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「年功序列制度」は「ねずみ講」か?

2010020401 現代日本の年功序列問題研究の第一人者とも言える城 繁幸氏の新書3部作の最終巻『7割は課長にさえなれません』を読み終えた。城氏の著作は全て目を通しているが、今作は『日本町』という架空の都市に登場する人物がモデル化されて描かれており、ノン・フィクションの世界を上手くフィクション化し、なかなか面白い構成になっている。いつもながら、年功序列問題の本質を素直に言及しており傾聴に値する本音論が随所にちりばめられている。

 時代の影響からか、年功序列制度の弊害を訴えている人は年々増加傾向にあるようだ。実際にその制度の中に生きている多くのサラリーマン(私も含む)にとっても決して他人事ではなく、今後の日本経済を考える上でも無視できない重要な問題でもあるため、今回は改めて年功序列問題にスポットを当てて考えてみたいと思う。

 ご存知の通り、「年功序列制度」は「年金制度」と並び「ねずみ講」と称されることがある。老年世代が若年世代から搾取するという意味では確かにその通りだと言えるかもしれない。
 「年功序列制度は ねずみ講」、これは一見誰にも覆すことのできない真実であるかに思える。しかし、中には「年功序列制度は ねずみ講ではない」という強気の異論を展開している御仁もおられる。日本経済楽観論者の1人である増田悦佐氏もその1人だ。(増田氏の著作は以前にも当ブログで紹介したことがある→該当記事
 増田氏は一風変わった鋭い正論を述べることでも有名な人物だが、年功序列制度に関しても面白い主張をされている。増田氏は著書『格差社会論はウソである』の中で以下のようなことを述べている。(注意:原文ではない)

 「かつての高度経済成長期に年功序列制度下にあった労働者達は、その当時に貰っていたはずの給料を現在貰っているだけである

 確かにこう言われてみると、その通りだと言えなくもない。かつての高度経済成長期に歩合給(能率給)として給料が支払われていれば、その当時の労働者が受け取るべき給料はもっと高くなければならなかったはずだ。歩合給にしなかった理由は後述するとして、要するにこの時代の労働者達は給料の一部を積み立てていたことになり、その差額分を現在貰っているのだと考えれば確かに合点がいくし、年功者達の言い訳としては成り立つかもしれない。
 しかし、もし増田氏のこの考えが正しいとしても、どうしても無視できない点がある。それは、「そうであるならば、現代の年功序列制度とは一体何なのか?」という疑問点だ。
 
 年功序列制度が現在も何の問題もなく機能しているのであれば、確かに増田氏の主張は全面的に正しいと言えるだろう。しかし、現代の年功序列制度は機能しているのか?と問えば、誰しもまともに機能しているとは思わないだろうし、実質は破綻していると言っても決して言い過ぎではない。(公務員の世界だけは例外だが、無理矢理維持していることに違いはない)
 “年功序列制度が機能している時代”と“年功序列制度が機能していない時代”の違いを考慮に入れた上で論じない限り、いくら論理的には正しくとも万人を納得させることはできないと思える。
 
 もし、現代の老年世代が年功序列制度を享受する権利があるとしても、その原資(過剰な高給)は過去の蓄積から支払っているわけではない。稀にそういった企業もあるかもしれないが、JALの企業年金問題を観ても、そこまで先を見据えた堅実な企業は無いと考えた方がよいかもしれない。
 老年世代が年功序列制度を享受するための蓄えが当の会社に存在していないのであれば、老年世代が年功序列制度を享受できるという保証も消えて無くなる。また、現代の若年世代が将来的に年功序列制度の恩恵にあずかれないのであれば、年功序列制度は既に破綻しているわけだから、直ぐさま別の給与体系に切り替える必要がある。しかし現実にはどうなっているかというと、破綻しかかった年功序列制度が今も維持されている。この現実を観るにつけても、年功序列制度によって若年世代が利用され犠牲になっているだろうことは否定できない。

