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2010年3月

郵政国営化で確定する日本の未来

2010033001 先週、国民新党の亀井氏がまたもや暴言を吐いたことは周知の通りだが、今度は、ゆうちょ銀行への預金限度額を2倍の2,000万円にすると述べたらしく、大きな問題となっている。
 現在の郵便局や銀行はペイオフ金額を1,000万円と規定しており、1,000万円を超える預金は保証できないことになっているが、一般の銀行は無視して、ゆうちょ銀行のペイオフ金額のみをいきなり2倍に引き上げる(?)つもりらしい。加えて、かんぽ生命の保険金限度額も約2倍(2,500万円)に引き上げる。そして極めつけは、非正規社員10万人を正社員化するとも伝えられており、相変わらずの無茶苦茶ぶりに批判が殺到しているようだ。(ちなみに現在の郵政職員は24万人)
 
 端から観ていると、亀井氏は郵政民営化に対して相当のルサンチマン(復讐心)を抱いているように感じられる。国民の意向など全く感ぜずという感じで、なにがなんでも(独善的に)郵政国営化を復活させたいらしい。
 先日、ブログのコメントでオススメされた高橋洋一氏の『日本経済「ひとり負け!」』を読んでみると、ちょうどよいタイミングで郵政問題について書かれてあったので、この場を借りて紹介しておこうと思う。
 
 高橋氏によると、郵政がこのまま国営化されると毎年1兆円の負担が国民の肩にのし掛ってくるらしい。(つまり国民1人当たり1万円の増税)
 郵政民営化問題(郵政選挙)が騒がれた時は、よく「郵便局は黒字経営なので税金は投入されていない、ゆえに郵政を民営化する必要はない。」と伝えられていたが、どうやらこれも(やはり)デタラメであったらしい。直接的には税金は投入されていなかったが、2001年の財政投融資改革までは巧妙な形で間接的に税金が投入されていたことが明かされている。現状は超低金利が幸いして破綻が表面化せずに済んでいるだけであるらしい。
 高橋氏曰く「郵貯は国営の個人国債の売りさばき機関」だということで、このままでいくと15年以内に潰れるということらしいのだが、これがもし本当だとすると、亀井氏の一連の発言は一体何を意味するのだろうか?
 
 統計やデータを基にした数理学で経済を語るエコノミストは数多い。過去の統計やデータというのは言わば「過去の常識」を基にしているということでもあるので、現代のような予測不可能な時代ではほとんど役に立たない。しかし、高橋氏のような数学の天才のような人が言うと妙に納得させられてしまう。昔から「本当に頭の良い人は難しいことを簡単に述べることができる」と言うが、高橋氏の場合もあるいはそうなのかもしれない。簡単なことを無理矢理に難しくしている巷の似非エコノミスト達とは明らかに一線を画している。
 郵政問題以外にも本書には様々な誰も書か(け)なかった日本経済ひとり負け論が満載されている。しかし、2点だけ気になる箇所があった。これから本書を読まれる人もいるかもしれないので、少しだけ触れておきたいと思う。その2点とは、定額給付金年金制度における認識についてである。
 
 世間一般で、あれだけ騒がれて批判された「定額給付金」だが、高橋氏にとっては「最も公平な財政政策」であるらしい。ただ、1人12,000円では安過ぎたということで、1人30万円であれば需給ギャップを埋めることができたと述べられている。注目すべきは、それだけの巨額のお金を刷ってバラまいてもほとんどインフレにはならないということが数理的に証明されている点だ。
 お国の経済状態を理解せずに単なる選挙活動で小銭をバラまいたということは批判されるべきだが、理解した上で実効価値のある公平なバラマキを行っていれば、今頃は麻生総理のお株も少しは上がっていたということなのかもしれない。
 同じく財政政策のエコポイント制度などは、エコポイントを管理する天下り団体を創ることに繋がるので問題だと述べられている。
 しかし、私が思うに先の定額給付金にしても、配るだけで数百億円の経費を費やしたということなので、天下り団体はできなかったとしても、役所が焼け太りしたことに変わりはないように思う。個人的な意見を述べさせてもらうと、最も公平で効果的な財政政策は「エコポイント」でも「定額給付金」でもなく、「減税」だろうと思う。(高橋氏も減税はマトモな財政政策だと述べている)
 
