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『円高=悪』というミスマッチ

2010090601 最近の円高の影響からか、世間ではまたもや「日本破綻」という悲観的な言葉が飛び交っている。世間と言うよりも巷のエコノミストの口から「破綻」という言葉がよく聞かれるようになってきた。このままでいくと2020年頃には破綻するという意見が多いようだが、はたして本当に日本は破綻してしまうのだろうか?
 しかしこの「破綻」という言葉は曲者で、日本の何が破綻するのかという前提次第では大きく違ってくる。「日本国家」が破綻するのか、「日本経済」が破綻するのか、「日本国債」が破綻するのか、「日本の金融システム」が破綻するのか、「日本の年金システム」が破綻するのか、その何を基にするかで答えは違ってくる。
 
 最近では“政府の借金”と“国民の借金”を区別する意見もよく聞かれるようになってきた。お役人やマスコミが発表する「国民1人あたりの借金額は…」というのは、実は国民の借金ではなく「国の借金」のことだと述べている評論家も多くなってきた。この意見の言い出しっぺは私の知る限りでは三橋貴明氏だったと思うが、さて、この意見は本当だろうか?
 実はこの意見も、前提を変えることによって違ってくる。政府が国民から借金しているというのは確かにその通りなのだが、その借金したお金を政府が全て無駄遣いしたというのも少しおかしい。
 直接的には政府の借金だとはいえ、その借金の中には間接的に社会福祉などに使用されたお金も多分に含まれている。借金の一部は国民自身のために使用されたお金であることも確かなので、単に「政府の借金」と決め付けるのは少しズルい解釈とも言える。正確には「国民を含んだ国家の借金」とするのが妥当なところだろうと思う。無論、そのお金を貸しているのは国民である。
 
 日本の場合、膨大な財政赤字があるとはいえ、そのお金を借りているのも貸しているのも国民(国家)自身であり国内の範囲で留まっているため、国が直ぐさま経済的に破綻するということはまず有り得ない。最悪、国家の借金を国民がチャラにすれば済むことなので、1から出直すことは理屈の上では可能だ(実質的には不可能だと思うが… )。あくまでも最悪のパターン(債務国家としての破綻)だけは避けて通る術はあるということである。

 国内ではあまり知らされていないそういった隠れた安心感があるため、ドルやユーロから離れた余剰資金(リスクマネー)が日本円買いに向かったわけだ。日本はその他の破綻国家とは違い“債権国家”であることから、破綻リスクの少ない国だと思われているわけである。破綻間近の国の通貨が大量に買われるなどということはまず有り得ない。その有り得ないことが実際に起こっているわけだから、真実は推して知るべきである。
 しかし、同時に日本は世界最後の(非効率な)社会主義国家だと思われていることも確かなので、どこまでも円が買われるということもないのではないかと思う。幸か不幸か、破綻はないが成長もしないとも思われているため、どっち付かずの不安定な経済状態が続くというのが正確な見方ではないかと思う。要するに「ローリスクノーリターン」という日本の銀行そのままの姿が現在の日本の立場だと思えばいい。
 
 また、「円高で日本企業は破綻する」という意見もよく耳にする。確かに急激な円高で一部の輸出企業の業績が悪くなるのは避けられない。しかし、資源に乏しく物価の高い日本は、幸いなことに原材料はほとんどが輸入品で賄われているため、自動的に為替のリスクヘッジも行われていることになる。そのため、円高が絶対的に悪いとは一概には言えない。それに、円高を良しとする企業や、直接的に円高の影響を受けない内需型の企業も数多くあるわけだから、『円高=悪』というような短絡的な決め付け報道をそのまま鵜呑みにしてしまわない方がよいかもしれない。
 
 そもそも自国の通貨が信用され買われている(他に信頼できる国が無いから買われているとも言えるが)のだから、本来であれば喜ぶべきことであるはずだ。それが素直に喜べないのは、日本が《製造業中心の輸出国家》だと国民自身が思い込んでいるからに他ならない。

 しかし、今後の世界情勢が円高を望むのであれば、日本は円安主導ではなく、円高主導の企業体質に変化していかなければならない。それはかつてのようにコストをギリギリまで下げるというような円高に対する対症療法的な変化ではなく、逆に円高をメリットにできる国にチェンジしていかなければならないということである。
 
 円高をメリットにする国とはどんな国だろうか? それはかつてのアメリカのような自国の通貨高を利用した消費国家だろうか? それとも金融に重きを置いた、かつてのイギリスのような金融国家だろうか?
 いずれにしても日本は先進国としての新しい国家モデルを模索しなければならない時期に来ているということだ。製造業中心の輸出国家というのは、現在の中国の姿であり、それはお世辞にも先進国の経済モデルとは言えない。よく言えば、新興国、悪く言えば、発展途上国の経済モデルなのである。日本はいい加減にモラトリアム国家から脱皮し、このミスマッチを解消することを考えなければならない時期に来ているということである。

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「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

確かに、輸出型の産業を支援するための円安論なんてアホじゃないのかって思いますね。
貨幣はあくまでも紙であり、富は労働によって造られる生産物やサービスなのですから。
たとえば、為替介入でドルだとか米国債という紙を買って、「円安になったぞーっ!」なんて言いながら生産物を外国に売りまくっても、富が蓄積されてるのは外国であって日本じゃないじゃんってことなんですよ。
円安になっても日本に蓄積されるのは紙ばっかり(苦笑)。
「紙と言っても債権だから安心」、なんてのもアホです。
日本は他国から取り立てる交渉力の裏付けが何もないのですから。
「債務を履行しなけりゃ資源を売らん」とか、「武力行使もあるよ」というプレッシャーを与えることができないっていうか。

