« いじめによる自殺を無くす唯一の方法 | トップページ | 『窒息事故』と『飛び出し事故』の類似性 »

いじめっ子を野放しにする社会の構図

2010111001 群馬県桐生市の市立小学校で起きた生徒の自殺事件は、大方の予想通り「いじめはあった」ということが判明した。前回の記事で、この事件と絡めて生徒のいじめ問題について述べたばかりだが、今回は、いじめ問題の報道のあり方について少し述べておきたいと思う。

 現在のテレビ報道などを観ていると、いじめ問題で追及されているのは、学校の代表責任者である校長になっている。いじめによる自殺が明るみに出ると、マスコミに責められ、罪人の如くフラッシュを浴びせられるのは校長先生と相場が決まっており、毎度、お馴染みの謝罪シーンをテレビで拝むことになる。

 しかし、よくよく考えると、これは少しおかしくないだろうか? 今回の事件の場合は、学校側がいじめを隠蔽しようとしたことも問題となっているので、校長が責められるのは仕方がないにしても、本来、いじめによる自殺事件が発生した場合、最も責められるべきは、校長ではなく、いじめを行っていた加害者であるはずだ。
 「未成年」だから非難されずに済むというような都合のよい理屈は本来であれば通用しないはずであり、少なくとも、他人を自殺に追い込むなどという嫌がらせを行っていた人間は、その年齢に関係なく、厳しく責められるべきである。それが本来の教育指導だと思われるのだが、現代の日本では、なぜか非難の矛先が学校に向けられる。こういう歪んだ風潮が、学校側がいじめを認めないという悪循環を作り出し、その陰に隠れた生徒によるいじめ問題はどんどんとエスカレートしていくことになる。
 
 私が思うに、先生を責めるのであれば、加害者の親の方を責める方がまだ理に適っているのではないかと思う。いじめをする生徒というのは、大抵は家庭(親)に問題があるというのはよく聞かれる話である。全員が全員そうとは言えないだろうが、親の教育(親の出来不出来)によって子供が捻くれるというのはよくあるケースである。例えば、家庭で愚痴や他人の悪口ばかり言っている親や、嫉妬心丸出しで他人を蹴落とすことを陰で礼賛しているような親の姿を観て育った子供は、そういった親に似てしまう傾向がある。よく言われるように「子供は親の背中を見て育つ」というやつで、物事の善し悪し(いじめは恥ずべきことだということ)を教えることができない精神年齢の低い子供のような親が増えていることも、いじめが増加している大きな理由となっていることは間違いないところだろう。

 以前にも、給食を早食い競争していた生徒が窒息死するという痛ましい事件があったが、その時も責められていたのは、学校側であり、生徒でも生徒の親でもなかった。
 生徒の素行問題の全てが学校や先生の管理能力に責任があるという不可思議な風潮に警鐘を鳴らすつもりで以前にも批判記事を書いたことがある【該当記事→『パンの早食い』から『ゆとり食事』へ(?)】が、これと同じ現象が、いじめ問題でも起こっている。
 
 とにかく、いじめが有ると、学校側が全て悪いというようなマスコミの論調は、どう考えてもおかしいと思う。こういう発想が出てくる背景には、生徒を“モノ”として扱っているという思想が透けて見えてくるのは私だけだろうか?
 
 子供(生徒)に問題が発生したことに対してクレームをつける親(マスコミ)の姿は、どこか、不良品を掴まされた消費者と似ているような気がする。車や電機製品であれば、自分で製造したわけではないので、不良品を掴まされた場合、製造したメーカーに責任を問う(文句を言う)のは通常の人間心理だと言えるだろう。しかし、自分の子供が不良になった場合、学校に責任を問う(文句を言う)のでは筋が通らない。本来、親が行うべき子供の教育を学校に丸投げした挙げ句、「学校の教育が悪いために、子供がいじめっ子に育ってしまった」などと言うのは筋違いもいいところである。

