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『デフレ教』の信者に成り果てた日本国民

2010073101 遅ればせながら、大前研一氏の最新刊『民の見えざる手』をようやく読み終えた。私の場合、複数の書物を平行して読むことが習慣化しているため、1冊の本を読み終えるのが遅くなってしまう。加えて、積ん読(つんどく)状態の本がどんどん増えており、一向に読む本が減らない。そのため最近は購入する本を厳選するように努めている。言わば、読書における“選択と集中”だ。大前氏の本は私の中では優先順位が高いので、積ん読状態にならずに済んでいる。
 大前氏の本は無駄な部分がほとんど無いことでも有名で、非常に論理的で読み易い。大前氏はIQが高いことでも有名で、かつては IQ216とも言われていた。歴史上最もIQが高かった人物はゲーテだそうだが、そのIQは210程度であったらしい。大前氏のIQが216というのが真実であれば、世界一の頭脳と言ってもいい数値だ。(ちなみにブッシュ政権下にいたライス国務長官のIQは200)
 もっとも、IQが高いからといって人間的に偉いとは限らないし、IQの高い人物が必ずしも人を見る目があるというわけでもない。実際のところ、大前氏の場合も経済情勢を見抜く眼力は超一流だというのは誰もが認めるところだが、人を見る眼力は一流とは思えない。しかし、その天才的な頭脳から導き出される明快な論理で貫かれた書籍は一読の価値はあると思う。
 
 ところで、この本の『民の見えざる手』というタイトルはなかなかナイスなネーミングだと思う。アダム・スミスが唱えた『神の見えざる手』の正体を『民』に結び付け、対抗軸として『官の見える手』という表現を用いているところなどはいかにも大前氏らしい。
 『神の見えざる手』とは、市場法則に委ねれば最適な経済状況が齎されるというものだが、市場法則を歪めているのが人間であるのなら、神の見えざる手は機能しない。向かうべき経済の方向性を決定しているものが神の手であったとしても、実際に経済を動かしているのが人間であるのなら、いくら神の手に縋ってもどうにもならない。まず、民自身がまともにならない限り、経済状況は良くならない(=神の手は機能しない)というわけである。
 
 話は変わるが、鳩山首相の辞任後、高年収者を対象に「民間から内閣に入閣させたい経営者またはビジネスパーソンは誰ですか?」というアンケートをとったところ、1位はソフトバンクの孫 正義氏で2位がユニクロの柳井 正氏、そして3位が大前研一氏であったらしい。このことからも大前氏の人気の高さが窺えるのだが、どの政党も彼を引き抜こうとは考えないようだ。各政党もタレント議員などを擁立するよりも大前氏のような実力を兼ね備えた人物を擁立した方がよっぽど得策だと思えるのだが、どうも日本政府は大前氏が直接的に政治の世界に介入することを拒んでいるように見受けられる。世界的にも評価の高い経営コンサルタントが日本国家の経営に直接的にタッチしていないというのはどう考えても不自然だと思われる。この国の為政者達は本当にこの国を良くしようという気持ちがあるのかどうか疑問に思う時があるが、おそらく海外の有識者達からもそう思われているのではないだろうか。
 
 大前氏はこの本の中で、日本企業の安値競争に警鐘を鳴らしているが、私も現在の日本のデフレは少々行き過ぎではないかと思う。牛丼チェーン店も再三の値下げ競争を強いられているが、企業努力によってコストを下げるにも限界があるということも少しは考えた方がよいのではないかと思える。現在の牛丼1杯250円という安値料金を維持したまま、仮に狂牛病騒ぎのようなものが発生すれば、全店総倒れということにも成り兼ねない。生産者も消費者も安値を追求した挙げ句、環境リスクに対応できず、結果的に牛丼が提供できなくなってしまっては元も子もないだろう。
 この際、いっそのこと、全店一律で牛丼1杯300円に固定して、価格以外の価値(味とサービス)で競争した方がよいのではないかと思うのだが、デフレ思考で頭が凝り固まった人々には何を言っても無駄かもしれない。
 あるいは、「価格を統制するのはカルテルだ」とか「価格を統制するのは社会主義だ」との反論があるかもしれないが、「美味くて人気のある商品は高くなる」という市場法則が機能していないのであれば、安値圏での価格統制は例外的に認めてもよいのではないかと思う。
 
