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社会主義と民主党の腐れ縁関係

2010010901 アメリカではオバマ民主党が誕生し、日本でも鳩山民主党が誕生したことによって、最近よく聞かれるようになった言葉がある。その言葉とは「社会主義」という言葉だ。“民主”と“社会主義”という言葉は、本来であれば全く正反対の定義であるはずだが、現実ではどういうわけか、民主党と社会主義というのは切っても切れない関係にあるらしい。
 
 ところでこの「社会主義」という言葉だが、具体的にはどういう思想のことを言うのだろうか? 「社会主義」と聞いてもあまりピンとこない人も多いかもしれないので、このことについて少し述べておきたいと思う。
 
 「社会主義」の反意語とは先程も述べた通り「民主主義」であり、または「自由主義」とも呼ばれる。「社会主義」の「社会」とは平たく言えば「国家」のことを指している。「国家社会主義」という言葉もあるように、国が主体(中心)で民が脇役というのが社会主義の姿だと言える。戦時中の体制など、国を中心として国家が運営される体制のことを社会主義だと考えれば分かり易いかもしれない。
 
 少しややこしくなるが、この社会主義は大きく2つに分類される。それは、俗に“左の社会主義”と“右の社会主義”と呼ばれるものだ。早い話、“左翼”と“右翼”のことを指している。こう言うと、「えっ?」と思われる人もいるかもしれない。「打倒国家の左翼と国家崇拝の右翼は正反対の存在ではないのか?」と。
 しかし、そのどちらも「国家」を中心に据えて物事を考えているという意味では非常に似通った、言わば表裏一体の存在なのである。
 よく「保守」を名乗り、左翼を攻撃しているタイプの言論人がいるが、その構図は、必ずしも「自由主義者」vs「社会主義者」という構図ではなく、単なる「右の社会主義者」vs「左の社会主義者」という構図になっている場合がある。
 喩えて言えば、かつての「ドイツ」(国家社会主義国家)vs「ソ連」(共産主義国家)のようなもので、「自由」の立場の「アメリカ」がいない状態での戦争のようなものだとも言える。

 国を中心に物事を考えると、どうしても国民というものを一律平等に考えざるを得なくなる。個人の能力や才能などはどうしても二の次となり、個人の努力というものも正当に評価されない社会になってしまう。
 「国は平等に国民に奉仕しなければならない」という左翼思想と、「国のために個人の能力や才能を奉仕しなければならない」という右翼思想では、その思想は違えども結果的に同じような社会に行き着いてしまう。その社会とは、自助努力という人間の精神的な成長自体を否定した画一的な悪平等社会である。
 先程の「国」という言葉を「会社」に、「国民」という言葉を「社員」に置き換えてみれば、現代の日本企業の実体が、どういうものかがよく解ると思う。日本の多くの会社では未だに戦時経済から派生した社会主義体制が維持されていることに気が付くはずだ。
 
 現代のように、国と国との国境がほとんど意味をなさなくなったグローバル経済下においては、国を中心に物事を考えていたのでは、いずれ立ちいかなくなることは誰にでも解ると思う。現在、この国で行われている様々な社会主義政策(バラマキ行政)を観れば、それが如何に時代にそぐわないものかがよく解る。それは、決して民主政治などという高邁なものではなく、衆愚政治に陥っただけの社会主義政治なのである。
 
 社会主義では「国」が中心だから、「銀行」や「役所」、はては「航空会社」などが如何に非効率な経営を行っていたとしても、国民の血税を投入して潰さない。なぜなら、《国民は国の犠牲になっても止むを得ない》という思想こそが、社会主義体制の本質であるからだ。これは戦争というものを考えれば、まさにその通りであることが解る。
 「銀行」はこの20年近く、国民から借りたお金(=貯金)の利子もほとんど支払わず、経営が持ち直しても、利子を上げずにお礼の一言もない。実際のところ、ゼロ金利が長期不況を齎した1つの大きな原因とも考えられるので、一般国民は銀行の犠牲になったと言えなくもない。しかし、国民は文句を言わないどころか疑問にも思わない。そういう意味では、日本国民自身が社会主義体制というものを無条件に受け入れているという世界でも類を見ない従順な国民だと言えるのかもしれない。しかし、その従順な国民の多くは、日本を《健全な資本主義国家》だと思い込んでいるのだから、オメデタイというほかはない。
 
 “国民が犠牲となって国家が維持される社会”、それが社会主義というものの本質だと述べたが、現代の日本の場合は“国民が犠牲になっても国家が衰退する社会”になってしまっている。
 その原因は、経済の成長を阻む“社会主義”にこそある。社会主義を卒業しなければならない時代であるにも関わらず、いつまで経っても社会主義から脱皮できず、モラトリアムのような国家を維持し続けていることにこそ、その原因がある。日本が大不況から脱却し発展するために真っ先に必要な条件とは「社会主義からの脱皮」だ。その前提条件を満たさない限り、日本の更なる発展はないと言っても決して言い過ぎではないだろう。
 
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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

自由競争と大変な努力により、物が大変安くなりました。(高く売る自由もあるでしょうが)

経済の成長を図るなら、古いものをどんどん新しくすれば良いのだと思いますが、それには資本投資が必要でしょう。

ところが、お金は国や銀行などが独占管理しているようなもの。

資本を自由に発生させ投資や循環をすることに、果たして民間の入り込む隙はないのだろうか?

寿命が延びている現在、このままだと、いつまでたっても社会主義のままなんでしょうね。

国土開発も民間活力でどんどんやればいい。(今は宇宙開発?)

お金がない?いや、お金はどこかにある。

仕事がない。いや仕事もたくさんある。

だけどお金にむすびつかなかったり、効率が悪いものばかり。

ただで家事とかDIYとか無償のボランティアなんかやっちゃいけないんだろう。仕事はなくなるし、経済のためにならない。

成長をはばむものは何?もう政党に期待してもだめでしょうね。

経済学も今までのもので良いのだろうか?


世の中、矛盾だらけということなんでしょうか。

投稿: sib | 2010年1月 9日 (土) 21時00分

sib様

 コメント、有り難うございます。

>資本を自由に発生させ投資や循環をすることに、果たして民間の入り込む隙はないのだろうか?

 官僚(=社会主義者)が国政を牛耳っているような社会では、民間人が勝手に経済を動かすようなことを行うと(それが国民のためになることであったとしても)敵対視されるという問題があります。

>経済学も今までのもので良いのだろうか?

 国民は、今までの経済学の常識自体を捨てて自ら実体験に基づいた新しい経済学を身に付けた方が良いかもしれません。これは政治家についても言えることだと思いますが、既存の政治学などを学ぶよりも、人間心理でも学んだ方が良いと思います。

投稿: 管理人 | 2010年1月 9日 (土) 23時57分

この流れで行けば、数年後に増税ということで、この繰り返しですか。

今後は、円だけにこだわらず、給料や買い物にはユーロやドル、元、ポイントなどでの支払いも可とする。とかね。

税金も、為替レートをみながら、何で支払うかは各自の自由にしたりして。国などは、最終的に円になれば良いわけだろうから。でも、もう金の方が良いのかな?

そのうち、納税はぜひクレジットカードで、かな。

あと、年金を民間からポイントで受けとる方は、50%増しにしますとかね。

国内で仕事がないのなら、当面、失業者は物価が安い海外で働くのも良いのかも。

投稿: sib | 2010年1月10日 (日) 05時03分

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