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出版不況にみる価値観の変化

2010070401 ここ数年の出版不況の波はとどまることを知らず、先月は新潮社の週刊漫画雑誌『コミックバンチ』が休刊になるとのニュースが流れた。その後の報道では、あくまでもリニューアルのための休刊であり、廃刊ということではないらしいことが判明したが、コミックバンチの発行部数の減少が影響しているだろうことは想像に難くない。実際に発行部数は創刊当初の70万部から14万部(つまり5分の1)まで減少しているらしい。
 『コミックバンチ』と言えば、かつて一世を風靡した人気漫画『北斗の拳』の続編(番外編)である『蒼天の拳』や、同じく週刊少年ジャンプ出身の人気漫画家、北条 司の作品などが連載されていることでも有名な漫画雑誌だ。そういった大物漫画家を抱えた雑誌ですらもあっさりと休刊になってしまうのだから、現在の出版不況は決して一過性のものではないことが窺える。

 ところで出版不況の原因とは何だろうか? 一般的に考えられている理由を少し列挙してみると、

 1、少子化によって漫画雑誌を読む子供の数が減少している。
 2、不況のため、漫画雑誌を買う人間が減少している。
 3、不況のため、立ち読みで済ます人間が増えている。
 4、デジタル化やコピー技術の進歩によって、回し読みされている。
 5、紙媒体の漫画雑誌に対する興味が薄れている。

 大体、こんなところかもしれないが、個人的には「」の立ち読みが大きく影響しているのではないかと思う。読みたい漫画がその漫画雑誌の中に2、3本しかない場合、書店やコンビニなどで立ち読みする人が増えたのではないかと思う。しかし、読みたい漫画がその漫画雑誌に5本、10本となってくると、立ち読みで済ますのが逆に面倒になるので購入(=部数アップ)に繋がるのかもしれない。読みたい漫画が10本もあれば、コミックスで買うよりも雑誌で買うメリットの方が大きくなると思われるので、部数が伸びる可能性はあるだろう。
 
 かくいう私も学生の頃は少年ジャンプを毎週欠かさず購入していた人間だが、少年ジャンプが漫画雑誌の最大部数を誇っていた当時では、読んでいない学生の方が珍しかったと記憶している。学校の教室で回し読みしている人間も大勢いたぐらいだから、実際の発行部数以上の読者がいたことは間違いない。
 当時でも、続きが読みたいと思える漫画は数本しか無かったが、それでも一応、購入して1冊丸ごと読んでいた。しかし、私の場合、大人になるにつれて、徐々に読みたい漫画のみを読むというスタイルに変化していった。そして現在は漫画雑誌は買っておらず、読みたい漫画(主に青年漫画)があれば単行本(コミックス)が出てから購入するようにしている。そういう人は案外多いのではないかと思う。昔のように漫画というものがまだ希少価値のあるものであった時代は、興味もない漫画も同じように読んでいたが、漫画が氾濫するようになると、読みたい漫画のみを読むようになる。と言うより、無駄な漫画まで読んでいる時間が無いということだ。早い話、漫画においても“情報の選択”が行われているわけである。

 話が少し横道に逸れたが、かつての漫画雑誌は、売れっ子漫画家を数人抱えていれば、残りの不人気漫画家も人気漫画家の蔭に隠れて、ある程度はおいしい思いができた(と想像する)。もちろん、漫画家によって原稿料は違うだろうが、よほど人気が無い漫画でなければ連載を続けていくことが可能な時代だった(と思う)。しかし現在では、かつての人気漫画家でさえも、人気に翳りが出れば即連載打ち切りということがあるらしく、かつてのネームバリューだけでは通用しなくなっているのが現在の漫画業界であるらしい。
 
 私は昔、各漫画雑誌の読みたい漫画だけを自分でセレクトして自分だけのオリジナル漫画雑誌(言わば、オンデマンド雑誌)が買えないものだろうか?と思ったことがある。そんな漫画雑誌なら喜んで買いたいと思ったことがあるが、紙媒体として大量に印刷している漫画雑誌にそんな自由性を求めても実現は到底不可能だった。しかし、現在では、そういった夢のような漫画雑誌が発行可能なところまで来ている。漫画自体をデジタル化することができれば、オンライン雑誌として発行することは可能と言える時代になってしまった。違法コピー問題や著作権の問題から未だ実現されていないとはいえ、充分に実現可能なことだと言える。もっとも、コミックス単位では既にデジタル化がなされており、デジタル書籍として購入できるような漫画も存在しているので、わざわざ雑誌形態まで戻る必要性は無いのかもしれないが…。