 グローバル経済にデフレ現象は付き物であるにしても、心までがデフレ状態に陥ってしまってはいつまで経ってもデフレ状態から脱することができず、際限の無い安値競争地獄に陥ることになる。そうなると、当然の如く薄利経済となり、経済活動を通じて動くはずのお金の総量が減少し、必要以上にどこまでも景気は悪くなっていく。
 現在の日本では、商品を値切るということが当然のことのようになってしまっている。元々、暴利を貪っているような商品や、過剰な利益が出ているものを値切るのであればさほど問題はないと思われるが、初めからほとんど利益の無いものまで値切るというのは大きな問題だ。日本国民全員が値切ることを当然と考えるようになると、その分、日本の経済規模も小さくなる。個人的には得をした気分になっても、日本全体としてはマイナスになるので、結局、その得をした個人もいずれどこかで損をすることになる。
 
 よくスーパーやコンビニなどで、「自分はお客様だ」と言わんばかりに威張った態度のお客を見かけることがある。「お客様は神様です」というのは三波春夫の言葉だそうだが、それを地でいく神様気取りの傲慢な消費者がいる。
 こういった人物は、いざ自分自身が店員という立場になった場合、一体どんな態度をとるのだろうか? お客(消費者)の立場に立てばサディストになり、店員(生産者)の立場に立てば都合よくマゾヒストになるのだろうか?
 何が言いたいのかというと、“消費者という立場に立つと得をするのが当たり前”という貧しい消費者根性が経済をシュリンクさせる一因になっているということだ。お客は値切って当たり前、店員も値切られて当たり前というSMのような精神状態が更にデフレに拍車をかけているというわけである。
 気前よく値切らずにお金を支払うということを全国民が励行すれば、それだけでデフレ状態は少しは緩和されると思われるのだが、目先の利益しか頭にない人々は、そんな単純なことにも気がつかない。口では偉そうに「格差はいけない」などと宣っている人物に限って、値切ること、つまり“自分のこと”しか考えていない。国民の多くが値切ることよりも、逆にチップをはずむというような気前のよい心境になれば、自ずと景気は上向いていく。しかし、貧しい消費者根性がそれを邪魔している。
 
 お金が無いから心に余裕が無いのか、それとも心に余裕が無いからお金が残らないのか、まるで“鶏が先”か“卵が先”かと同じような問答論だが、現在の日本のデフレ現象には、少なからず、後者(心に余裕が無い)も影響していると考えられる。
 現在の日本国民からは《物は安くなるのが当たり前》という根拠の乏しい思い込みを頑に信じている姿が観て取れる。その姿はまさに『デフレ教』の信者の如くだ。
 「デフレ」というお題目に心までが囚われてしまっている状態、その状態こそが、精神的デフレ社会を齎している。物理的なデフレ現象に更に拍車をかける精神的デフレ現象が必要以上に日本に暗い影を落としている。
 『デフレ教』という国民をどこまでも貧しくする邪悪な思想に染まった洗脳をいい加減に解かなければいけない。「デフレ」「デフレ」と悲観的なお題目を語るマスコミも、いい加減に『デフレ教』の信者を増やすような真似は止めた方がよいかもしれない。
 

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コメント

どの店もバイト店員だらけのくせに、品質を売りにするコピーを使う牛丼屋にウンザリですね。
品質を前面に推しだすのであれば、店員はすべて正社員にして、来客の多い時間帯を働く店員には手当てをつけてやれよっていう。
客の視点から見れば、値段を上げないから、どうしたって(店員の心理状態に影響をうけるサービスを含む)品質が全然上がっていかないじゃん、とムカついてきますね。
たまたま忙しそうな状況の店へ入ったら、バイトが独りで対応してる声が、まるで悲鳴のように聞こえたので、自主的に20分待ってから注文しましたよ(苦笑)。

