« 『デフレ教』の信者に成り果てた日本国民 | トップページ | 間違った学歴社会から生まれた官僚の正体 »

国会をレジャーランド化する政治家達

2010080701 先日、先の参議院選挙における民主党の反省会(?)なるものが催されたらしく、その場で菅総理は自身の消費税増税発言がマイナスに響いたと語ったらしい。
 この発言をニュースで観て、違和感を覚えたのは私だけではないだろう。
 菅総理は「参議院選挙前に消費税増税を訴えたことが失敗だった」と言いたいのだろうが、有権者はそんなことだけで民主党を支持しなかったわけではないだろう。仮に参議院選挙後に消費税増税発言を行ったとしても、結局、“消費税を上げる”という党のスタンスに違いはないわけだから、多くの有権者から支持されることはなかっただろう。
 問題は、消費税を上げること以外に税収を増加させる方策を全く示すことができなかったことにある。マイナス案で増税不安を煽るだけで、プラス案を全く提示できなかったことが民主党が支持されなかった理由だろう。それ以前に、マニフェスト詐欺も大きく響いたことは言うまでもない。バラマキの大盤振る舞いを公約しておきながら、結局は財源を確保できず、ただの口約束に過ぎなかった(結果としてはそれで良かったのだが…)ことがバレてしまったのだから、有権者が離れていくのは当然の帰結だとも言える。

 大体、増税することが景気刺激策に繋がるなどということは古今東西、聞いたことがない。増税というものは、どのような形であれ『不景気誘導策』にしか繋がらない。ゆえに増税するためには必ずセットで『景気刺激策』も発表しなければならない。
 喩えて言えば、「給料を減給します」(不景気誘導策)と「物価を下げます」(景気刺激策)をセットにしなければならないということであり、単に「給料を下げます」というジリ貧政策だけでは誰も支持するはずがないということだ。
 要は有権者達から“消費税を上げることしか能が無い政党”だと思われたことが問題なのであり、消費税増税の発表が参議院選挙の「前」であろうと「後」であろうと、ほとんど何の関係もないのだ。民主党が本来、反省すべきは、税収を増加させるための成長戦略を打ち立てることができなかったことであり、この期に及んで、消費税云々などと述べること自体がお門違いなのである。

 菅総理の反省の言から、民主党は消費税10%発言を撤回するという態度を見せており、増税を見送る姿勢をしきりにアピールしているように見えるが、国民もそれほど馬鹿ではない。明確な対案を出してこない限り、支持率が元に戻ることはないだろう。バラマキ賛成派からもバラマキ否定派からもそっぽを向かれてしまえば、得意のポピュリズム政治も意味を為さなくなる。菅総理の消費税発言は、大局を見失った自爆発言だったというのが本質であり、今さら表面上を取り繕っても何の解決にもならないということを知るべきだろう。
 ポピュリズムを悪用しようとして、逆にポピュリズムに足を掬われてしまったというのが、現在の民主党が陥っている状態だ。ヤケクソ(?)で「消費税増税」を前面に打ち出した自民党に負けじと、自らも「消費税増税」が民意だと思い込んでしまったのが運の尽きだった。まさか自民党の策略ではないだろうが、本当の民意を肌で感じ取ることができなかったことが災いしたと言える。

 しかし、相も変わらず繰り返される不毛な政治ショーには、いい加減にウンザリしてしまう。そもそも、政治家の仕事とは“景気を良くすること”であるはずだ。政治家に問われるべき責任とは、政策を実行した後、その政策が成功するか失敗するかであって、選挙の結果などは本来どうでもよいことのはずだ。選挙結果というのは、あくまでも政策を実行する権利を手に入れるためのスタートラインであって、ゴールではない。
 ゆえに、政治家が選挙で当選したからといって嬉々として喜ぶなどという態度は極力見せるべきではない。選挙活動の苦労が実って当選したのが嬉しいという気持ちは理解できるが、それは政治家個人の喜びであって国民の喜びではない。本当に喜ぶのは、政治家としての仕事の結果が出てからの話だ。つまり、政治家個人の喜びではなく、国民を幸せにしたことに対する喜びでなければならないということだ。
 政治家というのは受験生ではない。選挙に当選したのであれば、国の政策運営を任されたということを厳粛に受け止めるのが本来の政治家の姿だ。決して“選挙に当選した”=“政治家として成功した”ではないのだ。“選挙で当選して喜ぶ政治家”というのは“受験に受かって喜んでいる学生”と大して違いはないということである。学生が大学をレジャーランド化しているように、政治家までが国会をレジャーランドにしてもらっては困るのだ。

 以上のことから考えると、菅総理が「消費税発言で失敗した」と言っているのは、「受験でヤマが外れた」と言っている学生とほとんど同じメンタリティー(精神構造)だということが分かる。
 菅総理の言うところの「最小不幸社会」とは、少し穿った見方をすれば「限られた人の最小幸福社会」とも受け取れる。つまり、主役は大部分の国民ではなく、少数の政治家自身になってしまっているとも言えるわけだ。選挙に当選するだけで有頂天になっている政治家達の姿がそのことを如実に物語っているとも言える。
 大部分の国民が主役と思っているのであれば、「最大幸福社会を目指す」と言うのが筋である。「民主」を名乗る政党の党首が 「最小不幸社会を目指す」などと述べること自体が馬鹿げている。菅総理の「最小不幸社会」発言は(民主)党の精神と完全に矛盾しており、それはある意味で「消費税発言」以上の大失言なのである。
 

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« 『デフレ教』の信者に成り果てた日本国民 | トップページ | 間違った学歴社会から生まれた官僚の正体 »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/49081209

この記事へのトラックバック一覧です: 国会をレジャーランド化する政治家達:

« 『デフレ教』の信者に成り果てた日本国民 | トップページ | 間違った学歴社会から生まれた官僚の正体 »