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『最小不幸社会』は『共貧主義社会』

2010071101 先月、日本国中でサッカー人気が加熱し、そのフィーバーぶりを観ていると、なにやら、戦争でも行われているかのような錯覚を覚えた。普段、自国の株価が上がっても喜ばず、逆に下がれば嫉妬心を満足させているような左翼ばりの国民達が、サッカー観戦となると、自国選手がゴールする姿を観て、我が事のように狂喜乱舞する。その光景を観ていると、「左翼」というよりは、むしろ「右翼」に近い国民性が感じられた。元々、日本国民は表面上は左翼を装っているように見えているが、実は潜在的に右翼的な心情も併せ持っているのではないかという気がした。どちらにしても偏った国民性であることは確かなので、あまり褒められたことではないのだが…。

 さて、では、自国の通貨においてはどうだろうか? 最近、世界基軸通貨のドルだけでなく、期待が持たれていたユーロの価値も下がり出したことから、漁父の利的に円の価値が上がり、少し円高に振れていることは周知の通りだ。この状況を観て、国民達はどう思っているのかというと、大部分の国民達は別に何とも思っていない。本来、国の信用価値を示すはずの自国通貨が上がることは喜ぶべきことだと思われるのだが、喜んでいるような人はほとんどいない。
 
 日本という国は自国の通貨(円)の価値が下がることをもって喜ぶという、ある意味で不思議な経済事情を抱えた国である。アメリカなどは、自国の通貨が上がることをもって国民は喜ぶ。では、中国はどうかというと、無論、「世界の工場」を標榜する輸出大国であるため、元安を喜ぶ。その他、タイやベトナムなど、デフレ基調経済によって国力を伸ばしている国々も、(時と場合にもよるが)自国通貨が下がった方が都合が良い(為替差益が得られる)ので、自国の通貨が下がることに対しては無頓着だ。
 日本は先進国であるにも関わらず、未だに輸出産業(製造業)が主体の国家と言われており、円高になると、その輸出産業の利益率が減少するために景気が悪くなるとの見解が大勢を占めている。一口に「輸出産業の利益率が減少する」といっても、製造する部品を逆に輸出相手国から輸入している場合や、円との相対的価値がそれほど違わない国に輸出する場合などはそれほど為替リスクは無いと思われるのだが、ここでは一般的な見解が正しいという前提で話を進めよう。
 
 世界一の金持ち国民を抱えた日本が消費国家ではなく、生産国家であることが、自国通貨の価値が上がっても喜ばない(=円安を喜ぶ)という捻れた社会構造を生み出してしまっているわけだが、これは正しい姿なのだろうか? これから経済が伸びていくブリックス(ブラジル・ロシア・インド・中国)のような国々と、経済が成熟した日本のような国が同じ土俵の上で製造業国家としての覇権を競うというのは、正しい姿と言えるのだろうか? それがもし正しい姿であるとすれば、日本は大変なハンデを背負っていることになる。中国を例にあげても、物価や人件費が一桁(10倍)も違う。通常、ボクシングなどのスポーツであれば、ウエイト(体重)に大きな差があれば、同じリング上では戦えない。それは、ハンデが有り過ぎて、戦う前から勝敗が決まっていると判断されるためだ。しかし、経済活動においては、巨大なハンデは無視されており、物価や人件費にどれだけの開きがあろうとも、同じ土俵の上で戦わなければならない。日本の製造業はこの巨大なハンデのため、なかなか利益を出すことができずに四苦八苦している。日本企業が製造工場を海外に移転し、国内で非正規雇用が常態化しているのは、このハンデを少しでも穴埋めするための苦肉の策であることは言うまでもない。もっとも日本の場合は、正社員の既得権を守るという後ろめたい事情から、経済のグローバル化というものを悪用しているズル賢い企業もあるのだが…。
 
 先程、「日本は消費国家ではない」と述べた。お金が有り余っているにも関わらず、将来的な不安から、なるべくお金を使おうとせず、お金を使う場合であっても、とにかく1円でも安い物を買おうと躍起になっている。世界一の金持ち国民が、世界一セコいのではないか?と思えるくらいに、消費や投資に後ろ向きになっている。
 どこの国でも、お金持ちが中心となって大々的に消費や投資を行ってこそ、その恩恵に与れる庶民が出てくると思われるのだが、世界に対して、その見本を全く見せていないのが日本という国の実体だ。
 『金持ちはお金を使う』というのが世界の常識だが、日本では『金持ちもお金を使わない』というのが常識となってしまっており、後ろ向きな精神的デフレ社会の見本を世界に曝け出してしまっている。そして、そんな国で「消費税を上げる」というのだから、どう転んでも景気が良くなるはずがない。
 
 民主党は参議院選挙前に「消費税を上げる」と述べてしまったことで窮地に立たされているが、消費税を上げる代わりにどうするのか?という明確な指針を述べることができなかったことも失敗だった。世間には、「消費税を上げる」と言えば無条件に反対する人々と、消費税を上げてもよいが、その代わりにどうするのか?という答えに期待している人々も大勢いる。その両者から完全に信用を失ってしまったのが、現在の民主党だと言える。
 加えて民主党は、所得税にも更なる累進課税を適用するなどと述べており、参議院選挙を前にして完全に馬脚をあらわした格好だ。運悪く(運良く?)選挙前に、増税左翼政権であることを国民に印象づけてしまった。
 
 管総理は「最小不幸社会を目指す」などと述べているが、「最小不幸社会」というのは言葉を変えれば「共産主義社会」を意味している。「共産」と聞くと、“共に発展する”という前向きなイメージを持ってしまいがちだが、この人間社会で「共産」と語れば、それはイコール「共貧」を意味していると思って間違いない。
 「最小不幸社会を目指す」というのは正確に翻訳すると、「みんなで貧乏になりましょう」と言っているのと同義語なのだ。「最小不幸社会」=「共貧主義社会」、この万古不易の隠れた経済公式だけは忘れないように肝に銘じておこう。国民に対して全く厳しいことを言わず、甘い言葉だけを囁く政治家には注意が必要だ。
 

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