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原子力エネルギー依存社会の“原発アレルギー”

2011040501 毎年この時期になると、花粉症対策のためにマスクを付けた人をよく見かけるようになるが、今年はこの“花粉アレルギー”にプラスして、“原発アレルギー”というものが日本中、いや、世界中に拡がってしまったようだ。
 これまで、原発反対論者の決め台詞でもあった「原発反対」という言葉は、左翼の言うところの「戦争反対」という言葉と同列に扱われてきたが、今回の事件によって、その言葉が正統性を帯びたかのような勢いが観てとれる。その証拠に、よその国でも『原発反対デモ』が堂々と行われるに至っており、原発アレルギーは止まることなく広がっているように見える。
 
 しかし、現代の世界経済も日本経済も悲しいかな原子力発電無しでは成り立たないという現実がある。仮に成り立ったとしても、生活の利便性や経済性と引き換えにしなければならない。原子力に代わる有力な代替エネルギーが存在しない限り、今、原子力を簡単に放棄してしまえば、世界経済は縮小を余儀無くされることになり、別の意味でのクライシスを迎えることになりかねない。
 
 「とにかく安全が第一だ、生活水準なんてどうでもいい」と思っている人であれば、「原発反対」と言うのも理解できなくはないが、現代社会において本気で生活水準が落ちても構わないと思っている人が果たしてどれぐらいいるのだろうか?
 今まで原子力発電によって作られた電気をリスクを意識せずに享受してきた人間が、事故が発生すればコロッと立場を変えてしまう。これはよくよく考えると、あまりにも都合のよい話だとは言えないだろうか? 事故が発生する前から「原発反対」と言い続け、自力(自家発電)で電気を賄ってきたような人であれば話は別だが、そうでないなら、筋が通らない。

 納得できないという人のために喩えを用いて説明すると、例えば『違法コピーソフト』をいうものがある。違法コピーソフトを販売している人が逮捕された場合、その違法コピーソフトを使用していたユーザーまでは逮捕されない。しかし、違法コピーソフトを使用していた人間が違法コピー業者を批判するのはお門違いだ。
 あるいは、目の前でイジメが行われ、そのイジメられていた人物が後に自殺したとしよう。その場合、イジメを端で観ていた人はイジメっ子を批判できるだろうか? 批判はできるかもしれないが、それは卑怯な行為であることに違いはない。イジメが行われていた時にその場で注意することができる勇気を持った人間だけがイジメっ子を批判する権利がある。こんなことは、説明するまでもなく当たり前のことである。
 
 上記の理屈を今回の原発問題に当て嵌めてみれば、「東京電力を解体せよ!」とか「原発は廃棄せよ!」などと批判している人も、ある意味で筋が通らない批判を行っているとも言えるわけだ。
 「東京電力を改善せよ!」「原発は改革せよ!」なら理解できるが、「直ぐさま潰せ!」ではあまりにも無責任な発言であり、その先の社会がどうなるのかという視点が完全に抜け落ちてしまっている。
 
 原発事故が発生したとはいえ、現文明が原子力に依存している以上、そう簡単には原子力を放棄するわけにはいかないというのが世界の本音だろうと思う。その証拠にアメリカや中国などは、原発に注意を払うように要請してはいるものの、明確に否定する立場は取っていない。世界経済の現実が見えているリアリストであればあるほど、原子力エネルギーの重要さを理解しているのだろうと思う。
 
 原発の推進は環境政策の一環であり、二酸化炭素の削減効果が見込まれていたが、今回の事故で原発の推進が見込まれなくなった。そのため、さすがに日本でも二酸化炭素の排出量25%減の目標は見直されることになったみたいだが、こんな無茶な目標の実現を本気で実践していた国は日本だけである。
 そもそも二酸化炭素の排出量を下げれば本当に地球温暖化が止まるのかどうかも科学的に証明されていない段階で、そのようなポピュリズム丸出しの政策目標を打ち立てること自体がどうかしている。建前として“エコ”を利用して景気の拡大を計るということであれば理解できるが、本気で経済を縮小するようなことを目標に掲げていたのでは、世界の笑い者になるだけだ。

 しかし、皮肉なことに計画停電が大々的かつ長期的に行われるようになれば、二酸化炭素の排出量25%減が一時的には達成される可能性がある。心理学的に言うなら、民主党が潜在意識下で描いた理想的(?)な世界が実現してしまうというわけだ。

 民主党ついでにマスコミに話を移そう。日本のマスコミの過剰報道は今に始まったことではないが、テレビに映った福島原発の異様な航空映像などを観ていると、どこかオウムのサティアン(サリンを製造していた工場)を彷佛とさせるものがあり、東京電力がまるで毒ガスを製造していた悪徳企業のような報道になってしまっている。
 かつてのオウム事件時は、「第1サティアン、第2サティアン…」という名称が耳にタコが出来るくらいに何度も聞かされたが、今回の東京電力問題でも「1号機、2号機…」と偶然にも似たような名称が繰り返し報道されており、かつての先入観も手伝って否が応にも悪いイメージを抱かせてしまう。

 それにプラスして、専門家の原発論議も二転三転しており、「人体にはほとんど影響がない」と言う専門家もいれば、「チェルノブイリ以上の大惨事だ」と述べている専門家もおり、未だにハッキリとした全体像が見えてこない。こんな状態では、外国人が母国に一時(永久?)帰国するのは止むを得ないとも言える。

 なんにせよ、東京電力は完全な悪者として扱われており、仮に原発問題がクリアされたとしても、原発アレルギーの特効薬でも出てこない限り、企業イメージの回復はもはや絶望的な状態だと言える。

