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正義の皮を被った公務員の茶番(無意味な国策捜査)

2010012101 このところ新聞の一面記事には毎日のように民主党の小沢問題が取り上げられている。民主党の“政策内容”について取り沙汰されるのであればまだ頷けるのだが、相も変わらず政治家個人の“金銭問題”のみがクローズアップされている。
 「小沢 vs 検察」という、まるで正義と悪の戦いでもあるかのように報道されているが、こんな無意味な茶番をいつまで繰り返すつもりなのだろうかと言いたくなる。この問題の重要なポイントは、どちらも国民の側を向いておらず、どちらも正義とは言い難いところだろう。

 私は現在の民主党も小沢氏も応援するつもりは全くないが、政治とお金というものは切っても切れないもので、政治家の金銭問題などをいちいち追及していくと、それこそ政治家の大部分を捜査及び逮捕しなければ辻褄が合わなくなるのではないかと思う。小沢氏だけでなく、大抵の政治家は“叩けば埃が出る身”だろうから、マスコミ報道に乗じて野党側が小沢氏を批判することは自分で自分の首を絞めているようなものだと思える。一般人が小沢氏を追及するのは頷けるとしても、同じ政治家が小沢氏を責めるのはどこかおかしい。(検察と裏で繋がっているのであれば話は別だが)
 それとも政治家達は『検察に目を付けられたら最後、政治家としての社会的地位が1日にして失われてしまうような社会』を切望しているのだろうか?
 マスコミでもよく「小沢氏は独裁政治家」というような意見を目にするが、“独裁”という意味では検察も同様だろう。私には「独裁政治 vs 独裁官僚」というような、一般人にとってはほとんど何の関係もない有難迷惑な茶番が日夜繰り広げられているようにしか見えない。

 小沢氏は検察と戦う姿勢を見せているが、当の民主党も以前のライブドアへの強制捜査時には検察からのリークを鵜呑みにしてホリエモン叩きをしていたのではなかったのだろうか? 当時、自民党を批判するために検察の側に立っていた民主党が今度は検察批判を行っているのだから皮肉なものである。結局、自分の置かれた立場次第でコロコロと意見を変えているだけのように思えてしまう。
 ちなみに民主党はホリエモンに偽メール騒ぎの賠償金300万円を支払い和解したらしい。講談社も闇カジノ騒ぎで400万円、立花 隆氏も200万円の賠償金を支払ったそうだが、この辺のところはマスコミではほとんど報道されておらずタブー視(=自分達に都合の悪いことは無視)されている。

 東京地検を含む検察という組織は、「日本の最高権力」「現代の特高」とまで揶揄されることがあるが、実際のところはただの国家公務員である。つまり、もし本当に公務員改革というものが行われるのだとすれば、その対象になる組織でもあるわけだ。はたしてそんな組織に中立的な捜査が行えるのだろうか? 検察は公務員改革に賛成なのか反対なのか中立なのかを是非とも聞いてみたいものだ。
 しかし、現時点で民主党にまともな公務員改革が行えるとは到底思えないので、東京地検が我が身保身のために動いたというのも少々疑問が残る。佐藤 優氏曰く「東京地検が動く時は全て国策捜査」ということらしいが、今回の場合、一体どういう国策で動いたのかは甚だ疑問ではある。“社会主義の守護神”とも言える検察が、社会主義政治を行っているとしか思えない民主党を貶める理由とは一体何なのだろうか?

 元検察官として有名な郷原信郎氏も同じようなことを述べているが、日本では“逮捕”という言葉を聞くだけで無条件に“悪人”というイメージが刷り込まれてしまう。逮捕された人間がどういう罪を犯したのか、またどの程度の罪なのか、あるいは罪を犯していなかった(=冤罪)としても、“逮捕=悪人”というイメージが出来上がってしまう。これは非常に危険なことである。
 水戸の黄門様が神様のような善人であり100%間違った判断をしないというのは、あくまでもフィクション(テレビ)の世界の話であり、現実にはそんなことは有り得ない。それと同様に、検察の判断にも当然のことながら間違いがある。“逮捕されたから”という理由だけで無条件に罪人扱いにされたのでは、冤罪で逮捕された菅家さんのような被害者を量産することに繋がってしまいかねない。罪を犯してもいない無実の人間が犯罪者として仕立て上げられてしまう。その絶望感と無念さは想像を絶するものだろうと思う。

 「10人の犯罪者を逃しても1人の無辜(無実の罪)を罰してはならない 」というのが民主主義の基本理念の1つ『疑わしきは罰せず』であるはずだが、そういった当たり前の常識すら通用しないと思われるのが現在の検察の姿でもある。
 かのウォルフレン氏も自著『人間を幸福にしない日本というシステム』の中で「検察は民主主義の敵」とまで述べている。『人間を幸福にしない日本というシステム』を維持するのが検察の姿であるというわけだが、今更ながらに鋭い考察ではある。国民の側を向いていないという意味ではまさにその通りだと思う。

 国民が不況で苦しんでいる時に、政治家と官僚の戦いなどは誰も観たいとは思わないし、本来どうでもよいことである。況して1政治家の金銭問題を是正したところで、景気が良くなる可能性は0だ。そんな無駄なことを行っている暇があれば、経済を活性化させる妙案でも考えてもらいたいところだが、もはやこの国のお役人には何を言っても無駄なようである。
 
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