違うということが解っていないようです。

投稿: 管理人 | 2009年10月26日 (月) 23時01分

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