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安値競争地獄と原価割れ経済からの脱却

2010012701 最近、「デフレ・スパイラル」という言葉をよく耳にする。「デフレ・スパイラル」とは、一言で言えば『デフレによる悪循環』のことだが、デフレ現象に心理的な要因などが加わり更なるデフレを生む現象のことをいう。心理的な悪循環に陥ることによって必要以上のマイナス効果を齎すという意味では「逆バブル現象」または「負のバブル現象」であるとも言える。この実体を伴わない(=必要の無い)精神的な悪循環バブルから脱出するにはどうすればいいのだろうか?

 現在、多くの企業がデフレ・スパイラルに陥っていると思われるが、デフレ・スパイラルが進行する少し前(スタート地点)に遡って考えてみよう。
 大抵の中小企業は少し景気が悪くなると、得意先との関係強化のために1つや2つのサービス仕事を抱えることになる。サービス仕事は当然のことながら赤字受注となるが、その他の大きな仕事の利益によってその赤字分を相殺できるがゆえに受注することができる、いや、できていた。ところが、景気が悪くなる(仕事量が減少する)と、大きな仕事のいくつかは無くなってしまう。中には、運悪くサービス仕事だけが残ってしまったという会社も有るかもしれない。
 サービス仕事であることを当の得意先が認識していればまだ救いがあるが、認識していない場合は、そのサービス仕事まで値切られるかもしれない。そうなるともう目も当てられなくなる。

 当初、サービス仕事はあくまでも他の仕事が有るがゆえのサービス(無料奉仕)であったにも関わらず、結果的にそのサービス仕事だけが残ってしまえば、単なる“目の上のたんこぶ仕事”に変化してしまう。これは実に皮肉なことだと言えるが、この不景気の最中、得意先に対して「サービス仕事だけでは商売になりません」とはなかなか言えない。それを言ってしまうと、取引自体が中止になってしまうのではないか?という不安から、何も言えず、結局、赤字受注で仕事をこなすことになってしまう。
 赤字であるがゆえに利益が出ないので、社員に対する給料の原資にもならない。そうなると、給料自体を下げるしかなくなるという負のスパイラルが始まる。
 まさに「骨折り損のくたびれ儲け」を地で行くような話だが、こういった悪循環に陥っている企業は案外多いのではないかと思う。これも「デフレ・スパイラル」の悲劇である。

 上記のことから何が言えるのかというと、永続的な安値競争というものは本来、仕事が有り余っているような経済環境下でしか成り立たないということである。
 旺盛な需要のある市場で安値競争を行うと、市場法則がほぼ正常に機能し、価格は妥当なところに収斂する。しかし、絶対的な需要自体が足りない状態で際限のない安値競争などを行うと、最終的には先に述べた企業のように「原価を割り込んでしまった」という結果になってしまいかねない。
 仕事が有り余っている状態を当然のことと思い、ダイエーの薄利多売商売よろしく料金を目一杯まで下げてしまうと、いずれ大きなしっぺ返しを食らうことになる。先のことを考えず、リスクというものにあまりにも無頓着であったことが招いた悲劇とも言えるだろう。

 念のためにお断りしておくと、私はここで「市場原理」というものを否定しているわけではない。なぜなら、「原価を割り込んでしまった」というような結果になるのは“市場原理を無視して人間心理を優先した結果”であるからだ。市場原理が正しく機能しているのならば「原価割れ」などというものは本来、発生しない。市場原理が正しく機能していないがゆえに「原価割れ」が発生してしまうのである。原価割れを放置した結果、原価割れ料金がデフォルトとなってしまい、更なる安値競争地獄に陥ることになる。

 国と国の国境が無くなり経済がグローバル化すれば、国際競争としての安値競争から逃れる術はないかもしれない。しかし、国内でしか取り扱っていないようなものまで、無理矢理に安値競争を行う必要はないのではないかと思う。
 “なんでもかんでも(品質の良い物であろうとなかろうと)安くて当然”とするデフレ思考も少し考えものである。デフレ経済であったとしても“品質の良い物は高価であってもよい”というような考え方も必要ではないかと思う。安値競争というものは絶対的に良いことだとする向きもあるが、それは時と場合によるということも併せて考える必要があるのかもしれない。
 商品を値切ることが当たり前となっている社会、実はそういった社会を当然と思い込んでいる精神状態が、デフレ・スパイラルを呼び込んでいるとも言える。“値切る”という行為は一見、利益率が増して得をした気分になると思われるが、経済全体として観れば、結果的には自分に跳ね返ってくる(=収入が下がる)ことになる。
 
 デフレ経済になると全体的な物価が安くなることは避けられないが、メンタルな部分までデフレ思考に陥ってしまうと、物の価値自体が本来の価値以下になってしまう。「デフレ」は物の価値が下がる現象のことだが、それは物の品質が落ちるという意味ではない。「デフレ」の対象となるのは、品質が一定という条件下にある商品に限定されるべきであり、企業努力によって限りなく品質を高めた物にまで過剰なデフレ圧力をかけるべきではないのではないかと思う。

 しかしそういった認識を総ての国民が共有しないことには、必要の無いデフレを止めることはできない。デフレ・スパイラルを食い止めるためには、多くの国民が、人間の心理状態が経済に与える影響を考えることができるという条件が付いてまわる。デフレ・スパイラルを最小限に抑えるためには、国民の経済認識力を高めることがどうしても必要になる。しかし、お金の教育すらまともに行われていないこの国の現状を考えると、それは不可能に近い相談なのかもしれない。お金のことだけを言い争っている政治家達を観てもそのことはよく分かる。お金の教育が必要と思われる彼らに「お金の教育を行え」という方がどうかしている。
 
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コメント

こんにちは。
近くにまた1000円カットの理髪店が出来ました。

既存の店にはまた影響するでしょう。違う価値観を出さないとね。コミュニティに貢献出来ると良いのかなあ。

本当に経済だけでなく日本の再建のスイッチを切り替えたいですね。

投稿: ひよどり | 2010年1月31日 (日) 21時17分

ひよどり様

 コメント、有り難うございます。

 まずは教育のスイッチを切り替える必要があるのかもしれません。現代の教育体制は“戦争”というものを前提に組み立てられたような代物ですから、その時代錯誤な教育システムを時代に適合したシステムに大胆に切り替えることが喫緊の課題なわけです。しかしそれが全くできない。できないというより、理解していないことが問題なのかもしれませんが…。

投稿: 管理人 | 2010年1月31日 (日) 23時24分

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