 もう1つは年金制度についてだが、高橋氏は「年金制度は破綻しない」と述べている。一言で言えば、「入ってくるお金が減ったとしても受給額を下げることで対応できる」ということなのだが、これも誤解を招く恐れがある。
 「少子化によって年金制度は破綻するか?」という質問には、実は2通りの解釈が存在する。1つは、「現状の年金制度を維持できるか?」というもので、この答えはもちろん「ノー」である。しかし、「賦課方式としての年金制度を維持できるか?」というと、実はできる。どうやって? 受給額を下げることによって。
 しかし、それはあまりにも詭弁じみた解釈であり、あまりにも現実味のない解釈である。確かに年金の受給額を限りなく減額していけるのであれば、年金制度が破綻することはない。だからといって「年金制度が破綻しない」と言うのは(高橋氏が嫌う官僚の)言葉のマジックのようなものだとも言える。
 制度自体を継続させることは可能でも、実際に支払った金額以上の年金が受給できないということであれば、誰も年金などに見向きもしなくなるだろう。そんな状態に陥ってしまえば、実質的には制度は破綻していると言っても過言ではない。
 このことは“年金”を“会社”に置き換えて考えてみればよく解ると思う。売上も利益も減少の一途を辿っているような会社であっても、際限なく人件費(給料)を下げることができるのであれば、会社は破綻せずに済むだろう。しかし、そんな会社で一生働こうと思うような酔狂な人はまずいない。年金制度もこれと同じで、制度だけが生き残っても意味がないということである。

 良書に対して、重箱の隅をつつく(マスコミの)ようなことを言って申し訳ないが、以上の2点だけは指摘しておきたいと思う。しかし、本書が日本経済に関心のある国民(特に政治家)必読の書であることに変わりはない。

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法人税の減税と相続税の廃止効果

2010031401 民主党の鳩山総理が法人税の減税を訴えたことが、にわかに注目されている。これまでは「大企業は悪」と言わんばかりの左寄りの社会主義政策ばかりを述べていた民主党らしからぬ意見に、驚きを隠せない人も多いようだ。
 少しは世界経済の常識(=法人税を減税すれば税収は上がる)を知っている者にとっては、法人税の減税は当然の政策であり、心ある経済人であれば今回の政策は諸手を挙げて賛成だろう。逆に、法人税を下げることに反対するような人がいれば、その人物はただの偽善者か経済オンチだと思って間違いない。
 
 これで、相続税も減税(理想は相続税廃止)すると言えば、少しは鳩山総理の好感度も民主党の支持率も上がるかもしれないが、おそらくそこまで言及することはないだろうと思う。
 法人税については以前にも少し述べたことがある(→該当記事)ので今回は置いておくとして、今回は相続税について少し述べてみたいと思う。
 
 かつて日本の相続税の最高税率は70%という高税率だったが、現在は50%となっている。1000万円以下では10%の課税に過ぎないが、3億円以上となると50%(つまり1億5000万円)徴収されることになる。私のような一般サラリーマンにはあまり縁のない話ではあるが、この累進課税には閉口せざるを得ない。
 ギャンブルなどの泡銭で3億円儲けたというならいざ知らず、命を削って死ぬほど働いて3億円貯めた人間であっても、その半額分を強制的に相続税として徴収されるのだから堪ったものではない。そんなに税金で持っていかれるのであれば、真面目に働くのが馬鹿馬鹿しくなっても仕方がないと思う。本来、高額の納税を期待できる人の働く意欲を削ぐ(=税収減)結果になっているだろうことは想像に難くない。
 
 ところで、相続税というものは別名「嫉妬税」とも言われることがある。生まれつき先祖や親の財産が有る子供と財産が無い子供がいることは不公平だという思考がその出発点になっている。
 確かに昔の財閥のように何の苦労もなしに運だけで莫大な資産を引き継いだというような場合であれば、そういった考え方も理解できなくもない。昔の地主階級よろしく、莫大な財産を引き継いだようなドラ息子が、仕事もせずにのうのうと遊んで暮らすのは許せないという気持ちは理解できる。しかし、こつこつと努力して稼いだお金を自分の子孫に残すというのであれば話は別だ。自分で一生懸命働いて稼いだお金をどう使おうが自分の勝手であり、そのお金を子孫に残すことも別に悪いことではない。一生懸命働いて稼いだ親のお金を引き継いだ子供がいたとして、その子供に対して「アイツはズルい」などと言って罵る方がどうかしている。こういった嫉妬の感情が行き過ぎると、《生まれつき金銭的(経済的)に不平等があるのはおかしい》というような共産(共貧)主義思想に陥ることになる。
 