 自分の子供が不良となって、他人をいじめて自殺に追い込んだのであれば、誰が悪いのか? 誰に文句を言うべきなのか? その生徒を生み出したメーカーとは、学校なのか、それとも親なのか? その答えがどういうわけか「学校」になってしまっているのが現代の日本である。これはもう常識自体が間違っていると言わざるを得ないと思う。生徒を作り出したのは、学校ではなく、親の方である。つまり、クレームをつけるべきメ−カーとは、先生ではなく親の方なのだ。
 いじめ問題における悪人の序列は以下のようになると考えるべきである。
 
  いじめっ子 > いじめっ子の親 > 担任教師 > 校長先生
 
 先にも述べたが、いじめ問題が発生した場合、マスコミから責められるのは、いつも後者の2者(担任教師と校長先生)になっている。しかし本来、責められるべきは前者の2者(いじめっ子と いじめっ子の親)である。このように批判するべき対象がズレているわけだから、いじめが減少するはずもなく、いじめ問題が改善しないのは必然の結果だと言える。逆に、いじめっ子やその親を責めるというまともな社会であれば、必然的にいじめも減少していくものだと思われる。要は、未成年だという理由で犯罪者を野放しにするような社会になってしまっていることが問題なのである。
 
 「いじめっ子にも将来がある」と言う人がいるかもしれないが、いじめられて自殺した生徒の将来はどうなるのか? たとえ子供であろうと、他人の人生を奪った人間に自分の将来など語る資格はない。と言うよりも、いじめっ子の将来のためにこそ、自分の犯した罪に対して反省を迫るべきだろう。
 そもそも、いじめという行動は、単なる出来心で発生するものではない。万引きなどの軽犯罪であれば、いかに不良であったとしても、“出来心だった”ということで見逃すことがあってもよいと思うが、いじめというものは明らかな確信犯であり、決して出来心で発生するような事件ではない。そういう意味では、悪質な重犯罪である。

 今回のような問題が発生するのは、《子供の教育の全てを学校で行うべきだ》というような誤った思想がその背景にある。モンスターペアレントのようなクレーマーのような親が増えているのも『子供の教育は親が行うべきだ』という正しい思想が失われた社会であることの証明でもある。
 子供(生徒)を、車や電気製品などの“モノ”としてしか見ることができない社会が、こういった悪弊を齎していると考えれば、自ずと解決法は見つかるはずである。

 今日も文部科学省が「いじめ問題が生じた場合、隠さずに家庭・地域と連携するよう求める通知」を行ったそうだが、「隠さずに」というのは、いじめっ子の親に対してなのか、それともいじめられっ子の親に対してなのか、よく分からない。どちらにせよ、こういった対症療法的な小手先の改善策では、いじめ問題はほとんど改善しないのではないかと思われる。

にほんブログ村 経済ブログへ

|

« いじめによる自殺を無くす唯一の方法 | トップページ | 『窒息事故』と『飛び出し事故』の類似性 »

教育問題」カテゴリの記事

コメント

いじめ=学校の責任はマスコミの都合でしょう。

マスコミが親を攻めるといじめた子供が特定され、未成年者情報をマスコミが漏洩したことになるから。

誰しもいじめ問題で学校の先生が頭を下げることに違和感を持ってるでしょうね。先生が嫌いな元生徒は便乗して先生を攻めるでしょうが、根本的にいじめ=学校の責任とは考えないでしょう。