 年功序列制度も年金制度と同じく、賦課方式(※1)であって積立方式ではない。そのことだけで、既に答えは出ていると思われる。年功序列制度が積立方式で運用されているのであれば、老年世代が年功序列制度を享受する権利があると言えるだろうが、賦課方式で運用されている場合は、必ずしも権利があるとは言えない。かつては年功序列制度も、建前上は積立制であったのかもしれないが、実質は賦課制であることに間違いはない。

(※1)必要になる財源を、そのときの現役世代が負担する仕組み
 
 さて、ここで先程の「歩合給」の話に切り替えよう。かつての高度経済成長時代にはなぜ企業は歩合給制にしなかったのか? これは様々な理由があるので一口には言えないが、1つには、“雇う側はその方が都合が良かった”という理由がある。簡単に言えば、わざわざ職能給などを考えなくても経営していけたということと、その方が(雇う側が)儲かったということである。
 当時は現代のように仕事が足りない状態ではなく、仕事が有り余っている状態で、やる気さえあれば、いくらでも仕事をすることが可能な時代だった。それこそ、1人で2人分の仕事量をこなしても、それだけの報酬(時間給)が出る時代だった。それは、現代と全く逆だと考えれば解り易いかもしれない。現代では絶対的な仕事量(パイ)が足りないので、雇う側は、固定された月給よりも、仕事をこなした分だけ支給する歩合給の方が経営リスクが低い。しかし、今まで都合よく年功序列の月給制にしていた制度を、直ぐさま歩合給制には変更できない。

 元々、歩合給制にしていれば、おそらく現代のような歪んだ年功序列問題などは起こらなかったはずで、仕事量が減少すれば、おのずと給料も減少するという世の中になっていたはずだ。(歩合給としては計算できない仕事もあるので実現するのは難しいが)
 「そんな安定性のない世の中になっては困る」と言う人がいるかもしれないが、よくよく考えれば、それが当たり前の社会なのである。仕事が増加しようが、仕事が減少しようが、給与制度は一定の法則で運用(上昇)するということ自体がそもそものの間違いなのである。その間違いが誰の目にも分かるように表面化してきたのが現代の日本の姿だ。
 元々、年功序列制度も年金制度も、数十年前からそのうち維持できなくなるだろうことは判っていたことで、そのことを隠しながら、騙し騙し過ごしているうちに、ついに21世紀を迎えてしまったというのが実際のところでもある。
 元々、“いつかは破綻することが決定していながら、ある一定期間だけは有用な制度”のことを人々はこう言うはずだ。「ねずみ講」と。年功序列制度も年金制度も例外ではない。そのどちらも見事なまでに「ねずみ講」の条件を満たしている。よって、「年功序列制度は ねずみ講」は正しい。
 
 過去の人為的判断ミスによって出来上がった現代の歪んだ日本社会では、ろくに仕事もせずに高給な人もいれば、死ぬほど仕事をしても報われない人もいる。なぜこのような歪んだ社会が出来上がったのか? それは、労働の価値や給与の増減、つまり労働市場というものを人為的に管理できると自惚れた者達が犯した失敗が原因であると言えるのかもしれない。歪んだ年功序列制度を享受している老年世代だけが悪いのではなく、歪んだ年功序列制度を創り出してしまった管理者(お役人)と、その歪んだ制度を中止することのできない窮屈な社会システムに全ての元凶があると言える。
 
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コメント

まったくその通りだと思います。
今の若者にはもっとこの事実を知らせるべきだと思うのですが、難しいですね。

投稿: ゴム人間 | 2010年2月28日 (日) 20時35分

ゴム人間様

 コメント、有り難うございます。

 もはや、年功序列システムを維持していくことが不可能であることは誰の眼にも明らかなことだと思えるのですが、それが判っていながら変えることができないというのが、この国の難儀なところです。
 歪んだ年功序列システムであっても、そのシステムに寄生することによって生き長らえようとする既得権益者達の抵抗は如何ともし難いものがあります。結局、この国のお偉方は口では綺麗事ばかり並べていますが、将来世代のことなど何も考えておらず、自分の保身にしか興味が無いということなのでしょう。

投稿: 管理人 | 2010年2月28日 (日) 22時30分

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