 翻って、もし現在、今回の大地震でも福島原発は全く異常なしで正常に稼動しているということであれば、「日本の原発は世界最大級の地震でもトラブルが発生しなかった」ということで原発の安全性が再認識され、世界中から原発製造の特需が舞い込み、その莫大な利益だけで震災復興費も賄えたかもしれない。そう考えると、東京電力、ひいては日本経済にとっては、まさに天と地ほどの開きが発生してしまったとも言える。
 これが、もし天災ではなく人災であったのだとすれば、トンデモない責任問題に進展する可能性も否定できない。実際のところ、一般人が原発の危険性や電力会社の閉鎖性を訴えたところで東京電力側がまともに耳を貸したとも思えないので、東京電力が批判的に報道されるのは、ある意味で仕方のない部分はあるのかもしれない。

 いずれにせよ、東京電力及び原子力行政関係者達は、自然が与えた『原発安全性試験』にパスすることができなかったという意味で猛省する必要があるだろう。これまでの常識の範囲内での安全性の基準はかなぐり捨てて、全く新しい視点での原発の安全性を改めて追求していかない限り、日本の原子力技術に未来はないと言っても過言ではないだろう。

 現在のところ、原発アレルギーで世界中がパニック状態に陥っているが、おそらく、近い将来、今回の日本の事故をベースとして、より安全な原発の開発が進められるはずである。現在は日本とフランスしか原発を製造する技術を持っていないと言われているが、ひょっとすると東京電力と日立の大株主となった中国あたりが、この機に乗じて、原発の開発に乗り出してくる可能性もないとは言えない。現在、東京電力の筆頭株主に躍り出るのは少々無理があるかもしれないが、したたかな中国のことだがら、今回の事故のマイナスをプラスに転じるような策を練っている可能性も否定できない。
 とにかく今は事態が収束することを祈るしかないが、この問題が解決した暁には、日本の原子力行政は抜本的な改革を余儀無くされるということだけは肝に命じておいた方がよさそうである。

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コメント

こっちにもコピーしとくね。

生きた経済ブログさん。そろそろ目はさめましたか?
経済的に見て、原発に反対するのが生きた経済ではないですか?原発必要論こそ、おじいさんの死んだ経済論です。古すぎますよ。
ブログ名が泣いちゃいますよ。
水力・火力と同じタービン回すだけのお金だけかかる全く非経済な、前時代の遺物には引退してもらって当然じゃない? 
もっとお金は有効に使おうよ。
バブルでもうけても最後に外国にみーんな持ってかれた馬鹿な日本人。
世界は生き馬の目を抜く戦いなのよ。いつまでバブルの無知を続けるのやら。
人の命脅かすんだよ?なんか反対に反対する人の意見聞いてるとこの人たち奴隷根性なんだ。と思うときある。人生の主役が自分じゃない。。
バブルで踊らされてお金巻き上げられた無知人間と同じ。
ホリエモンも倫理守ってれば良かったのに。
金持ちは金持ちの倫理があるの。貧乏人と同じではない。貧乏でちょっと食べ物とっちゃっても問題にならないが、お金持ちが同じことしたら大問題。同じ行為でも意味が違ってくるってこと理解してほしいな。よろしく。

投稿: 原発アレルギー??? | 2011年4月29日 (金) 16時50分

今すぐ廃止って言う人は少なくないと思いますよ
多くの人は段階的な廃止を望んでいると思います。
代替エネルギーもそんなに絵空事ではないでしょう
地熱発電なんかフィリピンでは10%以上ありますし
日本で実際に原発を止めて停電も起こさなかったこともありますしね

投稿: | 2011年5月 5日 (木) 03時04分

まさにおっしゃる通りです。恐らくこのような考え方のほうが多いのでしょうが今はじっと耐えているのでしょう、時がたち世間が冷静になればこのような意見が多くなってくるのでしょう。
原因が究明されていないうちから原発は悪であるとの主張には閉口します。何故このような事態になったのか?何が抜け洩れていたのか?その上で改善できるのであれば改善すればよいし、今の技術では安全性が確保できない、管理できないことがわかれば直ちにすべての原発を止めなければいけません、今のように稼働中のものはそのまま、点検中のものは再稼動禁止といった対応は論理的ではなくまさにポピュリズム的な対応です。
また、15メートルの津波も想定されていたとの事ですが津波は原発施設だけに来るものではありません、沿岸部に住む住人も自治体も国も5~6メートル級は対応していたのでしょうが15メートル級の津波は誰も想定していなかったと思います、もし想定されている方がいれば原発だけでなく沿岸部に住む住人に警告を発すべきでした相すれば多大な犠牲者は出なかったでしょう、このことから震災前の巨大津波説は反原発論争の方便に過ぎ無いことがわかります。
いずれにしろイデオロギーを排除し冷静に事実を見据え真の原因を調査すべきです、原発是非論はそれからでも遅くはありません。

投稿: 正論 | 2011年5月 5日 (木) 09時06分

正論様

コメント、有り難うございます。

 原発の技術力に問題が有ったということであれば、即座に原発を廃止するべきだという意見には私も賛成します。しかし、今回の事故の場合、原子力発電技術に問題が有ったのではなく、単に原発の外に有った電気系統が大津波によってイカれてしまったというのが原因です。これは素人目にも極めて無防備な状態だったということです。海外の識者達はそんなことは当然見抜いているでしょうから、原発の安全装置というものを強化するという方向で今後運用されていくのだろうと思います。
 責められるべきは、安全管理であって、原発技術ではないという単純な事実を見失っているのがこの国の悲しい現状です。

投稿: 管理人 | 2011年5月 5日 (木) 11時42分

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