投稿: hash | 2010年11月17日 (水) 19時35分

hash様

コメント、有り難うございます。

>マスコミが親を攻めるといじめた子供が特定され、未成年者情報をマスコミが漏洩したことになるから。

 マスコミがそのような姑息の手段を講じなければいけないような歪んだ社会になってしまっていることが問題だということですね。

投稿: 管理人 | 2010年11月18日 (木) 21時06分

いまのいじめ中には、高額な恐喝や悪質な暴行など、大人であれば、間違いなく犯罪になるようなものも少なくないです。
単なるおぶざけから、大人なら凶悪犯罪にあたるものが、『いじめ』の名のもとに総花的にひと括りになっている。多数の先生は親身になってくれすが、なかには解決がなされないまま放置され、誰にも相談できないまま、自分を追い詰め不登校になったり、最悪の場面自らの命を断つ。
いま日本にはニートが13万人近くおり、その大半がいじめを受けています。日本の自殺者は年間3万人。うち小中学生は数百人と言われています。つまり年間ひとつの学校がなくなっている計算になります。
数百人の自殺者のうち、報道されているのは、たった何件かです。私はまだまだ氷山の一角に過ぎず、泣き寝入りしている保護者がまだまだ多数いると推察します。死なないと明るみに出ないのか。むしろその消極的な報道姿勢も問題ではなかろうか、と感じました。
さてさて、学校には、『安全配慮義務』があります。修学旅行で危険な場所で泳がないよう、指導したり教員を配置したりするのが、それにあたります。いじめも学校生活のなかで起こりえるリスクであり、安全配慮義務の対象になります。裁判の判例をみても、いじめ自殺に対して安全配慮義務違反を認定する判例が出ています。
要は、学校や校長にも責任はあるのです。
PLにならないように品質保証というリスクマネジメントがあるように、いじめに対してもリスクマネジメントプログラムは組めるはずです。
いじめ加害者が、一番悪いと思います。いじめは出席停止を含めた毅然とした対応が大切です。

投稿: ぶりじすとん | 2010年11月22日 (月) 22時42分

ぶりじすとん様

コメント、有り難うございます。

>いじめは出席停止を含めた毅然とした対応が大切です。

 いじめを行うような人間でも簡単に排除することができないのが、公立学校の難儀なところでもあります。私立であれば、問題を起こすような生徒は「学校に損害を与える可能性がある」という理由で退学や停学処分にできますが、公立の場合は、そう簡単にはいきません。私立の場合、変な噂がたつと学校経営自体に悪影響を及ぼします(例えば、入学希望者が激減するなど)ので、事前に問題児を取り除こうという合理的な判断が為されます。しかし、公立の場合は、問題児であろうが、いじめがあろうが、変な噂がたとうが、学校経営にほとんど影響がありませんし、仮にあったとしても合理的な措置が取られないために、いじめ問題が深刻化してしまうわけです。

投稿: 管理人 | 2010年11月22日 (月) 23時14分

いじめによる自殺と思われるニュースを見るたびに、せっかく自らの命を絶つのだから、いじめた奴が一番×んでほしくない場所で×ねばいいのに、ということを考えちゃいます。
たとえば、日曜日、いじめた奴の家の前で待ち伏せし、そいつの親が×××を発進させたところに×××むとか。

※良い子は人を恨まないようにしましょう。

投稿: クロコダイルPOP | 2010年11月28日 (日) 01時44分

この件に関しては別に加害者側がそこまで悪いとは思いません。
無視や面と向かっての罵倒は違法ではありませんし、職場でも普通にあることです。
暴力や恐喝といった犯罪行為はき全とした態度で罰するべきですが、こうした感情を出す好意まで、というのは違和感を感じます。

投稿: phh | 2010年12月31日 (金) 04時05分

コメント、有り難うございます。

 “無視や面と向かっての罵倒”というのがイジメに当たるかどうか分からないというのはその通りですが、私はそんな限られたケースを取り出して述べているわけではありません。よく読んで頂ければ解ると思いますが…。

投稿: 管理人 | 2010年12月31日 (金) 19時44分

いじめの現状を色々みていますが、集団がよってたかって一人の子供を意図的に無視したり、罵倒したりしたらイジメに当たります。
多くの現代のいじめは、ハブからはじまします。ハブって言葉をご存知ですか。省くという意味で、不特定多数の子供が特定一人の一人の子供を意図的に無視することを言います。「あいつハブしようぜ」って、という使い方をします。
暴力を加わることをボコすといい、ハブやボコした結果、不登校に追い込むことを「落とす」といいます。(「あいつ、ついに落ちたかあ」、という使い方をします)
信じられない世界と思われますが、現状のいじめでは、こんな光景が少なくないことを、大人たちはもっと知らないといけません。

投稿: ぶりじすとん | 2011年1月 7日 (金) 01時20分

いじめの加害者や保護者を非難するのはもちろん大事なことですが、いまの警察・検察・マスコミの体制では更生をうながすよりも市民感情をバックにした報復的なものになりかねないとおもいます。