 相続税を増税するべきだというのは、基本的には共産主義者の発想であるが、中には共産主義者でもない人間が同じようなことを訴えていることがある。それは、相続税というほとんど動かない巨大な資産を市場に出すべきだとする意見である。これは確かに一理ある意見でもあるのだが、少し誤解を招くことに繋がる恐れもある。ホリエモンも確か後者に属するようなことを述べているが、極論であることは否めない。ホリエモンの場合、働いて稼いだお金は全て使えばよいという前提で、相続税を100%にした方が良いと述べているのだと思う。それは確かにお金が動いて経済的にも良いことなのだが、残念ながら全ての国民にそれを強制することはできない。誰もが貯金せずに手持ちのお金を全て使うようになれば、確かに景気は良くなるだろうが、それは現実的にはできない相談だ。
 ホリエモンの意見には頷くことも多く、9割がたは正しいことを述べていると思われるが、たまには誤解を招くことも述べているように見受けられる。ホリエモン自身も大前研一氏のことをそのように述べていたと思うが、100%全く間違いのない正論者というのはいないということである。もちろん、私も間違ったことを述べている可能性があることは否定しない。
 
 相続税を減税すれば、財産を持った人間と持たない人間の間に更なる格差が生じることは間違いない。しかし、巨額の財産を持っている人間であってこそ可能なことがある。それは会社を作る(仕事を作る)ことや、巨額の投資を行うことだ。そういった大々的にお金を使ってくれる人が増えれば、相続税を上げることなく景気を上向かせることも可能となる。それに、相続税として召し上げられたお金が、市場に出回らずにお役人によって無駄に使われるのであれば、相続税を上げる意味が全く無駄になる可能性がある。そういう意味でも、相続税は減税し、その浮いたお金が直接的に市場に出回った方が効率的だ。
 
 経済的に観れば、貯金するという行為は確かに悪だ。それはお金が仮死状態に置かれていることを意味する。
 「貯金することが悪いなんて信じられない」と言う人もいるかもしれないが、「不景気」とは、「誰もがお金を使わない社会」の別名である。貯金するがゆえに不景気になるというホリエモンの考えは確かに正しい。しかし、いきなり「貯金するな」と言っても、それは実現できない。ゆえに逆転の発想が必要になる。つまり、相続税を100にするではなく、逆に0にして、相続税として納めるべきお金を市場を出回らせるという発想だ。実は法人税の減税もこれと同じ効果を齎すことになる。税金として支払わなければならなかったお金を、税金としてではなく自由(消費や投資)に使うことができれば、景気が上向く可能性が高くなる。つまり、景気の上昇効果が見込めるのである。無論、その場合も、浮いたお金を使うことが前提となることは言うまでもない。

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『時効廃止』の経済学

2010030101 時効制度の廃止についての論議が活溌化している。法制審議会が時効制度廃止の見直し案を千葉景子法相に答申したことが事の発端だが、その報道によると、殺人犯についての時効は無くなり、それ以外の犯罪の場合も概ね時効になるまでの期間が2倍に引き延ばされる見通しだ。
 
 まず初めに言っておくべきことは、殺人に時効などは本来あってはならない…と言うよりも、殺人を犯した罪は15年どころか一生消えないということだ。こんなことは誰もが解っていることであり、殺人の罪が15年で消えるというような時効制度を今まで疑問に思わなかった人などはいないと思う。もし仮に「殺人に時効は有るべきか?」というアンケートを実施すれば、おそらく大部分の人が「ノー」と答えるはずだ。
 では、なぜ時効制度なるものがこれまで許容されてきたのだろうか? この部分にスポットライトを当てない限り、時効廃止論議の本質を捉えることはできないと思う。その本質とは、実は経済的な事情だ。
 
 殺人犯を一刻も早く捕まえて欲しいという願いは、被害者の立場で考えれば当然のことであり、15年間かけて逮捕できなかったとしても捜査を継続して欲しいと願うのは当然の被害者心理だ。しかし、捜査自体には費用がかかる。例えば、ある殺人事件の犯人のみを1人の刑事が15年間追い続けると単純に考えた場合、その刑事の15年分の給料と必要経費がかかることになる。普通に考えても、その費用は1億円以上となるだろう。その費用はどこから出るのかというと、無論、国民の税金だ。時効までの期間が2倍になれば、税金も2倍になる。時効期間というものは、犯人が逮捕されるまでのタイムリミットというだけでなく、実は刑事が捜査できるタイムリミットでもあるわけだ。
 