投稿: クロコダイルPOP | 2010年8月 5日 (木) 01時20分

再び寄らせていただきました。

適正価格と限界価格の問題ですね。
私も、同感する部分もあります。

ディスカウント戦略でシェアを取ってきたソフトバンクやユニクロが素晴らしいと思っているところに、いまの日本の創造性の限界があるのかなとも感じました。
価格とは別の軸の創造性が必要ですね。

あと、デフレ時代、未だに古いインフレ抑制策をやっている日銀も問題ですよね。
いっそひと思いに、インフレターゲットなんて、どうでしょうか(笑) 諸外国ではけっこう上手くいっていると聴いています。
カルテルってのも、インフレ時代遅れの政策かなと思いました。

品質って何?、って問いは難しいですが、

『安い!早い!旨い!』

古いコマーシャルですが、これが、顧客と吉野家の共有している品質特性かなと思います。


それそれ点検すると、

安い!…文句なし

旨い!…値下げ後に食べてないので判断できず。
推測になりますが、味は変わってないから、お客さんは入っているのかなと察します。
なぜなら、いまどき安かろう悪かそうでは、お客さんは食いつかないだろうと思うからです。
(これはソフトバンクやユニクロにも言える)

早い!…バイトの賃金単価を上げでも、デリバリーの速度はおそらく不変。バイトの人数を増やすのが、昼時忙しいバイトさんには、ありがたいかなと思いました。

投稿: はっぴい | 2010年8月 5日 (木) 23時19分

たとえばCoCo壱番屋なんかは、値段を下げなくてもCustomer SatisfactionとEmployee Satisfactionの両立ができてるわけです。
牛丼業界はESに対する意識が弱いんですよ。

投稿: クロコダイルPOP | 2010年8月 6日 (金) 01時43分

クロコダイルPOP様

コメント、有り難うございます。

>品質を前面に推しだすのであれば、店員はすべて正社員にして、

 現在の牛丼屋の従業員を全て正社員にするというのは、現実的には相当難しいだろうと思います。それこそ、全牛丼チェーン店が裏でカルテルでも結ばない限り不可能でしょう。それに全従業員を正社員にすると、牛丼の販売価格は最低でも500円以上にしなければ採算が取れなくなるでしょうから、牛丼自体が売れなくなり、結果的に牛丼屋自体が存在できなくなる可能性もあります。安過ぎても高過ぎても上手くいかないのが難しいところです。

>たとえばCoCo壱番屋なんかは、値段を下げなくてもCustomer SatisfactionとEmployee Satisfactionの両立ができてるわけです。

 これは業界の裏事情にも関係してくるのだろうと思います。確か以前にホリエモンのブログにも書かれていましたが、カレー業界というのは、ある種の独占(寡占)が罷り通っている業界らしいので高値維持が可能なのかもしれません。新規参入が難しい業界ということですね。

投稿: 管理人 | 2010年8月 6日 (金) 23時27分

はっぴい様

コメント、有り難うございます。

>『安い!早い!旨い!』
古いコマーシャルですが、これが、顧客と吉野家の共有している品質特性かなと思います。

 吉野屋は他店よりも100円程高い値段設定をしていただけで客の入りが激減したため、赤字覚悟(?)で値段を下げたようですが、牛丼に関して言えば、「早い」と「旨い」という創造性の部分が正当に評価されておらず、「安い」だけが過剰な判断材料となっているように見えます。“食を楽しむ”というよりも“空腹を満たせればよい”という清貧思想が蔓延しているかのようです。
 安くできるというのも、創造性の結果と言えなくもありませんが、生産者の努力の結果が消費者にのみ還元されているようにも思えます。

投稿: 管理人 | 2010年8月 6日 (金) 23時46分

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