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社内カレンダーと建前社会の関係性

2009110901 『社内カレンダー』というものがある。言わずと知れたことだが、向こう1年間の就業日程を予め定めた企業の休日カレンダーのことである。私が勤めている会社も例に漏れず、携帯用(持ち歩き用)の社内カレンダーがあり、毎年、年初に配られることになっている。
 社内カレンダーのある会社にはある共通点がある。その共通点とは何かというと、出勤日が固定されていない会社、言い換えれば「完全週休2日制ではない会社」ということができる。(注意:土曜日が出勤日となる完全週休2日制も存在するが、この場合は土曜日が全て休日となる会社に限る)
 
 完全週休2日制の会社であれば、元々、出勤日も休日も決まっているわけだから、わざわざ社内カレンダーなどを作成する必要は無くなる。中には税金対策や見栄で社内カレンダーを作成している会社もあるかもしれないが、土曜日が全て休日の企業が多くなった現代では、社内カレンダー需要というものは、減少しているのだろうと思う。

 私が勤めている会社の場合は1年間を通して土曜日は半分程度出勤日となっているが、「隔週」というわけでもない。土曜の休日は繁忙期では月1回、閑散期では月3回などに分けられており、少し変則的な(偏った)休日制になっている。とは言うものの、繁忙期平常期閑散期というものが必ずしも予定通りになるとは言えないし、実際にそうなっていない。特に最近は不況の影響もあってか、会社全体として見れば、繁忙期などというものは既に無くなってしまったのではないかとも思える。
 部署によっても仕事量が違ってくるし、個人単位で見ても仕事量にバラつきがあるので、会社全体を同じスケジュールで稼働させるのは不合理ではないか?という思いが日に日に強くなってきた。以前にも少し述べたが、ウチの得意先などは部署によって週休3日制を実施している会社もあるくらいだ。そういった事情からも、社内カレンダーの必要性というものに最近疑問を抱くようになり、この記事を書くに至った。

 想像するに、この社内カレンダーというものは、かつての高度経済成長時代にはもてはやされたのではないかと思う。かつての日本企業は土曜出勤が当たり前で「完全週休2日制」の会社などはあまり無かったわけだから、大抵の会社には社内カレンダーというものが必要だったのだろうと思う。(土曜日がフル出勤であれば社内カレンダーも不要かもしれないが…)
 (私は当事者ではないので経験論では語れないが)当時は、土曜日も出勤しなければならないほどに仕事が多くて忙しかった。そして人員も足りないという事情から完全週休2日制にはできなかったのかもしれない。しかし現在では幸か不幸か、年中忙しくて仕事に追われているような会社は減少傾向にあるのではないかと思う。少し前までは「過労死」という言葉がよく聞かれたが、この不況で過労死するほどに仕事を抱える人も幾分かは減少した(?)のではないかと思う。かくいう私も最近は「過労」を意識することは少なくなった。

 これだけ入ってくる仕事量が不安定な時代になれば、社内カレンダーのスケジュール通りに仕事が進むようなことはほとんど有り得ない。そんな決められたスケジュール通りに仕事が進められるのは公務員くらいのものだろうが、あいにく公務員は完全週休2日制であるので、基本的には社内カレンダーは必要ない。(消防署や病院勤務などの公務員であれば話は別)

 高度経済成長期の日本企業は、仕事が有り余っており、人員も不足しがちだったということで土曜日も出勤日にしていた企業が多かったわけだが、現代では多くの企業でその前提自体が崩れてしまったため、敢えて土曜日を出勤日にする必要性は感じられなくなった。そもそも土曜日に出勤しても行うべき仕事が無いのであれば、なんのために出勤するのか分からない。仕事が無いにも関わらず、「社内カレンダーで出勤日になっているから」という理由だけで無条件に出勤していたのでは、労働者にとっては時間の無駄であるし、経営者にとっても光熱費の無駄になる。
 逆に仕事が忙しい時に社内カレンダーが休日になっているという理由で出勤できないということであれば、これも労働者にとっては時間のロスになる。休日出勤となれば超過勤務手当(休日出勤手当)も支払わなければならないので経営者も損をすることになる。
 経営者側からすれば、月給を支払っているのだから仕事が有ろうと無かろうと会社に出てくるべきだという考えもあるのかもしれないが、それなら、いっそのこと、土曜日を休みにして少しだけ給料を下げてくれた方が労働者にとっては有り難いのではないかと思う。逆に忙しい時には休日出勤として不足した給料分を少しでも補えばよいのではないだろうか。少々後ろ向きな考えとはいえ、それが双方にとっての妥協策であり、最も合理的な判断だと思うのだが、現実にはそうなる気配は感じられない。おそらく、日本企業の多くは仕事量の増減に関係なく、今までのシステムを維持することを優先していくのではないかと思われる。
 
 この不況が一過性のものであるという可能性から、今まで通りの体制を維持しているという考え方もできるだろうが、なぜ臨機応変に一時的にでも制度を変えることができないのか疑問に思うこともある。仕事の忙しい時には休日出勤し、仕事の暇な時には休むという当たり前の切り替えが硬直した日本企業(の労働制度)ではなかなか行えない向きがある。これは言わば、建前社会の構図そのものとも言える。
 仕事量が絶対的に保証されていた時代には会社経営におけるリスクもほとんど無いため、予め決められた制度(社内カレンダーも含む)が何の問題もなく機能していたが、現代においては、予め決められた制度などは無意味であり、むしろ臨機応変に環境に適応していくことこそが求められる。
 
 環境が激変しても旧いシステムをそのまま使い続けることを優先する社会、それはまさしく建前社会の姿そのものである。年功序列制度にしても、年次昇給制度にしても、退職金制度にしても、全ては変化の乏しい建前社会であればこそ為し得たシステムであり、そんなシステムを守ることだけに無駄なエネルギーが費やされている。そういった融通の利かない硬直化した社会こそが、日本経済の閉塞感の正体だとも言える。
 この時代に適合しなくなったシステムを維持することだけが自己目的化してしまっている社会、それが現代の日本の姿であり、日本経済を蝕んでいる元凶であるとも言える。そして、そんな悪循環を招いてしまった原因は、平和ぼけ(=バブルぼけ)した国民の無関心と、マスコミのミスリードによるところが大きい。無論、建前社会を死守する官僚と、本音を語らない政治家にも責任の一端があることは言うまでもない。誰かが悪いと言うよりも、総ての国民に責任があり、総ての国民がこの問題に真剣に向き合わないことには解決できない問題だとも言える。
 なんでもかんでも環境のせい、他人のせいにするという風潮が蔓延っている現代日本にあっては、この問題を解決することは非常な難題であることは間違いない。

 社内カレンダーから少し話が飛躍してしまったが、結論として言えることは、現代日本にあっては、社内カレンダーのような時代の変化に対応できない“確定アイテム”は、もはや無用の長物と化しているということである。別の言い方をすれば、先読みすることができない時代にあっては、先々のスケジュールを立てても意味がないということである。建前ではなく本音で述べればそういう結論にならざるを得ない。

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コメント

拝見しました。
自然体なところ、参考になりました。

自分も、身近なところの見直しをしようと思いました。

ありがとうございました。

投稿: ひよどり | 2009年11月10日 (火) 23時01分

ひよどり様

コメント、有り難うございます。

 「自然体」とは「本音」と同義語と勝手に判断しました。
 社会的な問題は見直しを行っても個人的にはどうにも改善できませんので、困ったものです。

投稿: 管理人 | 2009年11月11日 (水) 22時00分

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