 殺人犯を捜査して捕まえることは治安を維持するためにも必要なことであることは言うまでもないが、ほとんど証拠も出てこないような難事件の殺人犯を探し続けることは、雲を掴むような話であり、延々と捜査を続けても無駄になる可能性も否定できない。
 「15年間という縛りが無ければ、捜査が遅々として進展しない可能性がある」との意見もあるようだが、これは別の見方をすれば、捜査の怠慢だけでなく、腐敗の温床となる可能性も否定できないということである。あまり考えたくない話ではあるが、時効の延長や廃止というものを悪用して、ろくな捜査もせずにサボタージュする税金泥棒のような刑事も出てくる可能性があるということだ。
 
 警察という組織も、犯罪があって初めて仕事が生まれるわけで、犯罪が減少すれば、人員も削減しなければならない。しかし、一度、増員した警官の数は、その他の公務員同様、なかなか減らすことはできない。と考えると、時効延長というものは、仕事の無い刑事の仕事を作るための手段とも考えられる。あるいは、警官(公務員)を増員させる理由付けとも成り得る。こういう穿った考えはしたくないが、真面目に税金を支払っている人間には、時としてそういった視点も必要だと思う。時効の延長論を擁護するのであれば、その人物は捜査にかかる費用も税金として上乗せして支払うことにも留意する必要がある。それができずに感情論だけで時効の延長を求めているのであれば、その人物は紛れもない偽善者だと言えるだろう。“捜査にはお金がかかる”、そのお金を支払う覚悟のない人間が、安易に「時効の延長を!」などと述べるべきではないのである。
 「殺人犯が出たのは、国民全ての責任だ。ゆえに国民全員で捜査費用を支払う必要がある」などという国粋社会主義者(?)は論外として、1円も税金を支払っていないような人や、増税反対を訴えているような人が「時効の延長を!」などと言う資格は無いのである。“納税拒否”と“時効延長”をどちらも要求する行為は明らかな自己矛盾を抱えているからだ。
 
 しかし、この税収が落ち込んでいる時期に、なにゆえに時効の廃止や延長などという話が突然浮かび上がってきたのかは実に不可思議だ。税収が落ちているのに、時効期間を延長するというのは、常識的に考えて筋が通らない。
 「冤罪を無くすために時効制度を無くす」という意見もあるようだが、これもおかしい。時効期間を引き延ばしたところで冤罪の減少とはほとんど何の関係もない。《一刻も早く犯人を逮捕して功績をあげなければならない》という考えが冤罪を生む原因だとしても、延々と捜査を続けることが冤罪防止に役立つとは思えない。仮に15年間という縛りが冤罪を生む原因だと言うのなら、それは警察側の問題であり、ただの責任転嫁(言い訳)でしかない。
 
 少々、誤解されそうなことを書いてしまったかもしれないので一応、弁解しておくと、私も基本的には時効廃止には賛成の立場である。しかし、それには条件がある。それは先に述べた捜査資金の問題をクリアすることと、警察の捜査の進捗状況などをある程度は透明化するという条件だ。キチンとした捜査が行われているという証拠を被害者の家族だけでなく、税金を納めている一般国民にも開示する必要があるということだ。そういったことは現時点でも、被害者の家族にはある程度は行われているのかもしれないが、時効制度を廃止する(=税金がアップする)というのであれば、今まで以上に捜査状況というものをオープンにする必要があると思う。
 「オープンにすると捜査に支障をきたす」などという詭弁が聞こえてきそうだが、そんな都合のよい言い訳は通用しない。如何に警察といえども、国民の税金で仕事を行っていることに違いはないため、公僕としての責任を果たす義務がある。それができるのであれば、時効の廃止や延長は大いに結構、存分に犯人探しに精を出してもらえばよいと思う。例えば、「自分の退職金を減額してでも捜査を続けたい」と言う熱血刑事がいるのであれば、それも大いに結構だ。テレビドラマに出てくるような正義漢の熱血刑事が現実にもいることを期待したい。

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