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『若者不幸社会』と『ライブドア事件』

2010072501 先日録画していた『朝まで生テレビ』を今日、観てみた。Gコードで録画予約したため、最後まで観ることができなかった(放送時間がズレたらしい)が、なかなか面白い内容だった。お題の方は『若者不幸社会』、パネリストの方も城 繁幸氏や東 浩紀氏、増田悦佐氏、勝間和代氏など、なかなか興味深いメンバー構成だった。
 今や民放で本音論が聞けるのは『朝まで生テレビ』ぐらいのものだが、その本音論の中にも正論とそうでないものがあるので観ていて面白い。常連のパネラーとして参加している堀 紘一氏などは、一見正論ぶった回答をしているように見える(たまには正論も述べている)が、どこか矛盾しているように思う。
 
 堀氏はベンチャー企業を育成する立場にある人物で上場企業でもあるドリームインキュベータ社の会長も務めているが、数年前はライブドアのホリエモンを批判するなど、矛盾した行動を取っていたことでも有名な人物だ。その件については、司会の田原総一朗氏からもよく冗談で突っ込まれているが、私も当時、観ていて異常な違和感を覚えたことを記憶している。
 私にとっては、当時のライブドア事件は、その事件を論じる論者が本物であるか偽物であるかのリトマス試験紙のような役割を果たした事件であり、当時、ライブドア事件を感情的に批判していたような知識人の書籍は幸か不幸か一切読まなくなった。あの程度の事件の真相(ホリエモンは冤罪だということ)が見抜けないようでは、似非知識人と判断されても仕方がないように思う。ちなみに、堀氏の書籍は元々読んでいない。読まなくなった人物の名をこの場で列挙したいところだが、本人達の名誉のために差し控えておこう。
 
 少し話が脱線してしまったが本題に入ろう。『若者不幸社会』というのは、何のことかというと、『世代間格差社会』のことであり、それが意図的にしろ意図的でないにしろ、若者世代が老年世代から一方的に搾取されているというネズミ講社会のことを意味している。
 「現代の若者は将来に希望を抱けず保守化している」という話はよく聞かれる。一度、人気が衰えかけていた公務員志望者がここ数年で急増しているということもその証左である。寄らば大樹の陰的に大企業への入社を希望する学生も多いらしいが、はっきり言って、これは時代に逆行していると思う。
 これからの時代は、本来であれば、旧態依然とした大企業の時代ではなく、新しい産業を創出していく新興企業の時代であるべきところだが、日本では有力な新興企業がなかなか出てこない。まるで若者の萎えた気力を表すかの如く、かつての起業ブームというものもどこか遠くへ飛んで行ってしまったかのようでもある。そのブームを破壊してしまったのが、先に述べたライブドア事件、より正確に言えば、ホリエモン逮捕事件だと思われる。
 
 当時のホリエモンはまさに飛ぶ鳥を落とす勢いであり、良くも悪くも旧態勢力の前に颯爽と現れた若者世代の英雄的存在だった。その言動があまりにストレートであるため、世間に誤解を与える危険性を孕んでいたとはいえ、日本経済の景気を良くするという意味では、非常に重要なポジションを与えられていた人物だった。
 当時、ホリエモンは「資本主義の象徴」とも言われていたが、彼の場合、マックス・ウェーバーが言うところの資本主義の精神の体現者というよりは、合理主義の精神の体現者だった。欧米のように宗教的(または倫理的)なものが背景にある資本主義者ではなく、あくまでも合理化という意味での資本主義者だった。現代的な経済用語で言えば、生粋のリバタリアンだったと言えるかもしれない。
 
 資本主義についてあまり理解のない日本社会では、「資本主義」と聞けば、条件反射的に「市場原理主義者」だの「拝金主義者」だのと勝手に思い込んでいるふしがあるが、資本主義にもいろいろある。日本的資本主義というのは、働くことは良いことだという精神が元にあるが、欧米のそれは、必ずしもそうではない。もっと倫理的なものが背景にある。
 いずれにしても、ホリエモンは、若者世代の象徴であり、景気回復の象徴でもあった。その象徴を破壊し、日本経済に取り返しのつかない大きなダメージを与えてしまった者達の罪は重いと言わざるを得ない。いつの時代であれ、どこの国であれ、景気の腰を折るのは役人と相場が決まっているが、現代の日本の不況の一因としてライブドア事件が大きく関係していることは間違いないだろう。『若者不幸社会』を必要以上の更なる深みに嵌めてしまったのは、ホリエモンを逮捕し、その逮捕劇の真相を見抜くことのできなかった多くの日本国民自身なのである。

 ホリエモンという存在は、言わば、日本人の前に突き付けられた“踏み絵”だった。それは日本が資本主義社会の入口に立てるかどうかという最初の関門だった。しかし、この国の国民達の多くは、その踏み絵を受け入れようとはせずに、拒否反応を示した。それは、意図的にそう思い込まされたと言えなくもないが、結果的には“自由”よりも“束縛”を良しとしてしまった。この時点から、日本が社会主義に方向転換し、未曾有の不況が到来することは既に運命づけられていたと言っても過言ではないだろう。
 
 経済というのは生き物であり、その巨大な生き物の前では人間の姑息な思惑などは何の役にも立たないし、一切の騙し事も通用しない。愚かな役人が誤った経済政策を選択すれば、その反作用は情け容赦なく全国民に降り掛かることになる。人為的に経済を統制しようなどという思い上がった行動を取れば、必ず災いが齎されることは既に歴史が証明している。
 現在の『若者不幸社会』は、日本社会の制度的な疲弊と矛盾によって齎された結果ではあるが、人為的に経済を動かそうとした(=時代を逆行させようとした)者達が齎した悲劇でもあるということを忘れてはならない。
 

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