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牛丼戦争を礼賛するデフレ悲観論者の不思議

2011012801_2 総務省から発表された2010年度の消費者物価指数(Consumer Price Index)は前年比で1%の低下だったらしく、相も変わらず「デフレから抜け出せない日本経済」という報道がなされている。

 こういった報道からは、なにやら“物価が下げ止まらないことを嘆いている”というような印象を受けてしまうのだが、果たして物価が下がることが本当にそれほど悪いことなのだろうか?
 もし物価が下がることが悪いことなのであれば、なぜ人々は10円でも安い牛丼に群れをなしてしまうのだろうか? もし物価が下がることが消費者にとって“嘆き”を意味するものであるならば、現在の果てしない牛丼戦争を観た人々は、戦争左翼の如く「牛丼戦争反対!」と言うはずである。しかし、現実にはそれとは逆の現象が起こっており、どう贔屓目に観ても消費者は牛丼戦争を観て喜んでいるようにしか見えない。

 「デフレは生産者に地獄、消費者に天国」という言葉もあるように、物価が安くなることは大部分の消費者にとっては喜ばしいことである。では生産者にとっては本当に地獄なのかというと、必ずしもそうとは言えない。なぜなら、生産者とは時に消費者でもあるからである。
 この世の中に生産だけを行っているような人間はいない。どんなに多忙な仕事を行っている人であっても、仕事をしていない時は1消費者であるわけだから、生産者が四六時中、地獄に身を置いているわけではない。休日は全ての人が消費者になることを考えれば、「デフレは生産者に地獄、消費者に天国」という言葉は少々言葉足らずだと言える。正確に言うなら「デフレは生産者である時以外は、全員に天国」の方が正しい。

 この「デフレ」という言葉には、様々な誤解や曲解があることはこれまでにも何度か述べてきたので、そちらの記事を参照していただければ、デフレ論争というものがいかに誤解に基づいて組み立てられたものか理解していただけるのではないかと思う。

【関連記事】
「デフレ脱却」というお題目
デフレとインフレの知られざる誤解
『デフレ教』の信者に成り果てた日本国民

 以前の記事を読むのは面倒臭いという人もいると思うので、念のためにデフレ論争について少しだけ記述しておきたいと思う。

 そもそも『デフレ』とは何なのかというと、一言で言えば『物価が下がり続ける』ことである。そのデフレ状態が続くことによって齎される悪循環を『デフレ・スパイラル』と呼ぶことは誰もが知っている通りである。

 では日本の物価はなぜ下落し続けているのかというと、世界経済がグローバル化したことによって、世界的な規模で“物価の平準(フラット)化”が進行中であるためだ。
 冷戦の終結によって「鉄のカーテン」という名のパンドラの匣が開かれたことによって、新興国や発展途上国の安価な労働力や物資が先進国のそれと混じり合わさり、恰もミキサーにかけられたか如く、物価が平均化(格差が解消)されつつあるためである。それが、先進国の(中でも物価の高い)日本の物価が下げ止まらない根本的な原因であり、新興国の経済が活況を呈している大きな理由でもある。
 こういった原因を知れば、現代の日本がデフレから抜け出せないのは当たり前のことであり、日夜、騒がれているデフレ論争というものが、如何に的外れな妄論であるかがよく解ると思う。

 ここでこう言う人がいるかもしれない。

 「日本がデフレから抜け出せないのであれば、お先真っ暗ではないか!?」と。

 しかし、この意見も的外れである。先にも述べた通り、多くの国民はデフレ現象を喜んでおり、嘆いてばかりはいないからだ。なぜなら、日本全体で観れば、デフレによって下がっている物価以上には給料は下がっていないからである。
 デフレとは、物の価値が下がる現象のことであると同時に、お金の価値が上がる現象のことでもある。物の価値とお金の価値は表裏一体であるが、1国単位で観れば必ずしもゼロサムにはなっておらず、日本の場合は、物の価値が下がる以上にお金の価値が上がっているため、デフレと言っても『良いデフレ』に分類される。

 「では物価は下がり続けてもいいのか?」と疑問に思う人もいるかもしれないが、もちろんそれには条件がある。その条件とは、「収入と物価のバランス次第」ということである。収入が物価以上に下がらなければ、実質上、デフレ自体はそれほど悪いものとは言えないのである。

