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『椅子取りゲーム』と化した就職活動

2010010601 昨今の就職難の影響からか、大学生の就職活動時期は年々早まっており、学生達は未だ卒業の見込みすら立たない時期から就職活動を行わなければならなくなっている。この異常な状況を改善するため、日本経団連は企業説明会の時期を遅らせることで対応しようとしているらしい。

 かつての大学生は4回生になってから就職活動をするのが当たり前だった。真面目に授業に出ている学生であれば、3回生の時点で既に卒業を満たす単位はほぼ修得済みであるため、時間に余裕のある4回生になってから就職活動をするのが当然であったし、それでも充分に間に合った。

 通常、企業の採用試験を受ける時には『成績証明書』と共に『卒業見込証明書』を提出するのが一般的な習わしだったが、現在の大学生は3回生の早い時期から既に就職活動を始めるのが当たり前になっている。そのような状態では大学側としても、『成績証明書』はともかく『卒業見込証明書』まで用意するわけにはいかないだろう。
 学習することが本業であるはずの学生が、就職することに焦るあまり授業そっちのけで就職活動を行っている。この現状を打開するための策が『企業説明会の時期を遅らせる』では少々心許無いと思えるのは私だけだろうか?

 元々、日本の学生の多くは勉学に励むために大学に進学しているのではなく、有利な就職をする(=就職活動を楽にする)ために大学に入学しているというのが本音だと思う。そう考えると、授業などはそっちのけで就職活動を行うのは、ある意味で合理的な行動だと言えなくもない。しかし、“授業の単位を修得すること”よりも“就職の内定を獲得すること”の方が優先されてしまうという現状は、学生としての本分を考えれば、まさに本末転倒な事態だと言える。

 このような本末転倒な事態を迎えてしまった原因は、日本の大学教育そのものにあるとも言える。
 海外の大学は基本的に「入学するのは易しく、卒業するのが難しい」と言われている。しかし、日本の場合はこの逆で、「入学するのが難しく、卒業するのは易しい」…というのは過去の話で、現在では「入学するのは易しく、卒業するのも易しい」というのが日本の一般的な大学の実態である。(一部の大学は除く)

 常識的に考えると、就職するのが難しいのであれば、就職するために勉強するという方向に気持ちを切り替えるのが本来の学生の姿であるべきだと思う。勉学を修めて卒業証書をもらうこと自体に就職するに値する価値が有るのであれば、多くの学生は真剣に授業に取り組むだろう。しかし、入学さえすれば誰もが簡単に卒業証書を手に入れることができるような社会であればどうだろうか? 結果は見ての通りである。

 大学で受講している授業を真剣に学べば就職という活路が見出せるのであれば、学生もそうするはずである。しかし、授業で学ぶことが即、就職に繋がるのは一部の技術系の大学のみであり、多くの文系大学の学生は授業に精を出したところで就職が有利になるようなことはほとんどない。昔であれば、授業の成績が良ければ面接時にも優秀な生徒だと思われて受けが良かったというようなことがあったかもしれないが、現在では『成績証明書』などはほとんど何の効果も無いように思われる。

 現代の多くの学生は、就職するために自らの能力を高めるという努力をせずに、他人よりも早く就職先を見つけることだけに努力しているように見える。『努力する』という方向性が“能力”の高い低いではなく“時間”の早い遅いに向いている。これは言うなれば、実力よりも早い者勝ち競争になってしまっているということであり、言葉を変えれば、ただの椅子取りゲームを行っているということである。
 限られた「就職」という名の椅子を奪うために、授業そっちのけ、ついでに能力もそっちのけで椅子を奪い合う。それが現代の日本の大学生達の姿だと言えば言い過ぎだろうか?
 いずれにせよ、『大学は就職するための能力を身に付ける場所』という表向きの常識(建前)が現代では見事に崩壊してしまっているわけだ。

 こういった事態を招いてしまったのは大学に入学しても勉強しない不真面目な学生だけが悪いのではない。大学に入学さえすれば、半自動的に卒業も就職もできるというような大学のレジャーランド化をそのまま放置してきた日本の教育行政にも大きな責任があると言える。

 企業側から観ても、単に椅子取りゲームで勝つ能力だけに長けた人間よりも、椅子取りゲームなどには見向きもせずに大学で就職に活かせる能力を身に付けた人間をこそ採用したいはずだ。『企業説明会の時期を遅らせる』というようなその場しのぎの対症療法では、多くの学生は浮かばれないままだろう。歪んだ教育の間違った常識自体を変えていかない限り、大学生の悲劇は今後も量産され続けるだろうことは想像に難くない。

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コメント

大学がこうなったのは、受験戦争時代に「大学とは就職予備校ではない」という現実と乖離した建前を前面に押し出した結果ではないかと。
夢を追いすぎて元も子もなくした感じですね。

投稿: Tirthika | 2011年1月 8日 (土) 00時47分

Tirthika様

コメント、有り難うございます。

 「受験戦争」という言葉が示すように、日本では受験に合格することが学生の最終目的になってしまっているということですね。
 大学で過ごす期間よりも、社会に出てから過ごす期間の方が圧倒的に長い(10倍以上)わけですから、本来であれば、受験よりも就職の方に重点を置くべきでしょう。…と言っても、就職すること自体を人生の目的にする必要はないんですが…。

投稿: 管理人 | 2011年1月 8日 (土) 23時19分

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