いつまでも新興国モデルではいけないと仰るのも同感です。
先進国とは文字通り、先に進む国であって、新興国がキャッチアップできるモデルを先に設計し、施工しなければ転落していくことになります。

あくまでも勘ですが、江戸時代のような鎖国体制こそ、逆に今の時代における新しいモデルのベースになりうるかもって考えています。
同時に資本主義からの脱却と、共に消費する義務を負う、共消費主義みたいなことになればいいのかな、と。

投稿: クロコダイルPOP | 2010年9月12日 (日) 18時50分

消費大国だったアメリカも、不況で物が売れなく雇用確保のためにもドル安にして輸出で稼ぎたい。ゆえにドル安を容認。ユーロも全く同じで、ヨーロッパ製品を諸外国に買って欲しい。
金融緩和のためお札を刷りまくり、必然的にドル安・ユーロ安。
デフレ解消も兼ねて、日銀は金融緩和(市中に紙幣を出す)をやればいいのですが、頑なにやらないので、円高トレンドはしばらく続くでしょうね。
中国も国内保護のために元高を拒んでいますが、アメリカもますます圧力を高めることでしょう。

ただ、円高に対する報道や論調でやや違和感を感じるのは、日本の輸出依存度は16%で、私たちが思っているような輸出立国ではないことです。
各国の輸出依存度は、
韓国:45%
ドイツ:39.9%
ギリシャ:38.8%
イギリス:17%
アメリカ:8.4%
むしろきついのはお隣の韓国でしょうね。
日本のGDPの6~7割は、消費によりものですから、経済成長にダメージを与えるのは円高よりもむしろ消費増税です。
消費増税を肯定し、円高を悲観視する。このような論調に違和感を感じています。
消費増税に一緒懸命な財務省にとって、空き菅が総理に再選したこと、官僚たちはほくそ笑んでいるかもですね。

債権大国に対して、債権をチャラにするため、債務国が戦争を仕掛けてくることは、あり得る話なので、危機管理を政府には期待したいのですが、中国政府の抗議に屈して、領海侵犯たちをいとも簡単に返す約束をしてしまう いまの内閣はとても心配です。
危機管理能力の甘さを嘲笑うかのように、また今日尖閣諸島に領海侵犯をしてきました。

投稿: きらきら | 2010年9月14日 (火) 17時43分

クロコダイルPOP様

コメント、有り難うございます。

>同時に資本主義からの脱却と、共に消費する義務を負う、共消費主義みたいなことになればいいのかな、と。

 資本主義というものは、基本的には「合理化の精神」のことであるので、そこから脱却するというのは少々無理があると思います。『金融至上主義』というごく限られた意味での金融資本主義からの脱却ならまだ理解できますが、合理化というものまで否定する必要はないと思います。
 共に消費する義務を負うという「共消費主義」という言葉は初めて耳にしましたが、これも実現は限りなく不可能に近いと思えます。なぜならそれは「全体主義」と同じものだからです。たとえそれが理想であったとしても、全ての人間の感情や行動をそう簡単に統制することはできません。
 人間がトンデモなく利口であるか、トンデモなく馬鹿であるなら、経済学などは必要ありません。人間というものが、中途半端な存在であるがゆえに経済学というものが必要なわけであって、理想通りに人間が素直に動いてくれるのであれば経済学などという学問は必要ないわけです。少しでも理想に近い社会を構築するための学問が経済学であって、無理矢理に理想(?)を実現してしまうのが全体主義だと言えます。

投稿: 管理人 | 2010年9月14日 (火) 23時01分

きらきら様

コメント、有り難うございます。

 アメリカがオバマ政権になって消費国家の座から退いたのは世界経済にとっては痛手となってしまったようですね。結果的に生産国家(輸出国家)ばかりになってしまい、自国通貨が上がらないことを望むという日本の専売思考(自虐病)が世界中に伝染してしまったかのようです。「官僚政治からの脱却」と息巻いていた菅総理も完全に官僚の操り人形と化してしまったようですが、彼が潜在的に望んでいる「最小不幸社会」という地獄が現出しないことを願うばかりです。

投稿: 管理人 | 2010年9月14日 (火) 23時04分

>きらきらさん

確かに消費税では財政再建と景気回復の両立は無理ですよね。
納税は社会から国へお金が移転することであり、それは予算の執行によって、ほぼ全額、社会に返ってきます。
今は、というより1960年代くらいから、納めてもいない金額が、予算の執行によって大量に社会へ流れ込んでいるのに不況が長期間続いています。

何故か?

納めた税額以上に国がお金を大量に返してくれたから、国民も企業もことごとく自分らの借金を返してしまったんです。
(1995年に500兆円を超えていた銀行の貸し出し残高は、2005年までに400兆円以下になったことがあり、2009年でも400兆円くらいです。

返したお金は借用書と相殺されて消えてしまいますから、1995年から100兆円が社会からなくなってしまいました。)
逆に国が借金を返そうとすれば、国民や企業は借金してでも納税しないと辻褄が合わないんですよ。

しかし、辻褄を合わせる方法がまったくないわけではありません。

国内に向けて、借金をしてでも買いたくなるような新規需要に繋がる商品を造るってことです。
ほとんどの国民は労働しなきゃ生きていけないし、既存の産業では給料が削減されるだけの仕事しかなく、そんな非効率で怠惰なことをやっていたら、どのみち未来はありませんからね。

>>管理人さん

共消費主義というのは造語です。
物凄く解りにくく言うと、出された料理を残して帰るのか、ちょっとでも無理してでも食べるのか、みたいな話です。

投稿: クロコダイルPOP | 2010年9月16日 (木) 23時55分

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