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『クイズ$ミリオネア』的カンニングと学歴社会の未来

2011030301 京都大学を初め4つの大学の入試問題が試験中にインターネットの質問サイト(ヤフー知恵袋)に書き込まれてしまったということで、世間では「前代未聞の事態だ」と騒がれている。犯人の予備校生は逮捕されたらしいが、今回の事件をインターネットによるネット犯罪だとする論調も見受けられる。

 確かに今まで起こったことがない事件という意味では、前代未聞の事件だと言えるのかもしれないが、冷静に考えるとこれは単なる新手のカンニング事件であり、インターネットがどうのこうのというような問題ではないのではないかと思える。俗な例えで言うなら、他人の知恵を拝借してクイズに答える『クイズ$ミリオネア』のライフライン手段(テレフォン)をカンニングに利用したというだけのことかもしれない。
 大学側にとっては明らかな業務妨害と言えるのかもしれないが、ネット犯罪とまで言うのは少しオーバーな気がする。一般人が行えば犯罪になるのかもしれないが、受験生が個人的な理由(入試に合格すること)で行ったのであればカンニングである。

 昔、『ザ・カンニング』という映画がフランスで製作され、カンニングというものが日本でも話題になったことがある。その映画で描かれている通り、これまでの「カンニング」といえば、暗記するべき言葉や数式を紙などに書いて、服やズボンや筆記用具などにそのカンニングペーパーを忍ばせておくというようなものだった。そういったこれまでのアナログ的なカンニング手法が、デジタル社会風に置き換わったというのが今回の事件の本質だろうと思う。

 現代の入学試験というものは、試験の答えを頭に記憶することが前提であり、どれだけの試験問題とその解答を暗記しているかということが競われる。無論、思考しなければ解けない問題もあるとはいえ、基本的には記憶する(または試験パターンを覚える)という能力が第一に求められる。
 しかし、インターネット社会の発展とともに、“記憶する”という能力自体を疑問視する声も高まってきた。これまでのアナログ社会では、仕事をしていくにしても、自分自身がある程度の知識(一般知識と専門知識)を有していないと迅速な判断ができず非効率であるという理由もあって、どれだけの知識を蓄えているかということが求められたわけだが、現代ではインターネットから生まれた集合知を上手く利用すれば即座に解答が導き出せるようになってしまった。

 例えば、コンピューターがトラブった時などは、自分が覚えた少しばかりの専門知識では解決できなくても、インターネットの集合知を利用すれば、すぐさま解決する時がある。私も実際に何度も経験したが、これは非常な時間の節約になる。

 現代のような高度情報化社会では、毎日、洪水のような様々な情報が飛び交い、新たな用語も引っ切り無しに創り出されている。その膨大な知識を余すことなく1人の人間が吸収し続けていくことは残念ながら不可能である。
 ゆえに、生活していく上で直接関係のない雑多な知識等の記憶は、今後、インターネットの集合知に依存していく社会になるだろうことは容易に想像がつく。
 実際、現代人の多くは、分からないことがあれば、グーグル等の検索サイトを利用して調べることが日常茶飯事になっており、わざわざ自らの記憶力に頼らなくても、検索すれば1秒で答えが見つかるような便利な社会に生きている。

 そのような便利になった社会で、なんでもかんでもネットで検索して知ろうとする若者の行動をとらえて、「最近の若者は物事を考えないようになった」という意見をよく耳にするが、こういった意見も1度、疑ってみた方がよいかもしれない。

 “ネット検索する”という行為は“覚えること”を放棄した姿で有り得たとしても、“考えること”を放棄した姿とは言えない。ネットで検索して知り得る情報は、基本的には“記憶できる情報”だけであり、考えなければ解答を導き出せない情報まで即座に出てくるわけではない。答えの無い問題のヒントは得ることができるかもしれないが、ズバリ解答を得られるというわけでもない。
 そう考えると、先述の言葉はこう言うのが正しいかもしれない。
 
 「最近の若者は物事を覚えないようになった
 
 “考えないようになった”のではなく、“覚えないようになった”と言った方がピッタリとくる。それはちょうど、算盤や電卓が出れば暗算というものがあまり行われなくなったというのと同じようなものである。計算することを電卓に依存している社会では暗算が行われなくなったとしても何の不思議もない。人間の頭で暗算するよりも電卓で計算した方が正確であり効率的であるのだから仕方がない。
 日々、電卓をたたいている営業マンに対して「現代の営業マンは暗算を行わなくなった」と嘆いたところで意味がないというわけだ。
 
 同じように、記憶することにおいて人間よりもコンピューターの方が正確であり効率的であるからこそ人々は記憶するという能力をコンピューターに依存している。それは合理的な判断を伴った行動であり、別に覚えることを放棄したわけでもなければ、考えることを放棄したわけでもない。

 確かに自分の頭で覚えるに越したことはないのだが、先にも述べた通り、それには限界があるということである。
 一応お断りしておくと、ここで言う「限界」というのは、記憶容量のことだけではなく、時間も含まれている。これからの世の中は、情報を上手く取捨選択していかないと膨大な時間の無駄になってしまうという意味での「限界」だ。無駄な知識を覚えることが悪いと言っているのではなく、無駄な時間を過ごすことがマイナスになるという意味なので誤解のないように。

 今までのアナログ社会では、「生き字引」と形容される博識の人が重宝されたが、これからの高度情報化社会では「生き字引」という言葉は徐々にコンピューター(インターネット)にお株を奪われることになるはずである。専門分野における博学と言われる人はこれからも出てくるだろうが、雑多な情報を蓄えることにおいては、集合知であるインターネットの独擅場となるはずである。
 
 結論として言えることは、これからの情報化社会は、覚える(記憶する)能力よりも、考える(思考する)能力が重宝される時代になるということである。なぜなら、記憶する能力において、人間はコンピューターには敵わないからだ。しかし思考する能力でなら(今のところ)コンピューターは人間に敵わない。コンピューターにできる能力を磨くよりも、コンピューターにできない能力を磨くことの方が重要になるというのは至極当然の話である。

 『クイズ$ミリオネア』的カンニングが行われた背景には、質問すれば必ず答えが返ってくるという集合知社会のプロトタイプの進歩がある。インターネット以前のパソコン通信の時代から、こういったシステムは既に存在していたが、限られた入学試験の時間内にこのような芸当が行えるようになったということ自体が、集合知社会がまた1歩、完成の域に近付いたことを意味しており、同時に、答えのある問題を解くことの価値が低くなってきていることを示している。
 現代の暗記重視の学歴社会というものも、遠からず変更を余儀無くされるに違いない。(希望的観測)

 (注意)カンニングを勧めているわけではないので誤解のないように。

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コメント

実際、考えなくなってるらしいですよ。
大学のレポートなどは、誰かが(以前に)作成したもののコピーが蔓延している、までは昔からあったのですが、現在ではコピー同士の差別化を図るため、文章をコピペして順序を入れ替えたものが横行しているとか。
うまく繋がっているものあるけど、もはや日本語の体をなしていないのもそこそこあるという話です。
友人の大学教授の愚痴より

集合知を利用はしているみたいですが、うまく活用はしていないみたいですね。

投稿: Tirthika | 2011年3月 5日 (土) 18時43分

Tirthika様

コメント、有り難うございます。

 現代の大学生のレポートの質が落ちているのは、大学全入時代で学生の質が昔よりも落ちているせいかもしれません。学歴だけでは実際の能力が計れない時代になっているということかもしれませんね。

投稿: 管理人 | 2011年3月 6日 (日) 10時23分

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