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漢字の読み書きとリテラシー

2010112301 最近は、クイズ番組の影響からか、漢字検定【漢検】というものが流行っているそうで、毎年250万人もの人が受験するらしい。テレビ局が不況の影響から始めた苦肉の策(?)でもある低予算クイズ番組が引き金となり、アナログ的な漢字の読み書き試験が流行するなどとは誰も予想だにしなかったのではないかと思う。このような現象が起こるところを観ても、未だにテレビにはそれだけの影響力があるという証拠なのだろう。

 テレビを観ていても、漢検に合格できなかったタレントは、合格するまで何度も試験に挑戦するという熱の入れようだ。まるで難しい漢字を書けることが尊敬されるべき現代の物知りの条件であるかのような風潮が観て取れる。クイズ番組にレギュラー出演するために、タレントが漢字を猛勉強するということは至極当然の合理的な行動だと思えるが、果たして一般庶民がタレントと同じように漢字検定に夢中になる必要性があるのかは少々疑問である。
 もちろん、漢字は書けないよりも書けるに越したことはない。趣味としては良いことだと思えるし、何かに挑戦するために努力することは良いことである。しかし、現代のようにパソコンが世間一般に浸透したデジタル情報化社会において、難解な漢字を書けたところで実社会でどれだけ役に立つのかということは、1度、疑ってみた方がよいかもしれない。

 読書が好きな人であれば理解してもらえると思うが、本を読んでいると、文章の前後の文脈から推察して、大抵の漢字は知らず知らずに読むことができるようになる。私も学生時代から本を読んでいた影響からか、漢字の読みについてはある程度は読める方だと思う。以前、麻生前総理が読めないことで話題となった『未曾有』(みぞう)という漢字などは、経済関係の書物などを読んでいれば、「未曾有の不況」や「未曾有の事態」というような使われ方でよく出てくるので、それが読めないということは、おそらく経済書などは全く読んでいなかったのだろうと想像できる。麻生氏は「漢字が読めない総理」として有名となったが、別に特定の漢字が読めないことが問題だったのではなく、経済音痴であることがバレてしまったことが災いしたのかもしれない。
 
 話が少し横道に逸れたので元に戻そう。かつての日本社会では、文字や漢字を書くという能力は社会人としての必須能力として高く評価された。パソコンやワープロが無い時代では、文字は手書きが当たり前だったので、仕事をしていく上では、文字を速く綺麗に正確に書ける(または読める)ことが求められる。そういう時代であれば、難しい漢字が書けるということは実際に役に立つ能力だったわけである。
 しかし、現代のようなコンピューター社会になれば、文字を手書きで書くよりもキーボードから入力する人の方がどんどんと増えていく傾向にある。私もこのブログはもとより、仕事でも手書きで文字を書くということはほとんど無い。特に長文を書く場合は全てキーボード入力であり、手書きで書くのは、住所やサインやメモくらいのものかもしれない。
 そう考えると、これからの時代は、手書きで難しい漢字が書けるという能力は実質的には、それほど重要なことだとは言えなくなる。キーボードから変換すれば、大抵の漢字は入力することができる。変換時にはいくつかの選択肢(例:勤める・努める・務める)があるので、その違いが分かるだけの能力があれば事足りることになる。要は、漢字を書く能力よりも、漢字の意味を理解する能力の方が重宝されるわけだ。意味を理解するには、当然、その漢字を読めなくてはいけないので“読む”という能力は必要だが“書く”という能力は、これからの時代はあまり意味を為さなくなるのではないかと思う。これは認める認めないの問題ではなく、冷静に考えれば、そういう時代に成らざるを得ないということである。私も漢字の読み書き文化を否定するつもりはさらさら無いのだが、現実を直視すれば、そう考えざるを得ないと思う。
 
 確かに現代でも、入社試験の時などは、手書きの履歴書が必要となり、文字を書くのが下手な人は代筆で書いてもらうというようなことも未だにあるようだ。しかし、入社試験には大抵の場合、作文もセットで用意されているので、履歴書と答案用紙を見比べれば、本人の直筆か代筆かは容易に判断できる。それが合否判定に影響するのかどうかは知らないが、現代でも文字や漢字を綺麗に正確に書くという能力は、気付かれないうちに試されている場合もある。
 しかし、本当に将来を見据えた経営者であれば、筆記試験がどうかというようなことよりも、ITリテラシーに重点を置いている場合がほとんどだ。漢字を手書きで書けることよりも、コンピューターで文字を入力できる人の方が重宝される。これはビジネスの社会ではもはや当たり前のことであり、今更、手書きで漢字が書けることに拘るような経営者はほとんどいないはずだ。そんな経営者であれば、既に経営者として失格の烙印を押された後だろう。
 
 これからの時代は“難しい漢字が書ける”という能力は、生きていく上ではそれほど役に立たない雑学的な意味での特技となっていくはずだ。ゆえにクイズ番組で雑学を競うのは問題ないが、一般庶民までが難しい漢字を書く努力をする必要性はあまり感じられない。無論、雑学として学習するのは個人の勝手なので否定はしないが、そのスキルが社会に出てから役に立つことはほとんど無いという現実を受け入れる必要はあると思う。
 
 かつては算盤(そろばん)検定【珠算検定】というものも流行ったことがあるが、算盤の場合は、算盤を覚えることによって“暗算ができるようになる”という副次的な効果があった。算盤自体を使えるスキルは現代ではほとんど役に立たないが、その副次的に得たスキルは現代でも有効に機能している。では、漢字検定には、そういった副次的なメリットは有るか?というと、無いとは言えないが、漢字のクイズ番組を観て優越感に浸るか、本をスラスラ読めるようになる程度のものかもしれない。それなら、ただひたすらに漢字を覚えるよりも、楽しみながら本を読んで漢字を覚えた方が効率が良いのではないかと思う。本を読めば、漢字は読めるようになるし、社会に出てから役に立つ知識も同時に得ることができる。本を読むだけでは、漢字を書くスキルはあまり身に付かないが、先にも述べた通り、これからの時代に求められるのは、漢字を書くスキルではなく、漢字を読むスキルと理解するスキルである。そして、読書には“漢字の意味(物事の意味)を理解できるようになる”という副次的な効果がある。
 
 「ある分野の事象を理解・整理し、活用する能力」のことを現代では「リテラシー」と呼ぶが、一般庶民がそのリテラシーを得るためには、漢字の読み書きよりも、読書の方が有効だろうと思う。そういう意味では、漢字検定に費やすエネルギーを読書に当てることをオススメしたい。

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