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慈善活動と資本主義の精神

2010121101 米国大手SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)企業であるFacebookの創業者マーク・ザッカーバーグが資産の大半を寄付することが明らかになった。
 この発表は、ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットなどが始めた社会貢献活動である『Giving Pledge』(誓約という意)への参加表明を行ったことを意味している。『Giving Pledge』に参加する者は、【生前または死後に自身の資産の半分以上を寄付しなければならない】という誓約を交わすことになる。
 
 日本では、《アメリカは過剰な市場原理国家であり、弱肉強食の競争社会》というような否定的なイメージを刷り込まれた人が多く見られるが、なぜ、そういった国で資産の大半を寄付するような慈善活動が行われているのだろうか? 逆に、市場原理を否定し「和を以って貴しと為す」と言われている日本では、なぜこのような社会活動が行われていないのだろうか? この一事を観て、両国におけるイメージと実態が逆さまになっていると思えるのは私だけだろうか?
(注記:本来、市場原理には善も悪もないが、ここでは話の都合上、善悪に区別している)
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 日本では、こういった慈善活動を観て「偽善だ」「売名行為だ」と言う人は多い。しかし、仮に売名行為だったとしても、何千億円、何兆円という多額の資産を寄付する人が現れる社会と、売名行為を否定し小銭を寄付する人しか現れない社会のどちらが住み良い社会と言えるのだろうか? 成功者が自主的に築いた資産を分け与える社会と、金持ちから無理矢理に資産(税金)を奪い取って平等を目指す社会のどちらがまともな社会と言えるだろうか?
 
 アメリカは資本主義が根付いた国であるが、資本主義社会とは、単にお金儲けが全てというような社会のことではない。それはあくまでも表面的な認識に過ぎない。
 本来、宗教的な倫理観が根付いた欧米では、日本以上に“(私欲を追求する)お金儲けは悪”というような罪悪感を根底に抱えている。そのため、寄付という行為自体が、一種の贖罪行為になっているという向きもある。単なるお金儲けは疾しいことだが、お金儲けを通じて他人を救うことができれば、お金儲けが絶対的な善となる。それが隣人愛を説いたイエスの教えに忠実な人々の贖罪行為に繋がるわけだ。この思想こそが、アメリカの資本主義の精神であり、アメリカが経済的に発展できた理由でもある。
 彼らにとって、お金儲けは他人を救う手段であり、そう思い込むことによって、お金を愛するという思想が自然と身に付いてしまっているわけだ。日本のようにお金儲けを憎む嫉妬深い人がいるのは、お金儲け以外に求めるべきもの(目的)が無いせいだろう。
 
 そう考えると、倫理観の乏しい日本の方こそ、お金儲けが全てになっていると言えなくもない。倫理観が有るということは、“お金以上に価値の有るものを認識している”ということを意味するからだ。なんにせよ、日本はアメリカよりも、悪い意味でお金に執着している人が多いということだけは間違いのないところだろう。
 
 アメリカと日本の違いを一言で述べると以下のようになる。
 
(アメリカ)
 隣人愛の実践が目的であるので、お金儲けは悪くない。
 =お金は善である。

 
(日本)
 目的自体が無いので、お金儲けに狂奔するしかない。
 =お金は悪である。

 
 日本の場合、ビル・ゲイツのようなスケールの大きな成功者というものが全く出てくる気配がない。いや、出てくる気配は有るが、成功者になる前に、出る杭は打たれることが当然というような足の引っ張り合い社会になっているため、多額の資産を寄付するような人が現れようがないとも言える。
 仮に「多額の資産を寄付します」というような人が現れたとしても、「偽善だ」「売名行為だ」と罵る嫉妬深い人々が邪魔をして、寄付したくてもできないという悪循環社会になってしまっている。
 善意で寄付する者が「偽善者」という扱いをされるリスクが有るのでは誰も目立った寄付などはしないというのは当たり前の理屈である。そして今度は逆に、寄付しないことが「守銭奴」として批判されるという悪循環を生むことになる。まさに精神的ジリ貧社会である。
 