 いずれにしても、漫画文化というものは時代とともに大きく様変わりしたことは間違いない。昔と今とでは、漫画を読むことにおける価値観も大きく変化してしまったということなのだろう。昔は、売れる漫画も売れない漫画も同一の雑誌に組み込まれることによって連載漫画家全員がハッピーになるという、ある意味で日本企業のサラリーマン文化そのもののような体制が罷り通っていたわけだが、日本的経営の破綻と時を同じくして、漫画界にも同様の変化の波が訪れたということなのかもしれない。
 一部の人間の才能によって全員の面倒をみるという日本固有の経済システムが立ち行かなくなったということの分かり易いモデルとして現在の漫画雑誌を観察してみると面白い。厳しい言い方になるが、売れっ子漫画家の人気にあやかって、漫画家商売や編集者商売が続けていけるほど甘い世の中ではなくなったということなのだろう。
 一部の売れっ子漫画家も充分な報酬がある時代であれば、そういった互助システムに文句を言う必要はなかったのかもしれないが、自らの報酬すら保証されない厳しい時代となれば、他人の面倒まで構っていられない。そうなると、集団としての利益よりも、個人の才能を武器に利益を上げようと考えるようになるのは必然の結果と言える。売れっ子漫画家であれば、敢えて漫画雑誌というスタイルにこだわらずに、いきなりコミックスとして出版(オンライン出版も含む)した方が儲かると思うかもしれない(立ち読みリスクが減少するため)。そういった時代になれば、ある意味で社会主義的な互恵雑誌の発行部数が減少するのは避けられない。それを避ける手段があるとすれば、全ての連載漫画を人気作品にすることぐらいだろうが、それは現状では不可能に近い相談だ。
 
 同じことは新聞にも言える。新聞を漫画雑誌のように立ち読みするようなセコい人はあまりいないとは思うが、新聞の場合、誰もが読みたい記事は大抵、ネットに無料で掲載されている。ということは、新聞業界は漫画業界以上に深刻な問題を抱えているということになる。
 漫画であれば、雑誌に連載後、コミックスとして売り出せば利益が生まれるし、映画化やゲーム化(パチンコ化)などにメディア展開されれば更に利益が生まれる。しかし、新聞の場合は、余程の人気連載記事でもない限り、書籍化するというような芸当はできない。あくまでもその日の新鮮な記事が売りなわけで、過ぎ去った記事を集めたところで、誰もそんな旧い記事を読もうとは思わない。況して、どの新聞も図ったように同じような記事を載せているような現状では、別の意味で愛想を尽かされるのも時間の問題だろう。

 現在の出版不況というものを考えると、その根底にあるのは“価値観の変化”だと言える。それはインターネット社会の到来によって齎された副産物であるのかもしれないが、日本人を取り巻く社会環境が大きく変化したということの証明でもある。
 その変化とは“大きなものは良いことだ”あるいは“長いものに巻かれることは良いことだ”とする“集団主義”が終焉し、“個人主義”が姿を現して来たことを意味している。しかし、その“個人主義”とは、決して“自分勝手な社会”という意味ではない。“集団としての価値”ではなく、“個人の才能や努力の価値”が認められる社会のことを意味している。
 現代はその価値観の変化の過渡期であるがゆえに、様々なマイナス点が噴出しているかに見えており、そのマイナス点のみを殊更大きく取り上げられているような風潮があるが、この時代の大きな波が過ぎ去った後には死屍累々の…いや、これまで陽の当たらなかった個人の才能や努力が認められるような可能性に満ちあふれた未来社会が広がっているのかもしれない。

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コメント

90年代半ばから漫画雑誌単体はずっと赤字です

その赤字をコミックで回収するというスタイルですね。
なので販売部数を意図的に抑えたIKKIのようなスタイルの漫画雑誌さえ出現する事に成りました。

出版社としても作家としても雑誌は広告、コミックが商品というスタイルなので、雑誌掲載を経由しないことはマイナスでしょうね。

投稿: phh | 2010年12月31日 (金) 04時16分

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