警察の記者会見をオープン化して教育の専門家もいじめ事件を取材しやすい体制をつくるべきではないでしょうか。

投稿: Piichan | 2011年1月 8日 (土) 14時37分

Piichan様

コメント、有り難うございます。

>いまの警察・検察・マスコミの体制では更生をうながすよりも市民感情をバックにした報復的なものになりかねないとおもいます。

 マスコミが絡むと結局は両極端な対応になってしまうということですか…。しかし同じ両極端であっても、そちら(報復的なもの)の方がまだましな気もします。
 いじめっ子を責めるという風潮が出来上がれば、少なくとも現在よりはイジメは減少するでしょうから…。

投稿: 管理人 | 2011年1月 8日 (土) 23時32分

>しかし同じ両極端であっても、そちら(報復的なもの)の方がまだましな気もします。
>いじめっ子を責めるという風潮が出来上がれば、少なくとも現在よりはイジメは減少するでしょうから…。

必要なのは「罪をにくんで人をにくまず」という姿勢だとおもいます。

投稿: Piichan | 2011年1月 9日 (日) 02時28分

学校全体で考えていかなければならない問題ですが、担任の先生がもっと生徒に目を向け虐めを受けていないかを悟り、話しやすい環境をつくってあげる事が一番の解決策なのでないかと私は思います。家庭より学校にいる時間のが長いという事や友達関係なども含めて観察し、転校生なら尚更注意をしみていく必要があるべきなのではと思います。昔のように少子化ということもあり、目配り出来ない環境ではないかと思いますし、虐めは早めの対処がかけがえのない命を救う方法なのではないでしょうか?勿論、親も一緒に考えていくべき課題だとも思います。私の娘や息子も川崎からの転校生で埼玉県西原小学校の五年と六年生なのですが、不登校を繰り返すようになり、六年二組の娘は、以前五年二組で同じクラスだったのですが、クラス替えをし別になったのに関わらず、一組の女子2人に掃除中など、コソコソと娘の方を見てヒソヒソと悪口を言われているとの事で、未だに嫌がらせを受けています。結局、虐めをする子供は親の前や、先生の前で嘘をついたり、よい子でいるようです。嘘をつかれた相手方がどれだけ傷ついているかなんて考えもしないでしょう。私や先生含めて注意をしたのですが、わかってもらえなかったようで残念でした。私も嘘を子供につかれ悔しいですがここで本当の事を話す事が出来、良かったと思います。最近、小学生の間でミニスカートや色気風のファッションが流行ってるとの事ですが、今は変な男子がいるので家はやらないようにしているのですが、やはり同じミニスカートにしない事も虐めの対象にもなるのか心配ですが、、、。

投稿: 匿名 | 2011年4月17日 (日) 14時51分

匿名様

具体的なご意見、有り難うございます。

>担任の先生がもっと生徒に目を向け虐めを受けていないかを悟り、話しやすい環境をつくってあげる事が一番の解決策なのでないかと私は思います。

 担任の先生が親身になって、全ての生徒の管理を行ってくれればそれに越したことはありませんが、実際のところは、先生に全ての責任を負わせるというのは無理があると思います。先生も刑務所の看守のように四六時中、生徒を監視するわけにはいきませんし、イジメというものは誰も見ていない閉鎖された空間で行われるものですから、それこそ、学校のいたる所に監視カメラと盗聴マイクでも仕掛けない限り、完璧なイジメの監視は出来ません。
 それにイジメを取り締まるというのは、イジメが発生した後の対症療法に過ぎません。本来、重要なのは、イジメを完全に取り締まる社会ではなく、イジメが全く発生しない社会(教育環境)を作ることです。そのためには、先生だけでなく親からの家庭教育も重要だと思いますが、世の中には子供の教育が出来ない親もいますので、なかなか難しいところです。

>やはり同じミニスカートにしない事も虐めの対象にもなるのか心配ですが、、、。

 個人の個性を認めない悪平等教育の悪弊ですね。そんな余計な心配をしなくてもいいような、まともな教育環境であればいいのですが、現在の悪平等教育では、それを解決するのは並大抵のことではありません。