 一応、擁護しておくと、日本にも『勤勉の精神』というものがある。「働くのは良いことだ」とする思想こそが、日本版の資本主義の精神だと言える。日本が経済的に(一時的にでも)発展することができた理由も、その精神が存在したからだ。それが、マックス・ウェーバーの説いた「高度な倫理観なくして経済が発展することはない(=資本主義国家は誕生しない)」という意味である。
 日本が衰退の危機に扮しているのも、勤勉の精神を忘却し、他人(お上)任せの社会主義国家に傾倒していることが大きな理由の1つだ。
 「倫理観なくして経済が継続的に発展することはない」 それが万古不易の経済原理である。働くこと、富を生むこと、お金を儲けることが経済の発展に繋がるという理屈は、よく考えれば誰にでも解るはずである。逆に、働くのは嫌だ、富を生む必要は無い、お金儲けは悪いことだというような考えが根底にあれば、そんな国が発展するはずもない。これも至極当然の理屈である。
 
 倫理観が無いという意味では、日本よりも中国の方が更に酷いだろうから、現在の中国経済の発展もどこまで継続するかは非常に疑わしいと言える。中国は“資本主義の精神なき発展というものは続かない”ということをいずれ知ることになるはずである。

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コメント

ホリエモンなんか、もしかしたら財産を寄付していたかもしれないなぁ。あんなことにならないければ…

若くして成功したから、彼は嫉妬を一身に受けてしまったんだと思うよ。

投稿: azogh | 2010年12月23日 (木) 16時15分

azogh様

コメント、有り難うございます。

 私もそう思います。ホリエモンの場合、悪い意味での欲望は持っていないようなので、寄付に値する社会的な意味での大きな貢献を為したであろうと思います。いや、今後、挽回して実際にそうなってもらいたいと思っています。

投稿: 管理人 | 2010年12月23日 (木) 17時42分


とりあえず言えることは資本主義も適正な環境で運用されているからこそ社会発展に寄与する。金融犯罪紛いのことがまかり通るなら、それは評価されない。

米国はデリバティブズでローンの仕組みが破綻している。
これは行き過ぎた経済活動の典型のようなもので、同じ事はエンロンの時にもあったし散々議論されたはず。

国内の年金組合が出資したハイリスクハイリターンの金融商品は、裁判の高額な賠償金を根拠にしたもので、勝った場合の賠償金から払い戻される金融商品だった。調べて見てください。
司法を無視したかのような金融商品が適正なのかどうか考えて見てください。

一般的にアジア社会では金融に関するネガティブなイメージがあるが、それは世のマトモに見える人は詐欺師くらいだ、という中国の諺にも現れているくらい、詐欺師が金を扱っていたということだろう。
だから日本の発展には間接金融が関係してるし、中国の統制経済だって、言ってみれば間接金融
のようなものだ。

投資家を欺く連中がいる限り、安易に考えるべきではないし、慈善どころの話ではない。
中国の投資家のほうがよほどマシという笑えない話にもなる。

金融犯罪を取り締まる事が軽く思われているなら市場の信用は無い。投資家の信頼を得られるような環境整備があってこそ直接金融は社会発展に寄与するでしょう。
日本ではマネーロンダリング法ですら米国から言われて対応してる位でしょ。


投稿: anonymous | 2011年1月 2日 (日) 16時15分

皆様助けて下さい。聞いて下さい西東京市ひばりが丘に蔵八と言う定食店が社長が脱税ですべての債務を従業員に押し付け逃げたあとに(詳細は石崎誠治検索で詳しく説明しています)従業員が困り果て従業員が自分達の店を作るのに資金が足りないので今寄付カンパをお願いしています。いくらでも構いません寄付カンパをお願いします。三井住友銀行ひばりが丘支店普通6772863
石崎誠治
080-6535-8341
大不況の日本で思いもかけない仕打ちに困窮して困っていますので藁をすがる思いで寄付カンパをお願いしています。私はブログは得意ではありませんブログの得意の方がいましたらどうかお力添えを頂きたくお願いします。いくらでも構いません寄付カンパを頂いかたは一年間飲み放題にします。どうかお願いします

投稿: ひばりが丘の石崎です | 2012年3月 6日 (火) 16時49分

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