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『パレートの法則』に見る日本企業の未来

2010061701 『パレートの法則』という有名な経済法則がある。この法則は別名『80対20の法則』とも呼ばれることがあり、『全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出している』という説だ。分かり易く言うと、20%のものが全体の80%のものを生み出しているという説である。
 「全体の税収の80%は20%の納税者が納めている」や「会社の売上の80%は20%の従業員が生み出している」などが有名だが、ここでは後者について述べてみたいと思う。
 この労働における『パレートの法則』は大抵の企業で当て嵌まるらしいが、特に日本企業の実態を考える上では非常に有効だろうと思う。なぜなら、これまでの日本企業では一部の優秀な従業員が生み出した利益を従業員全員で平等に分け合うという分配制度が罷り通ってきたからだ。
 分かり易いように単純なモデルで説明しよう。100人の従業員がいる会社で1ヶ月間で1億円の売上があったとすると、実際のところは20人の従業員が8000万円の売上を上げているという計算になり、残りの80人の売上は2000万円ということになる。
 これを単純な計算式にしてみると、
 
 8000万円÷20人=400万円
 2000万円÷80人=25万円
 
 ということになり、1人当たりの売上額を計算すると、
 
 400万円÷25万円=16倍
 
 なんと16倍にもなるわけだが、実際のところはこうは単純にはいかない。16倍というのはあくまでも20人の平均値であり、2倍の人もいれば100倍の人もいるかもしれない。しかし、優秀な従業員とそうでない従業員では少なく見積もっても数倍の差が有るということは間違いのないところだろう。
 
 これまでの多くの日本企業では、上記例の1億円から生まれた利益を100人の従業員で平等に分け合ってきた。仮に生まれた利益が3000万円であるならば、1人当たりの月給は30万円ということになる。しかし、完全に一律平等だと、あまりに不公平なので、仕事のできる人には責任ポスト(肩書き)などを与えて、ほんの少しの個人差は設けられてきた。その“ほんの少し”というのは、せいぜい数十%程度であり、数倍以上の仕事量には到底見合わない報酬額だった。
 
 ハッキリと言ってしまえば、これまでの日本企業の悪平等な給料体制は、仕事のできない人には有り難い制度であったのかもしれないが、仕事のできる人には甚だ有難迷惑な制度であったということになる。仕事のできない人が少々、仕事をサボタージュしたところで、仕事のできる人が制度的(自動的)にそのマイナス分を補完してくれるという実に有り難い(?)制度だったわけである。
 
 ところが、21世紀に至って、事情が少し変わってきた。『パレートの法則』自体には変化が無かったが、企業の売上や利益の総量が減少してきたために問題が生じ始めた。100人で1億円の売上が、100人で5000万円の売上になり、加えて、利益も1500万円まで減少したとすればどうなるだろうか? この1500万円を100人で分ければ、1人当たり15万円となってしまうが、平等に分配するにも限度というものがある。利益が減少すればするほど、給料が下がっていくのは止むを得ないとしても、実際に他人の数倍以上の仕事をしている人間の給料まで同じように減給していくには限界がある。給料以上の仕事をしている人間が、いつまで経っても仕事量に見合う給料を手にすることができないのあれば、未来永劫、ただの働き損になってしまう。仕事のできない人間が安月給であるのは容認できても、仕事のできる人間が自分の能力とは裏腹にいつまでも安月給のままでは、いずれ仕事のやる気を失ってしまうことになる。
 しかし、日本企業の場合、それだけでは収まらない。上記のような共産(共貧)主義的な給料体制に加え、更に年功序列制度という、もはや意味不明な給料制度がドッキングされることになる。その制度が加わることによって、“仕事のできない人間にとっては有り難く、仕事のできる人間には有難迷惑な制度”に更に拍車がかかってしまうというわけだ。これはもうほとんど漫画の世界の話である。
 
 市場法則や労働市場というものを完全に無視し続け、それでもなんとかなってきた日本企業の黄金時代(?)は終焉を迎えようとしている、いや、もうとっくに終わっていると言った方が正解かもしれない。高度経済成長時代に築いた夢のような制度は、もはや全てが砂上の楼閣と化し、悉く維持することができないことが誰の目にも明らかになってきた。そのことは実社会で働いている人間であれば誰もが心の片隅で意識していることだろうと思う。そして、多くの日本企業が無意識的に利用してきた労働における『パレートの法則』もその使命を終えようとしている。
 
 『パレートの法則』自体は不変の法則かもしれないが、“8割もの従業員が給料以下の仕事量しかこなせないという制度”を維持し続けることができない時代を迎えたということである。日本企業が現在の窮地を乗り越えるためには、労働における『パレートの法則』を打ち破る必要がある。つまり、他人の傘の下で生きることを良しとする思考(または思想)を捨てなければならないということである。それは企業の従業員全員(公務員も含む)が合理化の精神、または資本主義の精神を身に付けなければ日本企業(日本社会)の明るい未来はないということを意味している。

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