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高卒 = 大卒 < 専卒の時代

2010121901 最近は、大学生の就職内定率が50%以下の大学が急増しているらしく、聞いたところでは、30%台という大学もあるらしい。30%というと、単純に考えても3人に1人しか内定をもらえないということなので、“大学に行く価値”というものも少し考える必要がある時代だと言えるのかもしれない。
 そんな時代にあって、先日、「内定をもらえなかった大学生が大学卒業後に専門学校に行くケースが増えている」との報道があった。
 おそらくこれは専門的な技術力を持たない文系の大学生のことを指しているのだろうと思うが、時代的背景を考えれば当然の成り行きではないかと思える。
 
 私も一応、文系の大学を卒業しているので言えることだが、ハッキリ言って、大学で役に立った授業というのは、簿記英語ぐらいではないかと思っている。より正確に言えば、英語は受験勉強で覚えたことが役に立っているという意味であり、授業はほとんど役に立っていないと思う。現代のように定員割れで誰でも大学に入学できるような『大学全入時代』であれば、受験勉強すらせずに大学に入学している学生も大勢いるだろうから、大学に行っても何も得るものが無かったという人も結構いるのではないかと思う。

 そんな大学に行っても何も得るものが無かったというような学生を現代の企業が欲しがるか?というと、答えは至って明白で「いらない」というのが正直のところではないかと思う。もし、私が企業の人事担当者であれば、文系の大学新卒者よりも実務経験の有る転職者専門技能を有した専卒者を優先的に採用すると思う。なぜなら、仕事をしていく上で最も重要なことは、その仕事を行う実務能力が有るかどうかということであり、どこの大学を出ているとか、大卒という肩書きなどは本来、何の役にも立たないからだ。真っ当な受験勉強を行って大学に入学したということであれば、その努力は評価されるべきだと思うが、それが必ずしも仕事に活かせるというわけでもない。仕事を行っていく上で大事なことは、現在ただいまの努力であり、過去の努力ではないからだ。学生時代に如何に勉強ができた優秀な人物であったとしても、そんな過去の栄光だけで仕事ができるほど、世の中甘くはできていないのである。
 
 しかし、日本は未だに学歴を中心に考える『学歴偏重社会』であり、社会全体がそのような価値観で固定されたままであるため、無意味な学歴信仰というものは根深く残っている。そして、この時代にそぐわない形骸化した学歴信仰が存在するがゆえに、いろんなところで矛盾が生じて悲劇が量産され続けている。『大卒』という価値自体が暴落しているにも関わらず、大卒であることがより良い人生を生きるための絶対条件の如く信仰の対象になってしまっているわけだから、矛盾が生じないわけがない。
 『大卒』であることを条件に《一流企業に入社することが当たり前だ》と思うような時代錯誤な認識を持ったままであるがために、(希望通りの企業に)就職できないという悲劇を作り出してしまっているわけだ。
 このことは喩えて言うなら、大赤字に転落した上場企業の株式を買って、「なぜ株価が騰がらないのか?」と嘆いているようなものである。株式の価値が解らないということと、学歴の価値が解らないということは実によく似ている。同じく株式に喩えて言えば、現在の大企業というのは、大抵は既に天井を打った株式であると思われるので、自分の能力を最大限に活かせるという意味でも、これから伸びそうな中小企業を選択した方が良いこともある。
 しかし、多くの学生(親も?)は大企業にしか目が行かず、柔軟な時代的発想ができなくなっていることが就職難問題をより深刻化しているものと思われる。学歴社会というものが時代遅れであれば、その学歴社会を信奉する国民の認識もまた同じく時代遅れであるがために、こういった悲劇のミスマッチが起こってしまうのである。
 
 大学全入時代であるということは、常識的に考えれば『大卒』の価値は下がっているということであり、そこに疑いを入れる余地はない。その価値は“誰もが高校に行ける時代”と同じものだと言うことができるだろう。つまり、現代の『大卒』という肩書きは、実質的には少し前の『高卒』と同じものに変化してしまっているということである。(あくまでも企業側から観た価値)
 かつては、“大学に入るのが難しい”がゆえに『大卒』という肩書きが無条件で礼賛されたが、“大学に入るのは簡単”であれば、無条件に礼賛するわけにはいかない。現代で無条件に礼賛されるべき『大卒』が有るとすれば、現代でも難関な競争率を誇る超一流大学ぐらいのものだろう。
 
 就職するという目的を果たすべく、かつての高卒者は、専門知識や専門技能を身に付けるために専門学校の門をくぐった。現代の大学生もまた、大学時代に何の専門知識も専門技能も身に付けることができなかったため、専門学校を目指す。この現象自体が、『大卒」の価値が『高卒』になってしまったということの証明でもある。
 
 結局のところ、現代の大学生の就職難問題とは、実際の仕事で役に立たない知識をいくら大量に頭に詰め込んでも、何の役にも立たないという当たり前のことが表面化したというだけのことなのかもしれない。その結果である現象自体をいくら問題視しても一向に問題は解決しない。誤った学歴信仰というものを見直さない限り、残念ながらこの問題が解決することはないだろう。学歴社会から実務社会へ速やかに移行すること、それが、この問題の(実現が極めて困難な)処方箋である。
 
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コメント

そんなこと社会じゃ言ってると笑われますよ

あなたも解っていると思いますが、専門卒の専門士と大学卒の学士じゃランクが天と地ほど違います。それに専門学校の薄っぺらい専門のことしか知らなくて教養の無い人間は、社会に出ても使い捨てにされるだけです。

投稿: 山口 | 2010年12月22日 (水) 04時03分

自分が人事なら高専生を優先してとりたい、というのは実はよく聞く話なのですが結構難しいのです。
高専生は所謂今風の就活などはしないので、高専の先生(教授)や指導教諭とのつてやこね無しではアクセスすら出来ません。
また業績がどれほど厳しくても付き合いがあるため採用を0にするなどといった事も出来ません。
ただ、こうした採用側にとって面倒で不便な状況でありながらも高専生の就職率が100%という状況がその需要の高さを示しているのかもしれませんね。

投稿: phh | 2010年12月31日 (金) 02時37分

phh様

コメント、有り難うございます。

 私が「人事の立場なら採用する」と言ったのは、あくまでも学生の方から採用試験(または面接)を受けに来た場合の話であり、こちらからアクションを起こすというわけではありません。
 目の前に、実務能力の有る人間と実務能力の有無が分からない2人の人間がいる場合、前者を優先して採用するという意味です。

投稿: 管理人 | 2010年12月31日 (金) 19時38分

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