 ただ、私は現在の牛丼戦争には少し疑問を抱いている。行き過ぎた安値競争の行き着く先には、全体的な経済発展という理想的な社会が見えてこないからだ。現代ではフリービジネスというものも話題になることが多いが、利益度外視のフリービジネス商売は、潜在需要があって始めて成り立つビジネスモデルである。
 例えば、かつてソフトバンクが行ったADSLモデムの無料バラマキは、巨大な潜在需要が存在したからこそ成功を収めることができたと言える。インターネット社会の将来像がハッキリと見えていたがゆえに、あのような思い切ったバラマキ(と言うより先行投資)が行えたわけだ。

 翻って、現在の牛丼業界に目を転じれば、そこには巨大な潜在需要が存在していると言えるだろうか? 熾烈な値下げ価格競争を制したとして、その先に未だ顕在化していない巨大な市場が広がっているだろうか? そういった新たな需要が花開く可能性が有るのであれば、安値競争自体が意味のある投資となるだろうが、そうでない場合は単なる安値での牛丼のバラマキになってしまいかねないということである。

 なにやら、現在の民主党のバラマキ政策とどこかオーバーラップしてしまいそうだが、安値競争も行き過ぎると、限り無くフリービジネスに接近することになり、利益が出ないジリ貧のバラマキ思想に陥ってしまう。これは牛丼業界だけではなく、その他多くの日本企業にも言えることである。
 
 商売とは本来、良い商品を「いかに高く売るか」が基本となるはずだが、現代の日本では、良い商品を「いかに安く売るか」になってしまっている。本来、コスト削減とは、利益率アップという目的のために行うものであると思われるが、コストと一緒に利益まで下げている(またはコスト以上に利益を下げている)のが現代の日本企業の有り様である。消費者物価指数に見るデフレ現象よりも、こういったマクロ的なジリ貧思想(人為的なデフレ現象)の蔓延の方がはるかに危険だと言える。

 少し乱暴に聞こえるかもしれないが、現代の日本経済の問題点はデフレではなく、需要と消費が足りないことである。需要と消費が足りないがために、物の値段を必要以上に下げざるを得なくなってしまっているという悪循環からの脱却こそが必要なのである。
 
 多くの経済学者は、デフレが不況を意味するものではないことに気が付いているが、長い間「デフレ脱却」という言葉が世間一般で使われてきたために、その間違いを改めようとはしない。エコノミストの世界も例外なく事勿れ主義になってしまっているということだろうか…。

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コメント

デフレの問題点に、世代間格差が広がる事です。老人は、既に富を貯めこんだ上、昔の給与所得を基準に得る年金で優雅な生活がおくれるでしょう。しかし次の世代を担う若者は、物価水準以上に下がる給与所得・就職難・社会保障費の増加に怯え消費を控えさらにデフレを深刻にしているのです。確かグローバル化が原因でデフレが起きている面も否定はしませんが国内要因によるデフレの存在を忘れてはいけません。現在の先の見えない状況を見ていると日本国債が大暴落を起こしてハイパーインフレを起こして一から出なおした方が日本の国家百年の計を考えた場合、余程良いと思えます。そういう意味ではデフレ脱却論は消して間違ってはいないと思いますがいかがでしょうか?大混乱の後、先行きに希望が持てるようになれば若者が元気になり日本は必ず復活します。

投稿: 老人天国 | 2011年2月19日 (土) 12時41分

老人天国様

コメント、有り難うございます。

 日本は1度、経済破綻して出直した方が、このままズルズルと歪んだ経済システムを維持し続けるよりも良いという話は最近よく聞かれますね。かつての日本は戦争で焼け野原になってから1から出直して成功したという歴史を持っていますから、日本の経済システムの再構築はスクラップ&ビルドするしか方法がないという意見もよく聞かれます。
 しかし、世代間格差が広がるのがデフレの問題点だというのはよく解りません。私は何度も述べていますが、デフレと不況とは別問題ですし、デフレと世代間格差も別問題です。そして世代間格差と不況もまた別問題です。
 世代間格差が広がる原因は日本の歪んだ社会システムに起因している問題であって、デフレや不況とはあまり関係がないと思います。世代間格差が無くなれば(=若者が希望を持てるようになれば)日本は復活するというのはその通りかもしれませんが…。

投稿: 管理人 | 2011年2月20日 (日) 00時41分

牛丼の値下げという相対価格の変化ということと、デフレという一般物価の下落ということの違いが理解できていないお笑い経済漫談。
また、物価平準化は一般物価ではなく為替によって為されるのが常だという、歴史的な観察力の無さを(あるいはそれを思いもよらない程の思考力の無さ)を、全世界に向けて喧伝している。羞恥プレイがお好きなのかも知れないが、見せられている方が恥ずかしくなってくる。実に、お可哀想なことだ。

投稿: yasu | 2011年6月25日 (土) 13時20分

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