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賞味期限偽装事件の顛末と狂気の世界

2010011701 最近、テレビで『こんにゃくゼリー』のCMをよく見かけるようになった。固形タイプではなく液状(クラッシュ)タイプのゼリー限定とはいえ、消費者にとっては喜ばしいことだと思う。
 そんなことを考えていると、先日、食品安全委員会から以下のような発表がなされた。

 「一口あたりの窒息事故頻度は、あめ類と同程度と推測する

 この場合、こんにゃくゼリーの窒息事故の頻度の程度を述べているわけだが、国の機関も結局のところ、以前の『こんにゃくゼリー』問題は事件ではなく事故だったと認めざるを得なかったということになる。あれだけマンナンライフを「殺人ゼリー製造業者」だと言わんばかりに悪者に仕立て上げていたにも関わらず、今更こんな発表をするのだから呆れてしまう。あの騒ぎは一体なんだったのか?と首を傾げたくなる。
 
 「作業班は今後、事故を減らすための提言をまとめる」とのことだが、一体どんな提言が出てくるのか非常に興味深い。事故を減らすためには『食べ物を極力小さくする』しかないように思われるが、まさかそんな小学生のような提言をするわけにもいかないだろう。
 ちなみにマンナンライフのホームページを覗いてみると、そこにはこう書かれている。
 
 「クラッシュタイプの蒟蒻畑は消費者庁より特定保健用食品の表示許可を頂きました」
 
 マンランライフ問題はさておき、この2〜3年の賞味期限偽装問題騒ぎの顛末を少し述べておきたいと思う。

 2007年頃から賞味期限偽装が社会問題となったため、多くの食品製造・加工会社は“賞味期限”を気にするあまり、それまで使用されていなかった化学薬品(合成保存料など)を使い始めたらしい。そのおかげで確かに食品は腐りにくくはなったものの、健康上、あまり身体に良いとは言えない化学物質を体内に入れなければならないという新たなリスクが生じてしまった。その中には発ガン性物質の疑いがある危険な化学物質も含まれているそうだ。果たして、こんな対応策で本当に良かったと言えるのだろうか?

 賞味期限が切れて腐った食品は目視や臭いで判断できる。もし古くなった食品を食べたとしても、せいぜいお腹を壊す(下痢)程度で収まるが、合成保存料の場合は何も分からずに有害な物質が体内に蓄積されていくことになる。その時は「お腹を壊さずに済んだ」と喜んでいたとしても、将来的にもっと酷い病気が発症する可能性があるのであれば本末転倒であり何のための健康措置か分からない。
 
 しかし今回の措置の場合、食品加工会社を責めるのは酷というものだろう。なぜなら、“賞味期限切れ”に過剰に拒否反応を起こしたのはマスコミに煽られた一般の消費者であって、食品加工会社ではないからだ。腐っている(=食べれない)、腐っていない(=食べれる)に関わらず、賞味期限シールの日付だけに敏感になり過ぎた多くの消費者にも責任がある。商品が腐っていないにも関わらず、賞味期限が少し過ぎたというだけであれだけ大きな騒ぎとなったのだから、本当に食品が腐っていた場合は企業の命取りになってしまいかねない。そのために食品加工会社は新たな合成保存料を使用するという判断をせざるを得なくなった。とすれば、多くの食品加工会社は言わば「被害者」であって、責任を追及するのは筋違いだとも言える。
 ヒステリックな消費者から「なぜ危険な化学薬品を入れるのだ!」と追及されたところで「今更そんなことを言われても知ったことではない」というのが食品加工会社の本音だろう。

 あめがノドに詰って運悪く死亡したとしても訴えを起こすような人は誰もいない。であるならば、こんにゃくゼリーの場合も同様でなければならない。それが今回の食品安全委員会からの発表の最も重要なポイントだ。こんにゃくゼリーが危険だということで販売中止にするのであれば、あめ自体も全て販売中止にしなければ筋が通らないということだ。
 「日本からあめという駄菓子自体が存在しなくなっても良いのか?」と問えば、誰しも「良くない」と答えるだろう。こんにゃくゼリーとて同じことだ。全国のあめを製造している会社が全て倒産して一体誰が幸せになるのか?ということも冷静に考えてみる必要がある。しかし、そういった当たり前の考えや意見は、パニックに陥った人々の前ではいつも掻き消されてしまう。

 “賞味期限”などというものは、気温や湿度などの保存環境によっても大きく変わってくるものであり決して絶対的な尺度ではない。そんな目安にしか過ぎないアバウトなものよりも、実際にその食品が腐っている(食べれる)のかどうかの方が大事なことだろう。
 そもそも食品は“腐らない方が良い”という価値観も一度見直す必要があるのではないだろうか? あるいは食べ物は“見た目が綺麗な方が良い”というのもどこかおかしい。“人間”と“食べ物”を同一線上で考える必要などはないと思う。
 野菜がいつまでも綺麗であるということは、=“虫も食べない”ということであり、そんな農薬漬けのような野菜が人間の身体に良いとは思えない。綺麗な女性であれば虫(?)も寄ってくるだろうが、綺麗な野菜の場合は虫も寄り付かない。ヘタな喩えではあるが、人間と野菜は全く逆なのだ。つまり、“野菜は汚い(腐る)方が良い”のである。
 “野菜は腐る方が良い”“野菜は汚い方が良い”などと言うと、「そんなはずはない!」と怒る人がいるかもしれないが、食物というものの本質を冷静に考えれば、どちらが正しいかは火を見るより明らかだろう。野菜や果物の判断基準は視覚ではなく味覚や嗅覚で行うものだというのは当たり前のことである。
 
 結局、何が言いたいのかと言うと、「食べ物にはリスクが付き物」だということだ。日本には《リスクはあってはならない》というような平和な空気が漂っているが、それは別名『ノーリスク教』とも言うべき誤った思想でもある。
 この世にノーリスクなどというものは残念ながら存在しない。この世が時間とともに変化する世界であるのならば、当然どんなものにもリスクは付いてまわるということである。思考とともに時間まで停止させて物事を考えると「ノーリスク」などという幻想を追うことになる。この世でリスクの無い世界を追求すると、行き着く先に待っているのは“狂気の世界”である。
 こんにゃくゼリーを「殺人ゼリー」として断罪するような社会が、はたしてまともな社会と言えるだろうか? こんにゃくゼリーを製造・販売した企業を「殺人企業」と罵るような社会が「狂気の世界でない」と一体、誰が言えるというのだろうか? この日本でほんの少し前に実際に起こったその光景はまさしく“狂気の世界”だったのである。そしてその狂気によって人々はより大きなリスクを背負いこむことになってしまった。まさしく狂気が招いた悲劇である。

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コメント

ミュージックステーションのサブ司会などでお馴染みのテレビ朝日アナウンサーの竹内由恵。
そんな彼女がナインティナイン・矢部浩之と恋の噂!?

お笑い芸人と女子アナの恋・・・事実だとしたらかなり話題になるだろう。

http://tkucysean.blogspot.com/

投稿: ナイナイ矢部と恋の噂!テレ朝・竹内由恵アナは魔性の女!? | 2010年1月18日 (月) 13時42分

合成保存料を入れた理由が、消費者が賞味期限を気にするあまりプレッシャーをかけたからとかどういう頭してたらこんなアホみたいな考えが沸いてくるんだろうな。しかも食品会社が被害者とか。小学生以下とか能書きほざいとるがオマエのドタマこそ小学生か産後直後のまま止まったままなんとちゃうか?

投稿: オマエはアホか? | 2011年7月10日 (日) 21時32分

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