投稿: 管理人 | 2011年4月17日 (日) 23時29分

加害者のみが悪いわけではないと記載されていましたが、被害者のご両親が自分の子が全く悪くないわけではないと十分承知しながらこの事件が起きていたのかもしれませんし、被害者のご両親が全て加害者が悪いと、決め付けていたかなどの詳しい情報記載までは書かないと思います。弁護士はお金を支払えば世間の中での風潮での、良い人、悪い方の弁護にも付きます。勿論、決めるのは法律上で決められている方のみの裁判官ですから、人間が人間を裁く事には変わりありません。決め付けてしまえばそこまでで、犯罪者に対して人権はなくとも守る法律があり、犯罪者を野放しにしてしまう事も同様、危険行為なのではないのと同時に、いつ加害者も、被害者もこの先にお互いに憎しみを抱き犯罪に染まる可能性もあるわけです。加害者が被害者を学校に行かせないようにしむけたり、暴行したりという事をしている限りは、法律に関わらない程度な中途半端な弱者なんだと思います。陰険弱者、と言っても過言ではなく、自分よりも強いもの、自分の両親、先生、親友には賢くいい子で振る舞い、大人がいなるなる時を見計らいと感じでしょうか、、、。
加害者になりよく、耳にする言葉が親から目線での発言で家の子供はそんな子じゃありません、加害者になっても、勝手に引きこもる自殺する被害者が悪いと攻め立てたりなどもする話をニュースや新聞で聞いた事もあります。学校側にも問題ありで、生徒を預かるならば、きちんと把握し解決すべきで、出来ないのならば無理に行かせる必要性はない、なぜなら学校は義務教育だが、法律で絶対に行かなくてはいけないわけではないからです、第一に、先生が生徒に対し、しつけで罰が下せない、弱い立場の現状を虐待とか言いがかりなんぞ出す保護者がいたせいもあるのでは。先生の立場の中で、組織で決められたマニュアル勉強教育でしか今は教えていくに過ぎないので、精神的な部分での発達は期待出来ないのではないかと思います。虐めは陰険なんだとの認識が大人の社会でない限り、この先も、大人であれ子供であれ自殺者が絶えないだろう。

投稿: 匿名 | 2011年10月 2日 (日) 11時23分

こんにちは。記事よませていただきました。
私も昔から、なぜいじめの加害者をもっと厳罰に罰しないのか疑問に思っておりました。
テレビ報道では被害者の生徒はよく公開されますが、肝心の加害者は非公開で、どのような罰が下されたかも分かりません。
ふつう一般人が外でこのようなことを行えば、暴行罪・傷害罪・恐喝罪にあたり、すぐに逮捕されるのになぜ校内だとそれができないのでしょうか? 
私が思うにいじめがまったくなくならないのは、加害者への制裁がないからだと思います。
ふつう一般人が外で犯罪を犯せば、罪の度合いにより収監されます。ですからふつうの人は好んで犯罪などはしません。 つまり悪行に対して、法や制裁があるからあるていど制御できているのです。 
しかしいじめの加害者で未成年はお咎めをうけないので、やりたいほうだい。これでは被害者は納得しないし、倫理的にもおかしいと思います。
ですからいじめを抑制するには、いじめは犯罪として扱い、暴行や陰湿ないじめは刑事罰にすればいいのです。 加害者も警察に逮捕され連行され取調べを受ければいじめが犯罪という認識が芽生えるでしょう。
そうです。いじめは犯罪なのです。
しかしこの意識がないためいつまでもいじめが無くならない。ですから学校もあらかじめいじめに対しては厳しいルールを設ければいいのです。
例えば、悪質ないじめをした者は停学又は退学。
暴力でけがをさせた場合は退学、及び警察へ通報。
とにかくもっと警察の介入が必要です。 
あらかじめ厳しいルールを作ることによって、いじめもある程度制御されると思います。
私が校長ならこのような厳しいルールを作り、警察と連携します。
中には学校のいじめで警察介入は大げさだと思う方もいるかもしれませんが、ここまでしないといじめはなくならいと思いますし、被害者の自殺防止には必要だと思います。
それに警察に逮捕されるのが嫌なら初めから悪いことをするなと言いたいです。

投稿: | 2013年5月24日 (金) 09時41分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/199859/49992292

この記事へのトラックバック一覧です: いじめっ子を野放しにする社会の構図:

« いじめによる自殺を無くす唯一の方法 | トップページ | 『窒息事故』と『飛び出し事故』の類似性 »